23話 そういう人



「あと一分だよ、海堂かいどうくん。急いで」

「はい」


 猛スピードと駆けていく多喜たきさんの背中を必死で追いかけて改札を抜けた。

終電前の駅のホームに人影はなく、僕達の足音がやけに大きく響いて耳に返ってくる。

「ふう、セーフだね。ちょっと電車遅れてるみたい。よかったぁ」

 額の汗を拭うふりをしながら、多喜さんはベンチに腰を下ろした。

「すみません、僕のせいでなんかバタバタさせちゃって」

「いいよいいよ。可愛い後輩のためだし、何よりスーパーヒーロー活動だしね」

「あれで、大丈夫でしたかね」

「……大丈夫だよ。きっと」

 一呼吸の間を開けて、多喜さんはいつもより丁寧に笑みを浮かべて見せた。


 あの後、ギリギリまで悩んだ末に僕は一円玉をテーブルに置いて店を出た。

テーブルを片付ける時に気付くであろうしゃっしゃさんが、忘れ物として店に届けるまでもなく、かといって捨ててしまうのは躊躇われる物として選んだ、一円玉。

「ちゃんとネコババしてくれてたらいいですね」

「そうだね」

「ちゃんとネコババってのも変な感じですけども」

「そうだね」

 パタパタと靴を踏み鳴らして笑う多喜さん、そっと僕の顔を見上げ、

「やっぱり優しいよね、海堂くんは」

 しみじみとそう言った。


「何ですか、急に。やめてくださいよ」

「だってさ、見ず知らずのウェイトレスさんのために必死になって考えてるじゃん」

「それは多喜さんだって一緒でしょ」

この一年ずーっとやってるじゃないですか、同じことを。

「うん、でも今回はわたし初めから諦めてたから。今回は海堂くんの勝ちだよ」

「勝ち負けの基準がわからないですから」

「何? 照れてるの? 可愛いねー」

「やめてくださいって、もういいですよ」

 指を差して笑う多喜さんから顔を背ける。

とっくに時間は過ぎているけれど終電はまだ来ない。小さな羽虫が時計の明かりに誘われてチラチラと舞っていた。


「ねえ、多喜さん」

「んー?」

「しゃっしゃさんは、またやるんですかね」

「電車来たよ」

 ようやく流れた到着のアナウンスに反応して、多喜さんがぴょんと立ち上がった。

僕の最後の言葉は聞こえないふりをして。


 やっぱり、多喜さんはわかっていたのだろう。あの予言を一度止めたって何の意味もないことを。


本当は僕だってわかっている。

あの予言が来たということは、彼女はそういうことが『できる』人間なのだ。

そういう人は、たまたま犯行を未然に防いだところで機会があればまたやる可能性が高い。ましてや、しゃっしゃさんは未遂に終わったという意識すらないのだから。 

それがわかっていたとしても、僕は彼女を止めたかった。

たとえ僅かな時間稼ぎにしかならないとしても、その僅かな時間で彼女が悔い改める可能性があるならば。そう考えるのは、やっぱり甘いのだろうか。


「ねえ、海堂くん。しゃっしゃちゃんは何を盗もうとしたんだろうね」 

 近付いてくる電車の明かりを眺めながら多喜さんは言った。

「さあ、お金ですかね………やっぱり」

 店の売り上げか、あるいは考えたくもないけれど同僚の財布か。

「心ってのは、どう思う?」

「心……ですか?」

「そ。だって変じゃなかった、あのお店? 平日の深夜なのにいっぱいお客さんいたじゃん。そんなことある、普通?」

 あるでしょうよ、普通に。


「わたしはね、あの人達はしゃっしゃちゃんのファンなんだと思う」

「ファン?」

「そう。しゃっしゃちゃんの笑顔に心を奪われたファン。みーんな、ファン。しゃっしゃちゃんは、お店に来たお客さんの心を盗むアイドルなんだよ。そう思わない?」

 そう言って振り返る多喜さんの笑顔は、迫りくる電車のライトよりも輝いて見えた。


「……そうですね。きっとそうですよ」

 やっぱり、この人はただものじゃない。たった一年しか違わないのにその笑顔が妙に大人びて見えた。

「海堂くんもまんまと盗まれてたもんねー」

「僕ですか? 僕は全然ですよ。セキュリティ万全ですから」

「いやー、ガバガバだよー。メロメロだったよー」

「やめてください、絶対にそんなことないです」

僕の心を盗む笑顔があるとすれば、それは―――。

「ん? どうしたの、海堂くん」

「何でもないですよ」


 何だか顔を見られるのが恥ずかしくて、僕は多喜さんを追い越して電車に飛び乗った。


 

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