第3話 試されて

 思いの丈を話そうとすると、如月の右手人差し指が、重森の唇の前に、縦に当てられた。黙るようにというボディランゲージに、口をつぐむしかなかった。

「先に聞かせて。どういう風にして、あのメモを見付けて、暗号を解いたのか。詳しく知りたいわ」

 詳しくと言われても、時間を無駄にしたくない重森は、「無我夢中で、移動しながら解いていたから、あんまりよく覚えてないんだ」とだけ答えた。早く片付けて、本題に進みたい。

「だったら覚えている範囲でいいから。ねえ」

 彼女は腕に触れ、通夜っぽく微笑みかけてきた。美人に触られるのは、普段なら悪い気はしないかもしれない。しかしそれでも重森は腕を退く。

「正彦君?」

 非難がましい面をする如月に、重森は急いで言葉を付け足した。彼女の手を避けた理由を。

「ごめん、この暑さだろ。ご覧の通り、汗をたっぷり掻いているから。如月さんの手を汚しちゃあ申し訳ない」

「そんなこと、気にしなくていいのに」

「と、とにかく暗号を解いたくだりは、覚えている範囲で話すよ」

 重森は最初の暗号からの類推で、二番目の暗号を徐々に解きほぐしていったことを早口で伝えた。

「なるほどね。頭のよさ、回転の早さが本物だと分かって嬉しいわ」

「ど、どういたしまして」

 いやたいしたことじゃないよと答えそうになったが、それだと出題者である如月を“下げる”ことにつながりかねないと気付き、寸前で回避。

 ともかく、これで終わりだと思ったら、相手は質問を繰り返してきた。

「で、あのメモを見付けたのはどうやって?」

「えっと。如月さんが電話もせずにまだ来ていないのには――」

 この問いにも事実をなるべく簡略化して、返答した重森。焦る気持ちが内では募って、時々かんでしまったが、どうにか手短に語り終えることができた。

「闇雲に探したわけではないと。いいわ。気に入った」

 如月はにんまりと笑った。目が細くなり、唇がU字型になって、ちょっと気味が悪いくらいだ。

「それで、如月さん、お試しはまだ続くの?」

 辛抱たまらず、重森は率直に聞いた。もちろん、できる限り批判的な調子にならないよう、穏やかなしゃべりを心掛けたつもりだ。

「試されるのは嫌?」

「嫌……ではないよ。如月さんみたいな人から試されて、しかも認められつつあるという実感があるから。ただ、その何て言うか、ゴールが見えないのはつらい。いつまでこんなことをしていればいいんだって、居心地が悪くて、不安になってくる。さらに加えて、ゴールしたあとに何が待っているのかも、はっきりしていないし……」

 言葉を区切り、相手の反応を窺う。怒らせてはいけない。このチャンスを絶対に逃すわけにはいかないのだ。

「言われてみれば、そうだったかしら。このあと何をするか、普通のデートだったら、おおよそのスケジュールは決めておくものよね。それも、たいていは男の人の方が決めてくれる」

「そ、そうとは限らないんじゃあ? 事実、今日ここまでのスケジュールというか、イニシアチブを握っているのは如月さんだよ」

「それは今日が特別だからというのが大きいわ。分かっているでしょ」

「……うん。それで、お試しはまだ続くのか次の段階に進むのか、それだけでも教えて欲しい」

 つい、懇願する口調になった。往来でなければ、両手を組み合わせてお願いのポーズを取っていたかもしれない。

「いいわよ。こうして直接会えたのだから、もう暗号で引きずり回すのはおしまい」

「……微妙な回答。むしろ、暗号とは別の趣向で、僕を試そうという意思が窺えるようだけど?」

「そのつもりよ。気が向けばだけどね」

 重森は答を聞いて、短く唸った。

「ご不満?」

「い、いや。見通しを言ってくれて助かる。受け入れるよ。ただ……ここまでのご褒美がもらえると、もっと嬉しいんだけどな」

 望みを満たすために、慎重に探りを入れてみる重森。如月は小首を傾げた。前髪がいい具合に揺れて、彼女をより可愛らしく見せる。

「ご褒美?」

「そう、暗号二つを連続で手際よく解いたことへの対価だ。たとえば……今のキミについて、質問に答えてくれる、とか」

「声だけじゃ我慢できなくなったのかしら」

 如月はちょっぴり頬を膨らませた。わがままに育てられたお嬢さまって風情だ。

「それはそうだよ。直に会えたんだから。分かるでしょう、僕の気持ち?」

「そうね。分からなくはないわ。でもまだだめ」

 一転して意地悪げな笑みをなし、人差し指二本でばってんを作る如月。重森は頭を片手で掻きむしった。きっと今、僕は情けない顔つきになっているだろうなと自覚する。

「二つクリアしただけなんだから、贅沢言わないでもらいたいわね。声ならたっぷり聞かせてあげる」

「しかし……」

「慌てないで。評価を下げちゃうわよ」

 それを言われると弱い。重森は黙り込んだ。如月は対照的に一層明るく、

「ちょっと待ってて。電話するから」

 と告げて携帯端末を取り出した。


 電話が終わり、二人は連れ添って近くの喫茶店に入った。校則で禁じられてはいないが、少なくとも重森は、女子と二人きりでこの手の店に入るのは初めてだった。

「お腹空いてない? 何でも頼んで。ここは私がおごるわ」

「えっ。でも」

「代わりに、このあと映画を観に行くとしたら、出してくれるかしら」

「それくらいなら出せる」

「よかった。まあ、ほんとに映画に行くかどうかは決めてないんだけれどね。あとでおごり返す機会があるんだと思っていれば、今、気が楽でしょ?」

「そうだね。お茶代以上を払えば、こっちのメンツも立つかな」

 重森も如月も冷たいジュースを注文し、食べ物は選ばなかった。すぐにグラス二つが運ばれてきて、店員が立ち去ると二人だけの空間ができあがる。

「それじゃ飲みながらでいいから、聞いて。さっき、あなたがご褒美を欲しがるから、考えてみたの。新しい問題を。解けたら、希望を叶えてあげてもいい」

「また暗号?」

「ううん。クイズ、パズルの類になるわね。即興で考えたから、難しくはないと思うわ。その分、数で補わせてもらうから。三問解ければ、対価を払う。どう?」

「いいよ」

 どうせ拒めるものでなし。希望に応えてくれるのなら、何だってする。

 重森はグラスに挿したストローを摘まんだまま、相手の出題を待った。一方、如月は敢えて焦らすかのように、ストローでジュースを少しすする。

「では問題、一問目。『タンスの抽斗の中に、赤、青、黄の靴下がいっぱい入っています。靴下はどれも同じサイズ、同じ形をしており、手触りで区別することはできません。さて、真っ暗闇の中、抽斗から適当に四つ、靴下を選んだところ、青のペアも赤のペアも黄色のペアもできていませんでした。こんなことがあるでしょうか? あるとしたら一体どんな場合?』――以上よ」

「これはまた……よくあるパズルのバリエーションみたい……ですね」

 途中までは、その“よくあるパズル”そのものだと思い込んでいた重森は、最後に捻りが来て、表情が険しくなった。語義が丁寧になったのも、警戒感が成せる技かもしれない。

「そうよ。暗号にしてもそうだけど、私、元ネタがあるものをいじるのが得意なのかもしれない。それで、分かった?」

「待って。まず、制限時間は? 何にも決めてなかったけど」

「じゃあ、五分。五分経って答えられなかったヒントを上げる。そこからまた五分の間に正解しなかったら、そこで終わりよ」

「……分かった、しょうがないね」

 重森はストローを手放し、腕組みをした。

(それぞれ赤、青、黄の色をした靴下が入ったタンスから、適当に四つ選んだとしたら、少なくともどれか一つはペアになるはずだよな。どんなに運が悪くても、四つ目で絶対に色が被る。設問では、それなのに被らなかったと言っているわけで)

 とりあえず、重森は気になった点を聞いてみることにした。

「質問していい?」

「もちろん、受け付けるわ。ヒントになるようなことでも自力で質問してくれたら、OKだから」

「じゃあ……黄色と黄は別物、なんてことはない?」

「え?」

「いや、如月さん、最初は『赤、青、黄』と言っていたのが、次には『青のペアも赤のペアも黄色のペアも』と表現したから。もしかしたら、黄色と黄は別物で、黄のペアが完成していました!っていう答なのかもしれないなと」

「なるほどね。でも、そういうことはないわ。黄色も黄も同じ」

「だよね。うーん、だったら……」

 問題文をよく思い返す重森。

「これは質問というよりも、解答になるかもしれないんだけど。『赤、青、黄の靴下』というのは、本当に、赤色の靴下、青色の靴下、黄色の靴下がそれぞれあると解釈していいのかどうか」

「ふふ。続けて」

 如月が嬉しげに促す。重森は手応えを感じた。

「もしかして、引き出しに入っている靴下は、すべて同じ柄、赤と青と黄色を使ったマーブル模様か何かなんじゃないの? だとすれば、靴下をいくつ取り出そうが、赤のペア、青のペア、黄色のペアが完成することは絶対にない」

「ご名答よ。さすが、見込んだだけのことはあるわ」

 音のない拍手をしつつ、彼女は携帯端末で時間を確かめる仕種をした。

「三分ほどしか経ってないじゃない。次はもっと難しくしないと、試しにならないわ」

「なるべくお手柔らかに頼みます」

 第一問を突破でき、胸をなで下ろす重森。ここでようやくジュースを一口飲んだ。

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