8:真野



 海鮮バーベキューを焼くことも、平らげることも、べつに大した重要な時間ではない。大事なのはそのあとに煙草をゆっくり吸うということだ、とでも言いたげにアグロはテント横の簡易チェアに座って煙草をゆっくり吸っていた。

 ビビは近くを探検しているらしい。

 依然としてここは万貨店の屋根の下であるはずが、アグロが首を曲げて見渡した周囲には自然公園が広がっている。綺麗に刈り取られた芝や、川にかかる太鼓橋、売店のバンガロー、灯りに蛾の飛び交う洗い場、そして奥には黒々と生い茂った森も確認できた。

 だが天を仰ぐと、人工の夜空が広がっている。星はぼやけて見えた。

「できそこのないの星空だな」

 すると反応が返ってきた。むろんビビの声ではない。

「ちゃんと見たいでしょう、星空を」

 夕方出会った不思議な少女だった。

 特に振り返るでもなく、つぶやくようにして言う。

「本物の空のほうがいいさ。こんな万貨店の中にいるよりも、外に出てな……。おそらくそれはプラネタリウムなんかよりもずっと良い。そう思わないか?」

「そうは思いません。プラネタリウムにはプラネタリウムなりの良さがあります」

 その声を聞きながら、アグロは手に持ち替えた煙草の火だけを見つめていた。

「快適な環境で、風邪をひくことないもんな」

「……それだけじゃありません。世界が厚い雲に閉ざされても、プラネタリウムならいつでも星を見届けられるのです」

「その心配ならいらない。この街は毎日晴天だから」

 都会の灯りに邪魔されて、星が見にくいことはあえて黙っていた。

 続けてアグロはそれとなく話を変えた。

「きみは親といっしょかい?」

 少女は質問には答えなかった。

「おじさん、あの子と、プラネタリウムに行くんですよね?」

「おじさんってやめてほしいナ」

 真顔のままに、かすれた声を出す。

「あ、はい」

 少女は、んん、と咳払いのような低音を喉から発した。

「あの子にしょうがなく、ついていくだけ? 星に興味は無いんですか?」

「まず先に、どうしてきみが、おれに興味あるのかを知りたいんだがね」

 しかし少女は、質問には答えず黙っていた。

「参ったね。星は嫌いじゃないよ。それどころか大好きなくらいさ」

 少女の声に明るさが増した。

「どうして星が好きなんですか?」

「どうしてって。なんかいいよな、くらいなもんだぜ」

「星空って、なつかしい、ですよね」

「なつかしい?」

「星ってのは、みんな、私の古い友達なんです。星をずっと見ていると、そんな気がしてくるんです。あの、どういうことかと言うと……」

「ふむ。いい考え方だな。星は友達か。どうもそんな気がしていたんだよな」

「……えっと、説明する前から受け入れてくれたのは、あなたが初めてです」

「いや、いや、友達ってのは、いいもんだぜ。好きになぐったり、いつでも金を借りたりできるからな」

「暴力はいけませんよ」

「へーめずらし」

 少女は不意に名乗った。

「真野といいます」

 一瞬の静寂。

 キャンプ場の芝を撫でていく夜風の音が聞こえる。

 ようやくアグロが振り向くと、そこに真野は立っていた。透き通った青い眼をもつ、銀髪の少女だった。

 左右で結んでいる。菫色のリボンが憂愁を醸す。

 あいかわらず首飾りをしているが、黒い液体の澱んでいる輝石だけが異様で、そこだけは彼女にそぐわなかった。

「ぜひプラネタリウムへお越しください」

 と真野は言った。


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