42話 春夏秋冬引かれてました

人気のない校門を一人でくぐった。


振り返ると、そこにもいつかの多喜たきさんの残像を見ることができる。校門の裏に忍者のように張り付いて僕が通り過ぎるのを待っている。

『おーはよー』

この時は確かこめかみに追突されたんだ。

僕は驚いて入学に合わせて新調したばかりのスマートフォンを石畳に落としてしまった。

液晶画面の角がかけてしまっても、多喜さんに話しかけられたことが嬉しくて傷を見る度にニヤけていた。

そんな一年生の春だった。


校門から真っ直ぐに伸びる石畳を歩く。

その終わりに併設されている屋外掲示板はほとんどの掲示物が剥がされており、「余震対応のため全休講」と書かれた紙だけが緑色のフェルトの壁面に張り付けられていた。

この掲示板の裏に多喜さんが潜んでいたこともあったっけ。

夏の日差しに焼かれながら坂を上り、汗だくで休校情報を確認していたら掲示板の下をくぐって、

『おーはよー』

 あの時は、顎に食らったはずだ。

自分の汗がミニカーにつくのが恥ずかしくて怒った振りをしたけれど、こんな美人の先輩とふざけ合えることが周りの友達に誇らしくもあった。

 初めて見る多喜さんのポニーテールにドキリとした夏だった。


 掲示板を抜けて文学部棟に足を踏み入れる。

 誰もいない校舎は少し狭く、いつもと違う匂いがした。

一階の突き当りにあるのは大教室、鍵がかかっているようで扉を引こうとするとガコンと手が弾かれた。

 一般教養で使用される大教室は三百人のキャパを誇るが、例え満席になっていたとしても多喜さんの姿は教室に入った瞬間すぐに見つけることができた。目が合うと多喜さんは微笑みながら手招きして僕を隣に座らせ、

『おーはよー』

 耳打ちと共に頬にポルシェを突入させ、頭に乗っていた枯葉を取ってくれた。

眼鏡をかけた多喜さんが少し大人びて見えた秋だった。


 部室棟の入り口もやはり施錠されて入れなかった。

 そのまま建物伝いに小道を歩き、『裏庭ステージ』の方へと回ってみる。

それは数個のマンボール用にコンクリートで舗装されただけの、庭とも呼べないような二メートル四方のただのスペース。

ここが新入生にとってステージだった。


 息の凍る寒い日も、僕達はコートを着込みながら自分達なりに自主練習したシーンを時間の空いている先輩に見てもらった。芝居に厳しい伊鶴先輩と違って多喜さんはいつも後輩の演技を褒めてくれる。特によくできた時は、

『おーはよー、おーはよー』

 と、ポルシェで頭を撫でてくれた。

タイヤが髪の毛を巻き込んで堪らなく痛かったけれど、憧れの多喜さんに演技を褒めて貰うのは素直に嬉しかった。

モコモコに着ぶくれする多喜さんが雪だるまに見えた冬だった。


 カフェテラスにも当然ながら人の影はなかった。

 体に馴染んだ端っこの二人席に腰を下ろす。パティスリーTSUBAKIが開店した去年の二月から、ここが僕と森田先輩の定位置だった。昼休み、日替わりマフィンをテーブルに乗せて待っていると、

『おーはよー』

 と、ダブルチョコレートとポルシェを携えた多喜さんがどこからともなくやってきた。

森田先輩は迷惑そうにしていたけれど、例えマフィンでも多喜さんの物が貰えるのが嬉しくて、昼休みが待ち遠しかった。


 春夏秋冬、また春。どの思い出にも多喜さんがいた。

多喜さんとミニカーのポルシェが、僕の思い出を繋いでくれた。


 カフェテラスの正面には石造りの野外ステージが見える。


僕が初めて多喜さんの演技を見た、あのステージだ。目も、意識も、記憶も、心も、魂までも丸ごと奪われた一年前の新入生歓迎公演。その光景は、消えない壁画のように今でも石のステージ上に刻まれている。


『舞台上の女優に惚れるなよ』

 高校時代、演劇部の先輩にそう言われた。

 ステージで特別な役を演じる『役者』と、日常生活を送る『人間』は全くの別人だから。

 だから僕は、ずっと認めないようにしていたのかもしれない。


でも、今ならわかる。

僕は、本当は―――。


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