第13話


「こんにちはぁ〜、1期生の洗井熊美ですー。よろしくねぇ」


まったりとした口調でそう自己紹介した女性は、その糸目を更に細めた。


「よ、よろしくお願いします」


「あはー、緊張し過ぎだねぇ。おもしろ」


ガチガチの僕を見て、洗井さんはくふくふと笑う。


「えーっとぉ、今日はぁ…。司会であるわたしたちの顔合わせとぉ、全体の流れの確認をしていくって感じらしいよぉ」


「はいっ!」


「良い返事だねぇ。新人ちゃん初々しくて可愛いねぇ、ササラちゃんって呼んでいい?」


「はっ、ハイッ!」


「ありがとー。じゃあ流れ確認していこうねぇ」


そう言いながら洗井さんは机の上の資料の一部を僕へ差し出した。
























1時間ほど後。資料をパラパラと捲りながら洗井さんは椅子の背に凭れかかった。


「…大体こんな感じみたいだねぇ。これを元に司会原稿を作っていく感じかなぁ」


洗井さんの声を聞きながら僕は顔を俯かせる。


何とか現状を変えなければならないと飛びついた司会という役割。しかし請け負った以上、そこには責任が生じる。


(こんな…大役だったんだ…)


司会として、自分はこの舞台を成功させる責任の一端を背負う事になるのだと、資料を読んで今更ながら僕は気がついたのだ。


「うーん、今回は同接エグくなりそうだねぇ。わたしたちの管轄じゃないけど、放送中に落ちたりしないか少し心配…」


首をコテンと倒しながらそう言う洗井さんの言葉に、僕は顔を上げる。


「同接?」


「んんー?」


彼女は不思議そうな顔で僕を見遣ったが、僕が言葉の意味を理解していない事に気がついたのだろう、こちらへ向けて口を開いた。


「同時接続数…つまり、その配信を何人の人が視聴してくれているかっていう事だよぉ。複数機器で同時視聴する人もいるみたいだから、イコールではないけどねぇ」


そこまで説明して緩く微笑む。


「2期生のみんなにとっても特別な舞台だからねぇ。いっぱいの人に見てもらえると良いよねぇ」


「特別な…舞台…」


「そうだねー。個別に歌動画を出す事はあっても2期生が全員揃うステージはこれが初だからねぇ。思い入れはやっぱりあるんじゃないのかなー」


その言葉に僕は再び項垂れる。


「そう…ですよね…」


「あはー、ササラちゃん顔真っ青」


洗井さんの言葉に、僕は自分の顔を触った。


「す、すみません…。今更ながら重要な役回りなんだなって事が身に染みてきて…」


「確かにそんな顔してた」


「へへ、へ…」


洗井さんは大きく伸びをすると、急に僕の方へ身を乗り出した。


「と、いう訳で。資料の読み合わせは一旦終わりにして雑談しよっかぁ」


「はい………え?」


それまでのトーンと変わらずそう言われて首を縦に振った僕は、その台詞の内容を頭で噛み砕き聞き返す。間抜けな顔をしている僕に洗井さんは当然のような顔をしてくふくふと笑った。


「今日の打ち合わせは顔合わせも兼ねているって言ったよねぇ。司会同士、お互いの事をある程度理解し合っておくのもお仕事のうちだよー」


そう言いながら彼女は僕を指差す。その指先に僕がたじろぐと洗井さんは一層深く微笑んだ。


「あくまでステージの主役は2期生だけど、新人のササラちゃんをアピールする目的もあるからねー。いくらベテランの熊美ちゃんでも知らない事はアピール出来ないのでー」


「な、なるほど…」


その尤もらしい説明に頷く。洗井さんは満足そうに指を引っ込めると頬杖をついた。


「ササラちゃんは好きな食べ物とかあるー?」


「好きな食べ物…。フライドポテト…?」


咄嗟に思いついた好物を呟くと、洗井さんはトントンと指先で机を叩いた。


「おー。いいねぇ、フライドポテト。わたしも好きだよー。しなしな派?カリカリ派?」


「あ…太くてホクホクしたやつが好きで…」


「ホクホク系かぁ。わたしはね、しなしな派。これくらいね、細いやつが好き」


人差し指と親指で細さを指し示しながら彼女は僕の顔を覗き込むように見る。


「残念だなぁ。この会社、しなしな派がわたしとシロちゃんしかいないからササラちゃんが仲間になったら少し心強くなったのにー。ホクホク派…第三勢力…」


洗井さんの言葉にその名前が出てきてドキリとする。


「し、シロちゃんって白鈴さんの事ですか?」


僕がそう聞き返すと洗井さんは頷いた。


「んんー?そうだよー」


(蘭ちゃんってポテトしなしな派なんだ…)


ファストフード店などでしなしなしたポテトを美味しそうに食べる蘭ちゃんの姿が頭の中で構成される。


(か、可愛い…)


白い髪を艶めかせながらしなしなポテトを食べる蘭ちゃん。


「んふっ…へへへ…」


「ササラちゃん?ササラちゃーん?」


「んえっ!?」


洗井さんの声。その呼びかけに頭の中の光景は呆気なく霧散した。


「な、何でしょう」


僕は急いで表情を取り繕う。


「…んー」


洗井さんは僕の顔をジッと眺めていたが、やがてゆっくりと口を開き話し出した。


「もしかしてだけどぉ。ササラちゃんってシロちゃんとこのリスナーさんだったぁ?」


「えっ!?」


事実を看破された僕は狼狽える。


「な、何で…?」


そう呟いた僕に、洗井さんはにんまりと笑った。


「シロちゃんの事話した時に凄く気持ち悪い表情…ううん、嬉しそうな顔していたからそうかなぁって。あたり?」


確信したようなその物言いに、僕は恐る恐る頷く。


「は、い…」


「あはー。じゃあ今回の司会の話は嬉しかっただろうねぇ」


洗井さんは面白そうな物を見つけたと言わんばかりににニコニコする。


「ねぇ、シロちゃんの事好きなのー?」


「すっ!?すっ…!?好き!?」


ダイレクトな問いかけに思わず席を立ちかけるが、表情を変えない洗井さんを見て正気を保つ。


(何を動揺しているんだ!洗井さんが聞いている好きっていうのはただファンとしての話だ!しっかりしろ僕!)


「すき…です!」


僕がそう宣言すると、洗井さんはさらに笑みを深めた。


「どんな所が好きなのー?」


「ええっ!?」


テーブルがガタッと音を立てる。その音にやっと冷静さを取り戻し、僕は思考を巡らせた。


「えっと…」


(蘭ちゃんの好きな所…いっぱいある、けど…)


「最初は何となく見始めたんです…でも、蘭ちゃんの真摯な姿勢に段々励まされていって」


偶然見つけた蘭ちゃんの初配信。意外な方向に転がった初配信は、彼女の魅力を引き出していた。


「蘭ちゃんは可愛くて、素敵で…。どんなことも真剣に受け止めてその先を模索しようとする姿が格好良くて、いつの間にか好きになっていました」


蘭ちゃんは何かを馬鹿にしたりしなかった。どんな物にも真っ直ぐに向き合っていた。


「それに…」


(こんな僕を案じてくれた。僕の事なんて知らないのに、水を差し出して)


蘭ちゃんの姿に、黒い短髪の彼女の顔が重なる。


(………)


配信画面で相対する檸檬色の瞳とは違う、キャラメル色の…


(………?)







「………ハッ!」


静寂に響く時計の針の音に我を取り戻す。目の前の洗井さんは微笑みを湛えているが、時計を見ると僕が黙り込んでから何分かの時間が経過していたようだった。


「だっ、黙っちゃってすみません!すみません…!」


僕が早口で謝罪を繰り返すと、洗井さんは鷹揚に頷いた。


「大丈夫だよー。でも、うん。そっかー…」


洗井さんは考え込むような素振りをし、僕の方を見遣った。


「あの子はねー、本当に今まで本当に苦労したみたいだからねー。ササラちゃんみたいにあの子を好いてくれる人々が増えて良かったなって思うよねぇ」


遠い日を思い出すように目を細める。


「槙原ちゃんがこの事務所に連れてきた時は酷く暗い目をしていてねー。腕も枝切れみたいに細くってどうなる事かと思ったけど、こうやって居場所が出来て、笑顔も増えて、熊美さんは一安心よー」


「えっ…?」


洗井さんの言葉に聞き捨てならぬ箇所があった気がして、僕は彼女の言葉を反芻する。


(暗い目…?棒切れみたいに細い腕…?)


「それって…」


僕がそれを問いただそうとした時。


「あっ!」


唐突に洗井さんが手で口を覆った。


「ど、どうしたんですか?」


僕がそう聞くと、洗井さんはチラリと会議室の時計を一瞥した。


「会議室の指定時間過ぎてる。次の人たちが待ってるねー」


「えっ!?」


僕は会議室の扉に視線を向ける。扉に備え付けられた磨りガラスには確かに待っているらしき人影がうつっていた。


「出ようかぁ」


洗井さんの声かけに急いで荷物をまとめる。そんな僕を制すると洗井さんは扉の方を指差した。


「あとの片付けはわたしがやっておくからササラちゃんは先に出なー。会議室前で待っている人らにすぐここ空きますって言っといて」


「はっ、ハイ!」


その言葉に僕は駆け足で扉に向かう。ドアノブに手をかけながら僕は室内を振り返った。


「今日はありがとうございました!お、お疲れ様です!」


「うん。またねー」


洗井さんの言葉を聞くや否や僕は会議室を飛び出す。


「お待たせしてすみません!あのっ、もうすぐ空きますからっ!」


会議室前で待っていた人々に説明をしていた僕は、


「…シロちゃんもねー、もう少し世界が広がれば良いんだけどねー」


と洗井さんが呟いた事など知る由もなかった。







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