第4話 一計

 その後、優紀はただ黙って先を立って歩いていた。なんだかやけに歩くのが速い。待ってくれ、と言っても耳を貸してくれないのだ。やれやれである。そんなに綺羅星のところに行ったのが気に障ったのかね。そんなに嫌わなくてもいいだろうに。綺羅星の人の良さは折り紙付きだと思うんだがなぁ。


 俺の前方で、優紀の小さな頭が揺れている。短く切られた髪は、真っ黒いヒヨコのようだ。サッカーやるのに邪魔、という理由で中学に上がってバッサリ切ってしまった。それからはずっとショートにしたままだ。しかも普通のショートよりも更にちょっと短いくらい。いわゆるベリーショートである。日にもよく焼けているし、サッカーやってる時は遠目で見ると男の子に見える時もある。なんだ、あれ優紀か、ってな具合。言っちゃ悪いが、胸も控えめだしね。


 もっと子供の頃は俺と同じインドア派で、よく一緒にゲームをやったものだ。でも今ではすっかりアウトドア派、というか体育会系女子になってしまった。顧問の先生に怒鳴りつけられても一歩も引かない。そんなゴリゴリの体育会の中で生きている優紀からすれば、確かに綺羅星は頼りなく見えるのかもしれない。


 でも、ルックスは抜群に可愛い。小顔で目も大きいし、鼻筋も通ってる。でも何より俺がいいと思うのは眉毛である。スッと一本筆で引いたような強くて形の良い眉毛。色気づいて眉ぞりなんかしないで欲しいなぁ、と切に願う。


 そんなんだから、優紀の可愛いさに気付いている奴はほとんどいない一方、気付いた少数の奴らの中では、密かに熱い支持を得てたりもする。なんかホント、小さかった頃からすると、変わっちゃったような気もする。


 結局、家に着くまで優紀は口を開かなかった。家は隣同士。集合住宅なので、そんなに間隔が空いてるわけではない。お互いがお互いの家に入るところは丸見えだ。


「じゃあ、また明日……」


「うん……」


 声をかけても、なんだかそっけない。優紀が玄関の向こうに行ってしまう前に、言っておきたいことがあった。


「あのさ、」


「……うん?」


「今日は、駅に来てくれてありがとうな」


 綺羅星の代わりに、わざわざ見届けに来てくれたのだから、そのお礼はせにゃならんだろう。


「え……! うん……」


 優紀がドアノブに手をかける。俺も中に入ろうとすると、声をかけられた。


「もうあんな真似、やめなね。異世界なんてないんだしさ」


「あるよ! 絶対ある」


「あるわけないじゃん」


「うっせーよ。あるんだよ。じゃあな」


「荻窪田ぁ、」


「ん?」


「バーカ!」


 そう言い捨てて、ガチャリとドアの向こうへ消えてしまった。


 なんだなんだなんだなんだ、あの態度は! 腹が立つ。非常に腹が立つ。全く、一日の最後に気分悪い。今日は異世界にも行けないし、デコにタンコブ作るし、全く踏んだり蹴ったりだ。



 居間に入ると母ちゃんがいた。


「ただいま」


「お帰り」


 テーブルに座ってお茶を飲んでいるが、心ここにあらずといった感じだ。疲れているらしい。家事は大変っていうからな。今日は皿でも洗ってやるか。


 すると、母ちゃんは俺の顔を見て、


「あぁ、お前帰ったのか」


 そんなことを言った。


「今、ただいま、って言ったじゃないか」


「言ったっけ?」


「母ちゃんは母ちゃんでお帰りって言ったじゃないか」


「あぁ……そうだったねぇ」


 覚えてねぇな。反射で応えやがったか。


「そうか。お前が帰って来たということは、もう夕飯の支度か」


「人を時計代わりに使うなよ」


「さて、」


 と言って母ちゃんは立ち上がり、台所へ向かった。何となく最近、母ちゃんは冴えない。母ちゃんだけではなく、父ちゃんもだ。いや、もともとウチの家族は全く冴えない人間の集合体だ。


 母ちゃんは昼は近所のスーパーでパートで働く普通の、それはもう普通のおばさんだし、父ちゃんは町役場に勤める地方公務員だ。確かに安定した職に就いてはいるかもしれないが、それ故地味である。


 夢もない。劇的という言葉から最も遠いところにいる。そんな普通で地味な二人は最近、何と言うか、もっとこう、不調というか。そんな感じだ。色で言うと灰色である。グレイではない。『灰色』である。何かあったんだろうか?


 まあよい。さて、俺も部屋へ行って、今日の検証をしてみるか。



 今日のメニューはコロッケだったので、ソースをダックダクにかけていたら母ちゃんに「やめなさい」と言われ、ひと悶着あった夕食の後、俺が流しで皿を洗ってた時だった。


 居間では、母ちゃんはテレビの前に座って洗濯物を畳みながら、父ちゃんはソファに座ってお茶を飲みながらテレビを見ていた。父ちゃんが母ちゃんに何か言われた後(こぼさないでよ、とでも言われたのだろう)、こっちを見て何か言い出した。しかし、流しの音がうるさくて何言ってるか全然わかんない。


「え? 聞こえない」


 俺が水道を止めると、ようやく言葉が判別できた。テレビの音も聞こえてきた。相変わらず、日照り関連のニュースだ。明日もまた晴れるらしい。これで何日連続だろう?


「お前、進路は、決めたのか?」


 なんだ、そんなことか。進路も何も、俺は異世界に行かなければならない。そんなことにかまけている暇はないのだ。なんてことを言ったら一戦勃発するので、


「うん、まぁ、考えてはいる」


 と曖昧に答えておいた。


「そうか、ならいんだけど……。ちゃんと、勉強だけはしておけよ」


「うん……」


 めんどくせーなー。正直そう思ったが、違和感も感じた。父ちゃんは母ちゃんに輪をかけて放任で、父ちゃんがあんなこと言うのは、記憶になかったからだ。洗い物を続けるのに、また水を出したから居間の音は聞こえなくなったが、テレビの画面には相変わらず照りつける太陽の映像が映っていた。



 翌日、俺は一計を案じた。授業中、何だか眠くてうつらうつらしている時に思いついたのだ。眠いと言えば、ゲームをやりこんでいたり、仕事に没頭していたりしている最中、いつの間にやら寝込んでしまうことは誰しも経験があるだろう。しかし、気付けば異世界にいた、てな文献を幾つか読んだことがあることを思い出したのだ。これだ。



 何かに没頭し、いつの間にやら眠りこける。



 人間、寝食も忘れ、何かに打ち込みすぎると、蓄積した疲労のせいでいつの間にやら眠ってしまう。しかし眠っているとはいえ、脳が限界を迎えてその機能を休止させているに過ぎないので、半ばまだその働きを止めていない。いわば、半分眠っているが半分起きている。そのトランス状態とも言える白昼夢の中にこそ、異世界の扉が開かれるのだ。


 この作戦を実行するには、何かに打ち込まなくてはならないのだが、俺は仮にも学生である。学生の本分は勉強だ。俺は今回、期末も近いこともあるし、英単語を二千語覚えることにした。幸い今日は土曜日だ。仮に異世界行きが失敗して普通に徹夜になって寝坊したとしても遅刻することはない。


 そんな計画を休み時間、綺羅星に話したところ、「せっかくだから一緒に勉強やらないか?」と誘われた。


「今日、ウチ親出かけるんだ」


「なんでまた?」


「昔の仲間と集まるんだってさ」


「おう……、昔のか」


「一人で勉強するのは味気ないからね。どうせなら一緒に勉強した方がわからないところは教え合えるし、一石二鳥ってやつサ」


「なるほどな」


 とはいえ、彼は「教え合える」と言ったが、実際は俺が一方的に教えてもらうことになるだろう。なんせ綺羅星はクラスはおろか、学年でも成績上位者なのだから。


「それに、今度こそ君が異世界に行くのを見届けたいからね」


「おぉ、友よ!」


「大丈夫マイフレンド」


 綺羅星がハグしてきた。ただ、休み時間の廊下だったので、周りの視線が痛かった。良くも悪くも。

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