21:球散る卓の宙に星座はめざめる



 突如真っ暗な空間に投げ出された。

 灯りは無い。広さのほどは不明。立ち上がって歩いてみても、すぐに誰かとぶつかる有り様。

 どこからか罵声が聞こえてくる。

「おい、どこ見てんだ! 眼が肩甲骨に付いてんのかい!」

「そっちこそ! 両眼にアルマジロ寝そべってんのかい!」

 眼が慣れるまでは、みんなこんな感じだった。

 ビビたち一行は、プラネタリウムで騒ぎまくった結果、真野の怒りを買って地下空間に落とされたのだった。

 床は硬質だが、怪我はせずに済んだ。

 見上げると、マンホールのような光の円が見える。唯一の光源だ。あそこから落ちてきたのだ。

 観客を含めて合計四十人ほどだろうか。歩き回ると誰かと衝突するので、黙っているよりほかない。

 ビビは気付く。罵声が自分たちにも向けられていることに。

「うるさく騒いでたヤツラのせいだぞ! プラネタリウムで街コンしてんのかい!」

「星の数だけいる異性との出会いより、星の数だけいる星と出会わんかい!」

「責任取って、ここから出せ!」

 観客は口々に罵る。出口を求めて手あたり次第暴れるやつもいる。

 電車の一両目に出没するような物騒な独り言を発している近寄りがたいやつまでいる。

 地下空間の酸素濃度が薄くなってきたところで、ビビが叫んだ。

「みんな、静かに! あれを見て!」

 ビビは宙を指さしている。

 指の先をだれもが見上げた。

 暗闇に、後光を指して浮遊している者がいた。

 真野だった。

 ビビたちを地下空間に落とした張本人であり、プラネタリウムの唯一の星空案内人。

 真野は最後の審判を下しに舞い降りる。

 小柄な背丈にもかかわらず、気軽には声を掛けにくい威厳を備えている。

 相変わらず銀髪と菫色のリボンは変わらない。だが多くの銀河をちりばめたようにきらめく頭髪が深遠な宇宙を表象していた。

「貴方たちは、二度と出られません。ここが貴方たちの墓場です」

 死の宣告を下す。宙に浮いたままで。

「そして、ヴェアムートの養分になるのです」

 真野の胸元のペンダント内の黒い液体が揺れる。

 ヴェアムートってなんだ? 養分ってなんだ? みんなは戸惑う。

「聞きたくなかった」とクールルが顔を蒼くしていた。「あの伝説の、あのっ、あわわわ、あのアレが……まさか」

「あのアレ?」とビビ。「知ってるの?」

「そう、あのアレ! ご存知の!」

「待って! ご存知のって言われても、初耳なんだけど!」

「あのアレだよ」

「いや《あのアレ》ってゴキブリにしか使わなくない?」

「ゴキちゃんよりももっと名状しがたいものさ……うわ~、復活すると大変なことになるんだぁ……」とクールルは怯えている。「真野さん、なぜあなたが、アレを……!?」

 真野は表情ひとつ変えずに観客たちを見下ろしている。

「……教えることはありません。目下明瞭かつ絶対の事実は、あなたたちがヴェアムートの養分になるということです」

 それから無慈悲に付け加える。

「そのために、私の手で、あなたたちを始末するってこともね……!」

 場が硬直する。

 真野の発言をめぐって誰もがその解釈に時間を要した。

「は?」

「なんだって?」

「真野ちゃんってそういうキャラだったの~?」

 口々に軽率なブーイングを飛ばす観客たち。

 だが真野は無慈悲に言い放つ。

「そういう、キャラです」

 突然、真野の拳が光り出した。その拳から天と地に双方向にむけて光の線分が伸びていく。群星の光が集結し、次第に棒のかたちを成していく。それはビリヤード球を突くための道具に酷似していた。見る者すべての眼に焼きつけていく。

 ビリヤードのキューが彼女の手に顕現した。彼女の身長と同じくらいの長さ。それでいて、まだ光を放ちつづけている。

 真野が手のひらを虚空に差し出すと、手のひらの浅い窪みの上に光の球があらわれる。

 真野の身体のまわりにも、光の球が土星の輪のように取りかこんでいる。

 それどころか、空間のあちこちにも光の球が蛍のように浮かんでいる。

 しんみりと、はかなげなムードも漂う、あの夏の終わりの水辺みたいに。

「こういうキャラで申し訳ありません」

 真野がビリヤードのキューを突く。それが彼女の天葬遊戯だ。球は別の球にぶち当たり、さらに別の球にも衝突して、あたり一帯の空気は光の球の散乱によってかき乱される。

 散らばった光の球が宙で静止すると、わし座を形成していた。

 わし座は立体的な厚みを持ちはじめ、体温すらも持ち、本物のワシになった。

「ええ、ワシ!?」「なんでワシ!?」と周りが騒ぐ間もなくワシは大きく羽ばたき、空中で円を描いて絶叫しながら舞い降りてくると、観客を襲撃した。

 羽根が舞い、血飛沫が噴く。観客は血まみれだ。

 ミサイルのようにビビが頭からすっ飛んできて、頭突きし、観客からワシを剥がしてやった。ついでにワシを往復ビンタ。ワシは「どうしてこんなことに」とでも言いたげに呆けていたが、脳震盪を起こして動かなくなった。

「…………」

 真野は無感動にビリヤードのキューを突き続ける。ねめつけるような視線で光の球を突き続ける。

 光の球がおおぐま座のかたちを成し、大きなシロクマがあらわれる。シロクマが立ち上がって両腕を伸ばして威嚇すると、観客たちは血の気が引いて、うろたえた。

「こ、ころされる!」と観客が叫んだ。「大声で威嚇してきて話の通じないタイプの体育教師の担任よりこわぁい!」

 その観客めがけて、シロクマが突進してきた。彼は目をつむって尻もちをついたが、おそるおそる目を開けると、そこにはTレックスががっぷり四つで組み合っているではないか。

「俺が守ってやったぜ! さあ、立つんだ!」と言ってシロクマを片手でねじ伏せた。「世の中には体育教師よりもこわいヤツがたくさんいるぞ」

 いまや宙にちらばる光の球のおかげで、お互いの場所も見えてきた。

 真野は軽やかにキューをさばいて球を突く。

 宇宙という名のビリヤード卓で。

 こいぬ座。

 チワワが出現する。

「ありりっ、ワンちゃんだっ、かわいいね」クールルは手を差し伸べる。「お姉さんとドッグラン行かない? きゃははっ、お手、お手っ!」

 勇敢な子犬はよだれを垂らしながらクールルの手にかぶりつく。

 ガブーーーーーーーーーッ!

「ン゛゛ワ゛゛ァ゛゛ーーーッ!」

 痛そうですね。

 真野はすました顔でキューで球を突き続け、場を混乱に陥れた。

 球がどんな星座を結ぶかはわからない。ランダムなのだろうか。確実なことは、放たれた光の球がほかの球と結びついて星座をつくり、それが実像として変化することだ。おまけに敵意をもって襲いかかってくることも。

 コンパス座でさえも襲ってきた。

「どうしてコンパスが襲ってくるんだ!」

 観客が襲われている。

「やめてくれ、ああ、コンパスなんて見たくない! コンパス怖いよお! 算数の授業でコンパスが必要なことを当日の朝になって思い出して、カーチャンにバレて怒鳴られまくってコンビニへ急いで買いに行ったあの時の思い出がよみがえるんだ。そんで安くないくせに粗末なコンパスだから、すぐに使い物にならなくなる、あの股のゆるいコンパスなんて見たくもないぜ、クソビッチ文房具がよ!」

 モブのくせによくしゃべるのだった。

 ところでアグロも負けていない。

「八分儀がなにか知らないが、ひざでへし折ってやったぜ。マイナーな拷問器具か、これ?」

 いまだかつて八分儀で処刑された者はいないだろう。

 のんきなことは言っていられない。

 打つ手もないのだ。

 真野は手を止めることをやめず、星座の生物はだんだん凶悪なものになっていった。

 射手の弓矢が飛び交う。ペガサスが駆ける。ケンタウルスが突進してくる。

「真野を捕らえろ!」とだれかが叫んだ。

 宙に浮かぶ真野の下にこっそりと接近した観客の一人が、大きく跳躍して真野の足を捕らえようとした。

「触らないでください」

 真野のたくみなキューさばきでいなされる。

 これでは爆弾を投擲しても、さばかれてしまうかもしれない。それにうまく当たらずに、落ちてきたら被害甚大だ。

 ビビたちは星座と戦った。しかし劣勢だ。

 ばたばたと倒れていく者がいる。その数は次第に増えていく。

 そのうち真野は飽きたのか浮遊しながらどこかへ逃げる。

 なんと、密室だと思われていた空間は、水平にも広がっていた。闇のむこうに空間がどこまでも続いている。

 星や銀河が散らばる宇宙だ。不思議なことに床には、赤や青に光る霧状の帯がなびいていて、白い煙もどこからか吹いている。

「ビビ、アイツをまかせた! おれはみんなを最後まで守る」

「……え、でも……わかったわ、ダンナさまっ!」

 ビビは走り出す。真野を追いかけて。

 背後から大剣を手にした少年勇者が駆けてきてビビに詰め寄る。

「我はペルセウス、人を惑わす悪魔よ、斬り殺してくれる!」

 ペルセウス座までが具現化している。

 宙に浮かぶ球の光を照り返し、大剣が目映く光る。

「貴様を斬り捨てるなど造作もない!」

 大技の斬撃の直後、ビビは隙を突いて、少年勇者の懐に飛び込む。百戦錬磨にして一騎当千の少年は躊躇わずビビを打擲する。すかさず彼は距離を開けた。

 だが、革のベルトがはぎ取られていて、下半身に冷ややかな空気を感じた。少年勇者は下着姿で立っていた。

 白のブリーフパンツ。

 ビビが高速でずり下ろしたのだ。

「……ば、ばっかじゃねぇの! 変態! 変態! ヘンタイがよ! そういうの、やめろよな……! 破廉恥なヤツ……!」

 前かがみになって赤面。だが雄叫びを上げながら、すぐに襲いかかってきた。

「この爆弾は気持ち悪いから使いたくなかったけど……!」とビビは距離を離してから生物兵器を投げつける。「凝縮ダニ爆弾!」

 爆発するとペルセウスは全身ダニまみれになり、太ももの内側とか、睫毛や鼻毛の一本一本までダニに噛まれた。全身噛み痕だらけになり、痒みに苛まれ、その場に倒れてもだえ苦しんだ。

「覚えてろーッ!」

 ビビは逃げる。真野を追いかける。

 あとからジャコとウィジャの少年二人が付いていこうとする。

「俺たちも行くぞ、ジャコ!」

 小さな蟹を握りつぶしながらウィジャが言った。

「うん! そうだね!」

 決心したジャコの靴の裏にはつぶれた蟹が張りついている。

 蟹座は最弱なのだった。

 二人はビビを追いかけて走り出した。

 そのときだ。

 ウィジャの身体めがけて、天からみずがめが落ちてくる。動物の亀ではない。置き物の甕だ。

 ズドン。ウィジャをすっぽり覆ってしまった。

「なにーーーーーっ!! 暗い! 見えない! ここから出せー! おい、ジャコっ、俺いまどうなってるんだ!」

「いきなりでっかい甕が落ちてきたんだ。全体的に白くて、きれいな文様が彫られてある。博物館にキャプション付きで飾られてもおかしくないくらいに傑作だよ。どう? 怪我はしてない?」

「怪我はないんだが、内側からじゃびくともしないぜ。外から倒せるか?」

 ジャコはみずがめをコンコンと手で叩いてから、両手をそろえて押してみる。甕は重く、びくともしない。底部に指を入れて持ち上げようと試みた。重すぎる。頑張ればいけるだろうか。何かてこになるものがあれば、倒せるかもしれない。

「……ウィジャ君は調子に乗りすぎるから罰が当たったのかもしれない」

 と、つぶやく。

「え……な、おまえ……なにをいっているんだ!? 俺が……調子に……?」

「そう、調子に」

「そんなに俺って調子乗ってる?」

「騒いではいけない場所で『おまえは何等星? おれは優等生~!』とか言ってた!!!」

 歯を食いしばり、真剣な顔つきで友人の罪状を訴えるジャコだった。

「……え? 俺ってそんなこと言ったっけ? うそだ……まったく記憶にないぜ……本当に覚えていない……もしかして若年性痴呆症なのかな……」

 みずがめの中でぶつぶつと呟いているが、くぐもって外には聞こえづらい。

「あのね、ウィジャ君と関わってから、よく夢の中までウィジャ君が出てくるようになったんだ。動画サイトで一度見た配信者のチャンネルを次からひたすらオススメされるみたいな鬱陶しさだよ」

「え……いいことじゃん! 昼と夜で二倍仲良くできるんだぞ? だからチャンネル登録お願いしま~す!」

「よくないよ! チャンネル登録もしないよ!」

「……もしかして、夢にまで見るほど俺のこと好きなの?」

「嫌いじゃないけど好きじゃないよ。ただの腐れ縁だよ……ねえ、ウィジャ君は置いていくね?」

 猫耳をへたれさせる。

 甕から身を離し、友人を置いていく素振りを見せた。

「いやだ、俺も一緒に行く!」こもった声が響く。「頼むよ、これをどかしてくれ!」

「もう、しょうがないなあ。もうちょっとだけやってみるよ」

 そんな二人にも、星座の猛獣たちは徐々に迫りつつあった。



 *



 いっぽうその頃。

 後退しながら逃げていく真野を、ビビだけが追いかけていた。

 真野はそのことに気付いて宙に止まった。

「真野ちゃん」

「何」

「あのね、メキシカンバトルサーカス『メチャリブレ』のデンジャーマスクが言ってたんだけどね」

「……どなた?」

「あなた、やっぱり悪い子だったのね!」

「自分のことを良い子だと思ったことはありません」

 残念ですが、と添えた。

「ヴェアムート復活の時は近いのです。私は星の力をいただき強大な力を得ました。プラネタリウムに招いた者どもを、ヴェアムート復活のための養分にしていましたが、それも今日で終わりです」

 暗い宇宙空間を背景にいくつもの天体が通り過ぎていった。

「今ごろほかの方々は星座になっています。死んだ者は星になるというでしょう」

 真野が天を指すと、宇宙の暗闇にひときわ明るい星々が輝く。

「ほら、今、星が増えましたね」

 ビビが顎を突き出して、見上げる。

 遠い天蓋に何が像が見える。それが何なのか今はわからない。が、しだいに像を結び始める。

「ダンナさまなら負けないわ。それにチョコ屋のおじさんだって強いのよ。ほかにもみんな……」

 と、言いかけたとき。

 黒々とした半球のあちこちに、アグロだけでなく、仲間たちの姿が浮かび上がった。両手両足を思い思いに伸ばして、あるいは窮屈に縮こまり、それぞれの星座をつくっている。

 みんないる。なぜかみんなダブルピースしているのは、さておき。

「ほら、星になりましたね。あの方々は、私が生み出した星座にやられて、宙へ召されたのです」

「うそ! じゃあピースしているのはどういうことよ?」

「知りません。最期くらい、おどけているのではないですか。今まで見た中では最も滑稽な観客でしたから」

「なるほど……あ、ありそう……」

 ありそう、じゃなくて。

「そんなの信じないわ!」

「疑うなら戻ってみればいいのです。今ごろあそこはもぬけの殻です。貴方の大好きな方も空に浮かんでいるではありませんか」

 ビビは二度とは空を見上げない。全身の血が熱くなるような心地がした。が、すぐに冷静になった。

「戻らないよ。あなたを説得しにきたの。真野ちゃん。なにが目的か知らないけど、こんなことやめよう?」

 眼には憐憫の色すら浮かばせている。

 しかし真野は取り合わない。口を真一文字に結び、長い睫毛を伏せて、かすかに首を振った。

「ここまで来た貴方だけには、私の壮大な計画のクライマックスを見せてあげてもいいです」

 胸のペンダントを掌中に握りしめ、ゆっくりと呼吸を整えた。

「全天に星が満つる時、ヴェアムートは蘇る……荘厳な神威の顕現を見せてあげましょう」

 真野の胸のペンダントの黒いタールのようなものが蠢きだした。



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