第5話 今すぐ焼いてきます!

 それからというもの、時間ができた時には鍛錬所に足を運ぶようになっていた。

 騎士隊のみんなはおおらかで、部外者が来ても一向に嫌な顔をしないのが有難い。

 特にキアリカ班は女性隊員が多いので、サビーナが行くと歓迎ムードだ。ファナミィとも仲良くやれているし、行くのが楽しみである。

 そうして今日もルンルンと鍛錬所に行こうとすると、この日はセヴェリに呼び止められてしまった。


「サビーナ、また鍛錬所に行くのですか?」

「あ、セヴェリ様! いえ、御用があるなら、もちろんそちらを優先します!」

「いえ、用というわけではないのですが……」


 そう言ってセヴェリは息を吐いた。


「あの、どうか致しましたか?」

「いえ、最近のあなたは鍛錬所に行くのが楽しくて、私との約束を忘れてしまったようだ」


 約束? とサビーナは首を捻らせる。

 セヴェリとの約束を忘れるはずがない。約束などしていたら、最優先でそちらを先にこなすはずだ。


「あの……申し訳ございません、なんのころでしょうか」


 そういうと彼は少し眉を寄せた。そしてほんの少しだけ責めるように問いかけてくる。


「時間ができた時は、クッキーを作ってくれるという話でしたが?」


 え? とサビーナは若干のけぞった。

 あれは約束だったのだろうか。作っても作らなくてもどちらでもいいと認識していたのだが、セヴェリにとってはそうではなかったようだ。胸の中にしまったという焦りが生じる。


「すみません! 今すぐ焼いてきます!」


 慌ててそう言うと、セヴェリは「頼みましたよ」と部屋に戻っていった。

 サビーナは急いで厨房に駆け込んで料理長に許可をもらうと、早速クッキーを作り始めた。

 バターと砂糖を入れてガガガッと力任せに混ぜ、卵を分離も厭わず一気に加えると、小麦粉を規定の量より多めに入れて捏ねる。

 生地が出来上がると寝かせもせずに、適当な大きさに千切って並べ、薪オーブンに放りこんだ。

 強めの火でさっさと焼きあげると、皿に乗せてティーセットと共にセヴェリの部屋へと向かう。

 別れてからわずか二十分ほどで扉を叩いたサビーナに、セヴェリは目を丸めていた。


「は、早かった、ですね……」

「急ぎました!!」


 お皿をテーブルに置いて紅茶を淹れると、セヴェリがクッキーに手を伸ばしてくれる。形の悪いクッキーがセヴェリの手に触れ、彼の歯が立てられた。

 ポリッ

 なぜかクッキーらしからぬ音がして、その瞬間、セヴェリが顔を伏せる。そう言えば、味見をしていない。まさか砂糖と塩を間違えるようなポカはやらかしていないはずだが……とサビーナが青ざめた瞬間。


「プッ! ク、クククククッ」


 唐突に彼は肩を揺らし始めた。それは一拍待ってもおさまらず、サビーナはどうしたことかと目を丸める。


「セヴェリ様!?」

「っぷ、ックックック……! 本当に……! あなたの作ったクッキーは……ック、最高、ですよっ!」


 そう言ってセヴェリは『耐え切れない』というように、己の口と腹に手を当てて細かく体を揺らし続けた。なぜか笑いのツボに入ってしまったようである。


 ど、どこがスイッチだったの?

 

 サビーナはポカンとしたが、砂糖と塩を間違えたわけではないらしいのでホッとし、そのままセヴェリの笑いが収束するまでしばらく待った。

 彼はケホケホと少し咳き込み、紅茶を喉に流すことでなんとか落ち着きを取り戻したようだ。

 セヴェリは息をフウと頬を膨らませるように息を吐き出すと、ようやくいつもの笑顔をサビーナに向けてくれた。


「大変美味しいですよ。ありがとうございます」


 その笑顔は相変わらず素敵だが、あれだけ大笑いされた後で言われても素直に受け取れるわけがない。サビーナは「はぁ」と気のない返事をして、無理矢理口の端を上げて作り笑いを見せた。


「本当なのですよ。また、必ず作ってくださいね?」


 そう言ってセヴェリはまたクッキーを口に運ぶ。今度は吹き出すこともなく、目を細めて味わうように食べ進めていた。

 急速に減っていく紅茶におかわりを注ぐと、嬉しそうに微笑んでくれる。

 あんなに笑われてあまり気分は良くなかったが、この笑顔ですべてを許せてしまうから不思議だ。

 ぼうっとセヴェリがクッキーを食べている姿を見ていると、ホールの方から来客を知らせるベルが鳴った。サビーナが反応し、セヴェリが頷きを見せる。


「どうぞ、あなたの仕事をなさって下さい」

「はい、すみません。失礼致します」


 急いで部屋を出て玄関に向かうと、すでに先輩メイドが来客の対応をしてくれている。入れ替わるように交代すると、すれ違う時に耳打ちをされた。


「セヴェリ様の婚約者の、レイスリーフェ・クラメル様よ。失礼のないようにね」


 言われて見てみると、そこには一人の女性と護衛の騎士が二人立っている。

 セヴェリに婚約者がいるという話は聞いたことがあったが、実際に会うのは初めてだ。

 レイスリーフェはストレートの美しく長い銀髪をさらさらと揺らしている。大きな瞳は青いガラス玉を入れたような、優しい光を放っていて印象的だ。セヴェリと同い年と聞いたことがあるので二十三歳なのだろうが、童顔と低い身長のためにかなり幼く見える。

 美女というより、美少女と呼ぶ方が適切なくらいだ。


「セヴェリ様にお会いしたいのですけれど」


 サビーナが思わず見とれていると、レイスリーフェの方からそう伝えてきた。顔も可愛ければ声まで可愛い。小鳥がさえずるような高いトーンの、それでいてしっかりした声音だ。

 サビーナは一度レイスリーフェらを応接室に通し、セヴェリに伺いを立てに行く。


「セヴェリ様、ご婚約者のレイスリーフェ様がいらっしゃいました。現在、護衛の方たちと応接室にお通ししていますが、どうなさいますか?」

「……レイスリーフェが?」


 セヴェリが驚いたように顔を上げ、なぜか少し眉根を寄せて考えてから「レイスリーフェだけを私の部屋へ通しなさい」と告げられた。

 ふと見ると、クッキーの皿とカップが空になっている。それらを引き上げて急いで応接室に向かうと、レイスリーフェだけをセヴェリの部屋に案内した。

 そしてもう一度、二客分のティーセットの用意をし、セヴェリの部屋の扉を控え目にノックする。


「サビーナですか?」

「はい」

「お茶は要りません。下がっていなさい」

「はい」


 中からそんな声が聞こえて、サビーナは言われた通りにそこから立ち去った。

 二人は婚約者なのだ。今から紡がれるはずの甘い時間を邪魔してはならない。

 サビーナはそんな二人を想像しかけて、ブンブンと首を横に振った。

 そして気を取り直して、今度は応接室に待たせてある護衛の騎士達のところに、お茶を運ぼうとする。そしてノックをしようとした瞬間、中から声が聞こえてきた。


「まったく、オーケルフェルト卿はなにを考えてからいるのやら……」

「それを正すために、わざわざレイスリーフェ様がここまで出向かれているのだ」

「逆にほだされなければいいんだがな……」

「それでも俺は、レイスリーフェ様がお決めになったことならば従う覚悟はある」

「冗談はやめてくれ。俺は正騎士兵相手に、大立ち回りを演じたくはねぇぞ」


 なんの話をしているのだろうか。サビーナにはさっぱりわからなかったが、これ以上立ち聞きするのは失礼だ。

 サビーナがコンコンと扉を鳴らすと、中から慌てたような衣摺れの音が聞こえてくる。そしてそれが収まるのを待ってから、「失礼致します」と部屋に足を踏み入れた。


「お茶を持って参りました。どうぞお寛ぎ下さい」

「ああ、茶か……すまんな」


 二人の騎士は少し気まずい様子だったが、サビーナは気にせずにお茶を注いだ。


 結局その日、レイスリーフェ達がオーケルフェルトの屋敷を出たのは、夕刻になってからであった。

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