5-6 問い直すんだ、この恋を誇る権利

 翌日、日曜日。

 仁輔じんすけが部活に出ている間、あたしは津嶋つしま家に来ていた。


「ごめんね咲子さきこさん、急に押しかけて」

「いいよ……別に昔から、大してアポなんてなかったじゃん」

「そうなんだけどさ」


 テーブルを挟んで座る、あたしと咲子さんにとって当たり前の構図だけれど。

 今日はやはり、緊張が止まらない。止まらないが、ここで引っ張っても意味がないので。


「それでね。今日は咲子さんと、ちゃんと話したいことがあって」

「うん」

「咲子さんがあたしのことどう思っているのか、どうなりたいのか、本音で聞かせてほしいです」


 咲子さんは長い溜息をついて、しばらく俯いてから。

「……私たちの恋なんてさ。もう、どうにもならないでしょ?」

「仁から聞いたんだよ。あたしと咲子さんが付き合うことが、仁や岳志たけしさんにとっても良い道なんじゃないかって」

「……仁が、本当に?」

「うん、パパも仁から聞いてる」

「さすがにやすさんは反対したでしょ」

「慎重派だったけど、あたしたちが本気なら岳志さんとぶつかる覚悟もあるって」


 頭を抱える咲子さん。

「なんで康さんまで……勘弁してよ」

「あたしの真剣な願いなら叶えたいから、じゃないかな」

「……あの人、意地張るときは張っちゃうからなあ」


 咲子さんは周りに止められることで、あたしを恋愛対象から外すことに納得していたのだろう。だから今、鎖を外されてひどく困惑している。

 困惑しているということは、心のドアは開きかけている。


「教えて。咲子さんにとって、岳志さんはどんな人かな」

「いいお父さんだって思ってるよ。遠くに離れているのは不便なこともあるけど、立派な仕事しているし、仁の心の支えでもあるから」

「あたしが聞きたいのは仁の父親としてじゃなく、妻としてだよ」

「……感謝も尊敬もしてるよ。色んなこと周りと比べたら、恵まれてる妻だって思うよ」


 ここまではあたしにも分かる、社会的な話も経済的な話は。

 だから本当に聞きたいのは――踏み込め、あたし。


「岳志さんのこと、愛しているのかな」

「……愛って、」

「仁が家を出て、岳志さんが退官――再就職してもいつか退職して。二人だけで、死ぬまで一緒に暮らそうって思えるかな」

「そうしなきゃって決めてるよ」

「しなきゃじゃなくて、そうしたいかの話」

「もう選べる歳じゃないんだよ私は!」


 咲子さんの大声は、きっと怒りじゃなくて悲鳴だ。

「もう20年近く夫婦やってきて、この先も夫婦でいるつもりで準備もしてきたの! 今さらひっくり返すなんてワガママ……怖くて言えない……」

 涙ぐむ咲子さん。彼女の隣へ、あたしは席を移す。


「咲子さん、まだ39歳でしょ? 元気でいれば、岳志さんと出会ってからよりも長い時間、これから生きていくんだよ。それに、岳志さんのことを一番には思えない咲子さんと生きていくの、岳志さんもしんどくならないかな」

「……お互い諦めてるよそんなの、夫婦なんて大体そんなものだから」

「だとしても確かめてみようよ、言わないで諦めるのは早すぎるよ、だって」


 紬実さんから受け継いだ言葉。

「どんなにケンカしたって、揉めたって。生きてるなら、仲直りだって出来るじゃん。

 どんなに伝えるのが恥ずかしくても怖い気持ちでも、生きてる人にしか伝えられないじゃん」


 咲子さんは実穂さんに、本当の気持ちを言えずじまいだった。

 あたしもママに、ありがとうも大好きも言えずじまいだった。


「あたしだって。まだ咲子さんから、本当の気持ち聞いてないよ。

 聞けるうちに聞きたいし……叶えられるうちに、叶えにいきたい」


 咲子さんはしばらく目を閉じてから、あたしを見つめる。

 どちらからともなく手をつないで、咲子さんの本当の話が始まる。


「私ね、義花に謝らなきゃいけないんだ。実穂があなたを産もうと思わなければ、今も私は実穂と一緒にいられたんじゃないかって、考えたことは何度もある……あなたは何も悪くないって、分かってるのに」

 予想できていた咲子さんの想い。それでも、告げられると胸の底まで重く響いたけれど。

「そう思っても無理ないよ、誰だって頭に浮かぶよ。それでも咲子さんは、こんなにあたしを大事に育ててくれた、それが全てだよ」


 あたしは咲子さんの頬に手を当てながら訊ねる。

「咲子さんはあたしのこと、どんなふうに思っているかな」

「大好きだよ。娘として妹として親友として、本当に大事でたまらない存在。

 けどね……今はね」


 何度かゆっくり息を吸ってから、咲子さんは告げる。

「実穂に向けてきた好きに近づいていて、つまりは恋の好きなの。だから義花も同じ気持ちだってこと、本当は夢みたいに嬉しいの」

 本人から聞けて嬉しいのに、声が苦しげで辛い。


「けど、それはね。ゼロから義花を好きになったんじゃなくて、実穂から産まれた女の子だから好きになったの。実穂とは叶えられなかったことを、義花に夢見てるだけなの。

 それにね。生まれたときからずっと面倒みてきた、慕ってくれた子供に。こんな大人が恋したらダメじゃない……抱きたいとか、体で愛し合いたいなんか、思ったらダメじゃない」


 咲子さんは今も、自分を責め続けている。

「私は誰にも、この恋を誇れない。誰より自分が、恥ずかしい気持ちだって知ってる。だから、だから……義花と一緒には、なれないよ」


 深呼吸してから、あたしの番。

「あたしはさ。ママの代わりでも、咲子さんに愛されたら幸せだよ。あたしがいることで、咲子さんがママに抱く悲しみが癒やせるなら、それが誇らしい」

「……でも、」

「再来年には18歳、今の法律なら成人。今は子供だけど、もう大人に近づいてるんだよ」


 迷う咲子さんへ、まっすぐに言葉を通していく。

 だってあたしは、あたしの気持ちはよく知っているんだ。

 胸の中にある大切なら、人生で一番大事なモノなら、迷わず見つけられるんだ。


「何より、あたしはね。それがどんな形であっても、あなたに愛されることが誇らしいです。あなたを幸せにできる理由があたしにあるなら、あたしは諦めたくないです」


 咲子さんの瞳が揺らいで、閉じて、またあたしを見る。


「……義花は、本気で、私と一緒に生きてくれるの?」

「本気だよ。今すぐは無理だけど、咲子さんを幸せにできる大人になるためにいくらだって頑張れるよ」

「義花はこれから、綺麗で格好いい女性にいくらだって出会える。これからどんどん老けていく私が、そのチャンス奪うなんて」

「あたしに見える咲子さんはいつだって最高に綺麗だよ、十何年も一緒に過ごしてきた今が一番眩しいんだよ、それは咲子さんにだって否定させない」


 咲子さんとつないだ右手に力をこめながら、左手で咲子さんの頬に触れる。


「どんな人生になっても、どんな世の中になっても。

 あたしがいて、そばに咲子さんがいて、二人とも元気でいられたら、それだけで十分なんだ。

 あたしが誇りたいのは、守れるようになりたいのは、咲子さんと一緒にいる今なんだ」


 咲子さんの涙を指で拭う。その涙の理由は量りきれなくても、拭える場所にいることを諦めたくない、諦められない。


「もし、もしね。義花と、私たちの家族が、認めてくれてもね。私と義花の仲を、他の人になんて言えないよ」

「咲子さんが不安なのはどうしようもないけど、あたしは他に言えなくてもいいよ。別に籍が今のままでもいい、パートナー制度じゃなくても養子だっていい。他の人がどう解釈して、もしバレて何を言われたとしても、咲子さんと離れる方があたしは怖い」


「他の夫婦みたいに祝福されることも、結婚式みたいな場がなくても?」

「元からあたしはそんなの興味ないもん、あたしが大事だって想うことに周りの気持ちなんて関係ない……昔からそうだって、咲子さんなら分かるでしょ」


 一つずつ、咲子さんの不安に答えを返していく。あたしが自分に問うてきたことだから、迷わず答えられる。

 咲子さんがあたしとどうなりたいか、その決断に焦点を近づけていく。


「それにあたしね、真剣に叶えにいきたい夢ができたんだ。咲子さんにも、隣で応援してほしいんだ」

「……夢って、医者?」

「そう、産科のドクター。お母さんになるって決めた女性を、生まれてこようとする赤ちゃんを、助けられる大人になりたいんだ」


 咲子さんの顔色が変わる、それだけで伝わった。

「本当に、本気で、なんだよね」

「本気だよ。今の体力じゃ無理だし心のガッツも足りないから、そういうのは仁から学ぶ。勉強だって、今まで以上に頑張る。一人でも叶えにいくけど、咲子さんが隣で支えてくれたら、それが一番心強いから」


 咲子さんに抱きしめられる。生まれたときから何度もしてくれたように、頭を撫でてくれる。


「そっか、そっか……きっとね、義花が実穂にできる一番の恩返しだよ」

「咲子さんもそう思ってくれて嬉しい。あたしだから持っていける理由だからさ」

「そうだよね。それに義花がそんなに頑張るなら、大好きな人がそばにいないとじゃん」

「いてほしいのは咲子さんなんだよ、これからもそうだよ」


 咲子さんの抱擁、咲子さんの温度、咲子さんの声。あたしの心に何よりまっすぐ届く、愛情と祈り。


「……だったらね。岳志さんも、分かってくれるかも。あの人、誰かのために本気で頑張る人のこと好きだから」

「うん、仁もそう言ってた。だから岳志さんにも、その理由でお願いするつもり……すっごく怒られるかもしれないけど、諦めたら終わっちゃうから」

「そのときは私も一緒に怒られるよ。けど、もし認めてくれなくても、分かってはくれる人だから」


 咲子さんなりの夫への信頼、それをあたしも信じることにする。


「だから咲子さん。咲子さんがあたしを愛する気持ちの全部――友愛も家族愛も恋愛も性愛も全部、咲子さんには誇ってほしいんだ」

「……うん、義花がそう言うなら。けど、もうちょっと時間ほしいな」

「じゃあ約束ね……もう一つお願い」

「なに?」


 あたしへの想いのルーツが、ママへの愛だったのならば。ちゃんと確かめなくちゃいけないことがある。


「あたしは、咲子さんがママを喪った気持ちに寄り添いたいし、そのぶんだけ咲子さんを幸せにしたい。だからね、ママの娘として大事にしてくれることも嬉しい。

 けどね、あたしはママと同じにはなれないから……あたしとママが似ていないところも、愛してほしい」


「大丈夫だよ。だって義花、実穂と似てないところの方が多いから」

「ああ……そっか、今更か」

「似ていなくても、食い違っても、あなたは実穂のたった一人の子供だから。それに、私が実穂の一番好きなところは、あなたも受け継いでる」


「それは?」

「私のそばにいて、私の毎日を特別にしてくれたこと」

 思いもしなかったけど、すぐに納得した――ずっと咲子さんは、その特別な愛情に飢えてきたんだ。


 咲子さんの頭を撫でながら答える。

「……やっぱり寂しがりだよね、咲子さん」

「うん。実穂の隣にいた間、ずっと嬉しかったのに、ずっと寂しかった」

「あたしは寂しい思いさせないから……咲子さんの人生、寂しさじゃ終わらせないから」 


 そして改めて、あたしたちの目指す方向を確かめあう。


「それじゃ、咲子さん。あたしたちが恋人として付き合いたいと岳志さんに伝える……それで本当に、いいですか?」

「ええ、分かってもらえるように……その先で仲直りできるように、私も全力で頑張るから」


 やっと咲子さんが笑ってくれた。世界で一番好きな微笑みを象る頬をなぞりながら、あたしは誓う。


「あたしが、咲子さんと一緒に。人を救える大人になる夢を叶えて、幸せな恋をずっと続ける……そんな未来まで、絶対に行こうね」

「義花と一緒なら私は行けるよ。二人で、幸せな未来を迎えに行こう」



 帰宅したあたしは、パパに伝える。

「お願いです。あたしと咲子さんが恋人になれるように、手伝ってください」

「本当に良いんだな」

「咲子さんと決めました、覚悟はできてます」

「……分かった。岳志は来週末に帰ってくるらしい、それに合わせて話を通しておこう」


 かくして、お世話になった家族を引き裂く、仁義なき恋の戦いが始まる。


 


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