23:ヴェアムート



 真野のペンダントが内側から発光している。

 観客のなかで唯一星座にならなかったビビの目の前で、ヴェアムートが孵化しようとしている。

 ペンダントの石にひびが入り、卵のように割れた。

 中から重たげな黒い煙の衣をまとった禍々しい頭部を現し、次いで全身が一気に飛び出した。

 鳥だ。

 黒い翼をもった怪鳥だ。

 その姿には想像を絶するものがあり、二人とも腰が引けて、思わずあとずさる。

 するどい鋏のような嘴だけが硬質で、それ以外の身体は粘度の高い黒い液体でできているようだった。

 肉体の確かな存在が感じられない。黒い翼に覆われた空虚だ。肉体どころか、血や、リンパさえも通っていないようだ。黒い柳の化け物にも見える。

 両眼はやわらかく、ギョロリとちぐはぐな方向を向いている。

「なに……これ……!?」

 驚くビビに眼もくれず、ヴェアムートは復活に悦び、力をみなぎらせ飛び回り、豪風を起こす。

 遠くの壁に衝突しては、また反対側の遠くの壁にぶつかり、そこで初めてビビはここが依然として建物の中であったと気がついた。

 隠されてあった椅子や照明を、その翼に巻き込んで粉々にして破壊の限りを尽くす。ビャオェヴヴォ、ヴヴァル、ヴヴァアアアアア。耳を塞ぎたくなるほどの奇声だ。

 荒みきった凶相に顔をゆがませた古怪の鳥は、神経を病ませるほどの金切り声を喉から搾り出した。

 真野は惚れ惚れとして目をふるわせていた。

「これが……不死鳥、ヴェアムート!」

 一瞬、何か疑問を感じたように顔を不安げに曇らせた真野。が、次の瞬間にはほくそ笑んでいる。

 暴力的に慣らし運転をしている怪鳥に、真野は願い事の催促をした。

「ヴェアムート! 私たちの計画はここで終わりです。約束どおり父を蘇らせてください! 私のよく知る、私のそばにいつもいてくれたほうの、私のパパを……!」

 だが、ヴェアムートの心には届かない。

「ヴァアアアアアアアアア、ナアアアア、アア……あァン?」

「私よ」と真野は言う。「今日まで貴方は私の胸の中にいてくれた」

「ああ、そうだったか」

 ヴェアムートは人語を理解し人語で返した。

「我を封印から解き、身体を取り戻すのに協力してくれたのは、おまえだったか」

「そうよ」

「いままでありがとよ」

 ヴェアムートは床に唾を吐き捨てる。そこから腐蝕が始まる。

「だから、これからは死ね」

「なっ……」

「身体を取り戻したからには、おまえなどもう用済み。ヴァヴァヴァアァァ……」

 怪鳥は奇声を轟かせ、両翼を打って黒い竜巻を起こす。真野めがけて飛んで来る。すんでのところでビビが身体ごとかばってあげた。

「ありがとう……助けてくれなくても、よかったのに」

 ビビは真野には取り合わず、怪鳥のほうを見上げる。

「ねえ、なんか知らないけど、約束してあげたんでしょう!? ずっと見てたら、むっちゃ嫌なやつじゃない!」

 真野も言う。

「父に合わせてくれると、確かに言った……! 約束はどうなったの!」

「ヴァギャギャギャアァァッ、約束したと信じてるんだな。それじゃあ我がそんな約束をしたかどうか、慎重に思い出してみてごらん。一つひとつ記憶を遡り……ほうら、そんな約束なかっただろう? なかったのだよ。思い違いだったんだね」

「思い違いなどない!」

「どうだったかな~? ヒトの矮小な頭脳が我の記憶力より優れているとでも? ウギャハハハアアァァ!」

「ひどいわ! だましていたのね!」

「ギャギャギャギャァァ! 出、出、出た~、『だましていたのね』……このような負け犬の台詞が直に聞けて愉悦至極の限りである……社会性が欠如しているから騙されたことに気付かなかったんだねえ……!」

 真野は色の薄くなった唇を真一文字に引き結び、裏切者を睨みつけていた。

「認知能力の低さを呪おうね、ウギャギャギャギャッ!!」

 怪鳥の目玉がぐるんぐるん回っている。滑稽なほどに。

 ヴェアムートが唆して真野に造らせたプラネタリウムは頑丈に造られていたが、ヴェアムートの前では積み木の城も同然だ。怪鳥はプラネタリウムの破壊を企てている。

「我は全てを終わらせに来た。こんな窮屈な建物も、そしてこの都市も、破壊するのは実にたやすい。寝起きの身体は実に重たく不快極まりないが、じきに全てを無にしてあげよう。ギヤヤ、ウギャギャ、グルルギャアアア!」

 鋏状の嘴が開き、口内に黒いエネルギー球が生成される。紫電をまとった黒球が放たれた。

 あと一秒でも伏せるのが遅れていたら、存在ごと消されていたかもしれない。

 ヴェアムートが翼を大きく広げると、そこに深淵が展開された。

「真野ちゃん……あれは、ブラックホール!」

「えっ!?」

 終わりへと通じる、両翼の奥のブラックホール。その中にヴェアムートは真野とビビを吸い込もうとする。

「おいで、おいで、小娘たち……」

 足に力を入れて踏ん張るが、徐々に、確実に吸引されている。

 真野が口惜しそうに目をつむる。

「父さん……」

 そのとき怪鳥の背後で、いくつもの光る線条が生まれた。その光は巨大な火の玉となった。暗い宇宙から真っ直ぐに降ってきた。

 そして怪鳥の背中を突き破る勢いでぶち当たった。

 ヴギャアアアアアアアッッ!

 ヴェアムートの痛ましい叫び。

 おそるおそる真野が目を開くと、そこには自分が葬り去ったはずの観客たちが集まってきているのだ。

 順番に降下してくる。なにが起きているのかわかっていない怪鳥の背中に、一人、また一人と高速で衝突していく。

「後ろには気をつけな、ボンクラチキンバレル」

 と、最後に怪鳥の頭に着地したアグロが言った。

「ダンナさまーっ!」

「待たせたな」

 涙が流れる。ジャコ、ウィジャ、フィズィ、Tレックス、クールル、ほかに観客たちもいる。みんな流れ星となって帰還した。全員集合だ。

「流れ星になっている間、一部始終を見ていたぞ。つまりこの、頭ハッピーセットのロリコンがヴェアムートで、自身の復活のために真野を騙していたんだな」

 彼は真野をうかがう。真野はこくりとわずかに頷いた。

 ヴェアムートがよろめきながらも膨張して炎のように揺らめいている。

「我を虚仮にするとはな。一匹たりとも生かしては逃がさんぞ……」

「何様ランチのつもりだよ。低能チキンライスがよ」

 慌ててビビも付け加える。

「そうよ、貧弱プリン!」

 貧弱プリンとは、いったい何なのか? たぶん、ノリで言ったのだろう。

 それは、それとして。


 討伐だ!



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