第3話 鰻と狐は似ておりますわ


「くしゅん!」


 うう、なんですの。掛け布団がありません。

 寒いですわ。寒いですわ。


 ベッドの下に落ちたのかしら。呼び鈴を鳴らしてメイドにかけていただきませんと、いえ、そもそもなんですのこの硬いベッドは。

 ついにわたくしも地下牢に監禁されて、姉さまに処分される日がやってきましたの?


「くしゅん……うう……」


 そうでした。ここは洞窟の中。そもそも掛け布団なんてありませんでしたわ。


 わたくしは現状を思い出しました。館が攻められ、転移魔方陣で山の中腹にある洞窟に逃げこんだのでしたわね。

 メイドもいなければ執事もおりません。すべて自分でしなければならないのです。

 起き上がると頭がふらつきます。ずきんずきんと頭痛もします。これは……二日酔いですわね!


 迎え酒を一杯呑んで、気分を落ち着かせましょう。


 あら? 酒壺に何か何か長いもの首を突っ込んでおります。

 蛇──いえ違いますわね。

 黒い光沢のあるぬらぬらとした身体には背びれがついておりますし、しっぽは丸い尾びれで覆われております。


 見た目はうなぎに見えますが大きさは5メートル以上はあります。

 胴回りはわたくしのふとももよりも太いです。そのような怪物じみた魚介類がわたくしの酒壺に頭を突っ込んで、おそらくお酒を飲んでおります。


 無礼な魚ですわ。クロスボウで一撃してさしあげましょうか。ですが、うかつに刺激して襲われたくはありません。ここは様子見ですわ。


 うなぎはしっぽを盛んに地面に打ち付けております。身体のうねりが不気味です。

 ふと、頭をもたげました。意外とつぶらなひとみがわたくしを見ました。


「アジ、イイ、ワタシ、ノンダ」


 粘着質なドブのようなお声ですわ!

 ねちゃねちゃとした言葉をしゃべったうなぎはそのままひっくり返りました。

 何ですのこの魔物は。

 うなぎのくせに人間の真似事なんておやめなさい。


 短剣を構えて警戒しましたが、そのまま裏返って動きません。

 白いお腹がぷっくりと盛り上がっております。お口に連動してエラが動いておりますが、ここは水中ではありませんので何も吸い込めません。


 このような大きい獲物を仕掛けで取れたら愉快でしょうが……この場所で捕まえても仕方ありませんし、しゃべるなんて気味が悪いですわ。

 次に目が覚めたとき、「オマエ、エサ」などという可能性もありますし、お外に出しておきましょう。


 あまり触れたくはありませんので、手に巻き付ける布を崩れた衣服の山から探しました。

 エラをつかんでドアの外から引っ張り出しました。洞窟の奥には水場があって、そこからはい出てきたのかもしれません。

 奥の闇にむけて投げておきました。賑やかなコウモリの羽ばたきが聞こえました。


 もどって酒壺を確認します。

 ぬらぬらとした壺の中身は底に少しだけお酒が残っているだけで、ほぼ全滅ですの。

 わたくしの寝起きの一杯がなくなってしまいましたわ! 


 台所のまわりを探し回りましたが、ほかに酒瓶らしき存在はありません。

 ないならないで構いませんが、あると想定してなくなった場合は、焦燥感しょうそうかんと申しますか、渇望かつぼうにちかい欲求が生まれます。

 まったく、この頭痛をどうしてくださいますの。どうしようもない魔物ですわ。


 思考をごまかすために、コンロの墨を使って床に文字を書きます。わたくしがこれから必要な行動を箇条書きします。


 まずはどうやって家名を立てるか、です。

 軍事力でわたくしの家は負けましたので、チクロさまの一族に対抗するためには、それ以上の暴力が必要です。

 ではその力を手に入れるためにはどうすべきかと考えますと、やはり貴族同士の人間関係、すなわち利害関係で結ばれた同盟が必要です。


 うえの姉さまたちが嫁いだ先には家としてのつながりが残っておりますし、お父さまやお母さまの交友関係も生かせます。

 人脈を通しての糾弾きゅうだんは有効かと存じます。


 つらつらと書き連ねた最後に、暴力で解決と書きました。


 ただ懸念すべき点としては、王都にあるお屋敷が攻められたとき、何の障害もなくチクロさまの軍勢がやってきた点です。


 王都で大軍を動かすなんて、王権を脅かすクーデターに近い行為ですから、普通ならば族滅されても不思議ではない違法行為です。

 都市に入る前に王都警備隊だけでなく、王直属の親衛隊まで鎮圧に乗り出すでしょう。


 ですがどの組織も止めたご様子はなく黙認しておりました。


 であるならば国王陛下とその閣僚には、事のお話が通っていると考えられます。

 チクロさまのお父さまは、わたくしの家が殲滅せんめつに値する罪人だと、何か証拠を作り上げて、説得なされたのでしょう。


 むむむむ、卑劣極まりない策略ですわ! やはりチクロさまの家は滅ぼされるべきですわ!


 怒りで手が震えます。

 しばらく深呼吸しますと震えが止まりました。

 ふぅ──冷静になって考えましょう。


 国王陛下にまでお話が通っているならば、正攻法では手が出せません。

 国家を相手にするなら国家レベルの武力が必要です。そんな準備は現実的に無理ですわ。

 そして何より問題なのが、わたくしごときの告発を信じるかたがおりません。


 反逆者と思わしき貴族の娘など、闘技場で杭に縛られ、魔物の餌にされる程度の価値しかありませんわ。洞窟の外の山肌のように、険しい崖となってわたくしの前に問題が積みあがっております。


 ならばわたくし自身で解決するしかありません。鍛えて強くなりどうにかしてお金をためましょう。

 そう武力かお金があればいいのです。

 たくさんのお金があれば味方を作れますし、暗殺者や暗黒魔術師を雇えます。

 権力の半分はお金です。お金が欲しいから国王陛下は法律を作り、軍隊をもって自分の財産つまり国家を守るのです。これは学校で勉強しました。


 わたくしたち貴族も同じですわ。

 お知り合いの皆さまはこの原理を信じておいででした。

 ただやりすぎた悪い例としては、さる貴族さま税を取りすぎて農民が減り続け、8万9千あった戸数が5年で2万9千まで減少し、人口が36万人も減ったと記録されておりました。

 これは訓話に残っている事実です。


 収奪した莫大な税金はオペラの演出に使われ、巨大な劇場で2万5千人の役者を動員したオペラを1ヶ月間も続け、5年間にわたって毎年繰り返したそうです。

 国王陛下も見物に来られるほどの盛大な催し物だったそうですが、わたくしが生まれる前の出来事ですので拝見したかったですわ。

 

 床にオペラを実行すると書いておきましょう。

 

 また考えがそれましたわ。

 わたくしのような何のとりえもない個人がお金を稼ぐには、やはり冒険者となって一攫千金がよろしいかと存じます。

 地下迷宮の奥深くにある貴重な魔法のアイテムを手に入れれば、お城が立つほどのお金が手に入りますし、珍しい素材を手に入れれば、各種ギルドがお金を積み上げてほしがるでしょう。


 富くじで1等を当てるような人生計画ですが、ほかにやりようがありません。

 なんにしてもわたくし個人の武力も必須ですわ。暗殺者になればわたくしが汚名を雪げますものね。


 暗殺する、と地面に書きました。


 概ねの予定は決まりましたわ。暴力で暗殺する。

 そうと決まればこの場所でできることは終わりですの。

 魔法陣で出発ですわ!


 食料などをかばんに詰め込んで準備を整え、転移魔方陣のある部屋に入りました。祭壇の中心では青白く光る魔法陣が輝いております。

 石柱の操作盤に触れました。平らに磨かれた黒い岩に、この場所とつながっている地脈の流れが書かれた魔法文字の紋様が浮かびました。


 なんですの、これは? 

 わたくしが訪れたことのない外国の名前ばかりが表示されますの。それも反対側の大陸で見るお名前です。


 そもそもこの場所がお父さまが統治なさるセスオレギーゼ領とはかけ離れた場所の予感がしてまいりました。


 わたくしとしましては王国内の辺境地域に潜もうと考えていたのですが、そもそも地脈がつながっておりません。

 うう、仕方ありませんわ。

 外国でしたら追手もかかりにくいでしょうし、せっかくなので最も東端にある国にゆきましょう。

 

 大陸の反対側ですから、きっと一番安全ですわ。文字盤を操作し終わると、魔法陣が金色に光りました。

 

 クロスボウを肩に担いで、腰の短剣を確認、ボルトの入ったカバンを下げて、食糧とランプをもっていざ出発ですわ!

 

 中に足を踏み入れます。

 ああ、この暖かい感じはクセになりそうです。花びらを浮かべたお風呂に浸かっているようです。

 転送される直前、何か飛び込んできてがわたくしの脚に触れました。このごわごわ感はお父さまの外套に似ておりますわ。


 暖かい波に乗って運ばれているとき、その正体がわかりました。狐に似ておりますが色が黒と灰色です。灰黒狐なんて種類があるのかしら? 

 お父さまが狩りで射っていらしたのはもっと黄土色でしたの。

 

 視界が開けたとき、わたくしは橙色のランプが灯った薄暗い部屋におりました。 

 お部屋の天井が崩れかけて、斜めにたわんでおります。

 魔法陣は明滅してふたたびぼんやりと輝き、待機状態に戻りました。無事到着しましたわ。今度は建物内に出れてよかったですわ。


「くみゃああ」


 足元でうるさいですわね。 

 ごわごわがわたくしのそばから駆けてゆきます。

 あの洞窟にいた野生動物なのでしょうが、わたくしについてくるなんて帰りは知りませんわよ。


 狐は前足でかりかりとドアをひっかいております。 

 わたくしは寛容ですので動物が邪魔でも殴ったりは致しません。

 ドアを開けますと灰黒狐はすきまから外に走り出てゆきました。向こう側になにがあるかわかりませんが、野生動物は警戒心が強いですし、何かあったらお声を出して知らせるでしょう。


 万が一に備えてクロスボウをしぼってから、わたくしもドアからでます。

 湿った空気の流れる薄暗い通路が続いておりました。

 風通しの悪い古風な地下に似た場所です。

 避難場所には見えません。お掃除もされておりませんし、相当放置されている予感がいたします。

 

 考えても仕方ありません。ゆきましょう。

 左手で魔石ランプを高く掲げて進みます。石畳の床には埃がうずたかく積もり、灰黒狐の足跡が続いています。ランプの光のなかで埃が舞って、古書に似た匂いが立ち込めておりました。


「どこに通じているのかしら? 精霊さま、お導きください」

(過ぎ去りしきかたに続くが良い)


 また幻聴ですわ。

 別のわたくしが先に進めと言っております。

 通路を進むと、登り階段がありました。飢えを照らすと、わずかに扉が見えます。 


 絨毯を歩く感覚で埃の積もった階段を進み、登り切ったさきでは灰黒狐が両開きの扉の前で、行ったり来たりしてわたくしを待っておりました。


「くぁあぁ」


 開けろと言っております。扉は重く、体重をかけて肩で押すと、ゆっくりと開いてゆきました。

 まぁ、扉の先は明かりの灯った通路でした。

 灰黒狐が一足先に這い出ました。わたくしも遅れて続きます。石造通路はほこりもなく魔石たいまつで白く照らされております。


 人間が4人横に並んで進めるほどの幅ですわ。扉の左右にはまっすぐな道が続いております。大きなお屋敷の廊下に見えますが、窓がありませんし天井も石造りです。

 大きなお屋敷の地下、あるいは窓のすくない城塞のなかかもしれません


 わたくしの背後で扉が閉まりました。

 戻るにしても進むにしても、この出発地点は覚えておきましょう。


 完全に閉まった扉は、通路と同じ色に変色しつつあります。カモフラージュの魔法がかけられておりますわ。頭の中に地図を作ってこの場所を起点に歩数で距離を測りましょう。

 

 通路は十分明るいので魔石ランプは不要ですわ。魔石の接触を緩めて明りを消して、腰のベルトに引っ掛けます。かわりに片手で持っていたクロスボウを両手持ちにしました。腕がしびれていましたので、明るい場所に出られてほんとうによかったですわ。


 灰黒狐が足元にまとわりついてごわごわしたしっぽが脚に当たります。

 何かと思えばわたくしを不安そうに見上げております。


「めぇぇぇ」

「感受性の強いお声ですこと。あなたはここまでわたくしに付いてきたのですから、これから先も一緒に行く義務がありますわ。理解しまして?」

「ひゃん!」


 いいお返事ですわ。クロスボウを腰だめに抱えて歩き出します。

 灰黒狐がわたくしよりも先に進んでいるのも素敵です。エスコートさてれいるようで悪い気はいたしません。


 それにしても長い通路ですわ。扉から117歩進んだのですが、まだまっすぐ続いております。もしかして大豪邸の地下なのかしら? 

 そうでしたらかなりの大貴族さまですわ。失礼なく挨拶できるといいのですけど……。

 

 あら? 光に霞んだ通路の向こうから、どなたかいらっしゃいました。3人連れでずいぶん小柄に見えます。子供ですの? ふふふ、地下を探検にきたのかしら。


 ……いえ、違いますわ。あれは人型ですが人間ではありませんわ! 


 漂ってくる獣の匂い、犬に似た唸り声、服ではなく全身が毛皮で覆われております。

 あれはコボルドと呼ばれる亜人ですわ。ど、どうしましょう! ここは魔物が住んでいるお屋敷ですわ!


「ギャウ! ギャウ!」


 コボルドがわたくしたちに気づきました! 四角い楯と短い剣を構えて、低い姿勢で構えて走ってきます。

 灰黒狐が威嚇のポーズでおしりを上げました。大きな尻尾が逆立っております。


「うぅぅぅ~~~~~!」


 狐のくせに何をやる気になっているのですか!? 

 逃げますの! 

 扉の中に戻れば安心ですわ! って、ついてきておりません! 

 

 わたくしはうなりをあげる灰黒狐を抱き上げて走りました。


「きゅぅぅ」


 不満そうなお声を出さずに静かにしていなさい!

 ああ、急いで走ったので歩数を忘れてしまいました! 壁です! 平らな壁だけです! 


 こ、こうなったら、やるしかありませんわ! あなた、せめて囮になりなさい! まずは先頭のコボルドに矢を──手、手が震えますの……! 


 えいっ! 


 わずかな手ごたえとともに発射レールから矢が撃ちだされました。

 先頭のコボルドに命中、ひっくり返りました! 

 やりましたわ! やりましたわ! 


 後続はひるんで足を止めております。あと2匹ですわ! ああ、矢を受けたのに立ちあがりました。矢弾は楯の途中で止まってしまって、貫通しておりません。


「ギャハッ!」


 魔物如きが口をゆがめて笑いを浮かべております。私を馬鹿にすると許しませんわよ。次弾は額の真ん中にあてて差し上げます。


 この弦硬いですわ。ダメです。弾込めが間に合いませんわ!

 接近戦になるなんて心の準備ができておりません。恐ろしいですわ。恐ろしいですわ。


「おいでなさいませ!」


 せめて凛々しく受けて立ちましょう。たかが亜人程度にひるむ家名は持ち合わせておりません! 

 

 クロスボウを置いて短剣を引き抜き、前に突き出して構えました。



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