第4話

 十二月十四日(土)四時

 家に帰ってベッドで横になると今度は心配で寝られなくなる。

 こんな甘い見込みで本当に大丈夫か? 

 頭の中で心配な考えが勝手に駆け巡り始める。ベッドから這い上がり明かりをつけて台本をペラペラとめくり始めた。

 表紙に書かれた番組名が『ディペンド 令和の捜査官』。

 ひどいタイトルだ。英単語とベタな日本語をくっつけるよくやる手、やっつけ仕事臭がぷんぷんする。「ディペンド(依存)」の意味も、今の私の状況を揶揄しているようで腹が立つ。それでも二時間サスペンスの粗製乱造で有名だった淡路先生だけに、細かく読まなくても話の流れはすぐにわかるだろうと思っていた。

 が、それは甘かった。

 主人公は新任の女性刑事で男ばかりの刑事課の中で事件に巻き込まれるという構えはベタな刑事ドラマそのものだった。ただ、この主人公に『霊能力者』という禁じ手設定を淡路は持ち込んでいる。現場で女性刑事が霊に憑りつかれ、誰も知らない情報を元に犯人を逮捕する。三話まで読んでも憑依のルールが分からない、リアリティの設定レベルも良く分からない。

(私の知っている淡路先生の作風ではない)

 淡路先生は昨年武蔵小杉のタワーマンションに引っ越したと聞いた。その際に配信ドラマが見放題契約になっていて露骨に影響を受けて「アメリカのドラマでは……」と事情通ぶってあっちこっちに語っていたらしい。新しい物好きでサイキック捜査を取り入れても、そこは先生自身が良く分かってないから、何かちぐはぐな話になっている。六十代の脚本家がそう柔軟に変われるわけがない。

 描かれる事件は一話が派手に連続爆破、二話で児童誘拐事件、三話が連続放火と刑事ドラマ王道三ジャンルを次々と先食い。そして四話は未解決三億円事件の話で、憑依力によるご都合の凶器発見と理由なき犯人の自白急展開と、俳優の演技力に頼った強引な内容になっている。きっとこの台本を受け取った犯人役俳優は「なんだこの感情のジャンプは、これは俺の演技が試されているに違いない。やるぞ、やってやるぞ」という意気込みが入りすぎた。熱演を越えて狂気の自白になっている。これならだれが捕まえてもこの犯人は自白してたんじゃねえのと思える。五話以降は予算がなくなったのか、急に話が人情よりになる。八、九話はまた前後編で、幼いころに養護施設に預けられた娘が、両親を殺した犯人をキャバクラで接客しているうちに分かり、誘いに乗ったつもりで殺害して恨みを果たすという、淡路が二時間サスペンスで使う古典的なストーリーで、私も知っているだけで二回別作品で使ったプロットだ。被害者の娘に殺されたヤクザに憑依されていた主人公が、突然二十年前の被害者にも憑依され一人二役で言い合うコントのような作りになっている。

 縦軸として振られる謎がまたよくわからない。まず一話から主人公の白昼夢として、暗い部屋で男がパソコンを打っている変なフラッシュが毎回入るが進展なし。急に五話からライバルの霊能力者登場し、「お前の力を使いすぎてはならない」という謎過ぎるメッセージを残して六話であっさり自殺。そして八話で主人公が眠っているときに旧日本兵が出てきてジャングルを突進するフラッシュで入る。それらを全く回収しておらずただ意味不明でカオス。

 でも最終回の冒頭十ページは上がっている。そこに最終回の序盤が書かれているはず。

 その原稿を読み始めて私は文字通り崩れ落ちた。

 刑事部長が今更ながら主人公の霊能力に気づき、回想形式で一話から過去の事件を振り返り、独断捜査の責任をとって辞任する。その部分だけ独立した『ベテラン俳優よいしょゾーン』だった。淡路には珍しくト書も少なく、ほとんどが一人称の説明。よっぽど切迫していたに違いない。なにより事件が始まっていない。

(うそでしょ、使えるものは何もない」

 しかし時間がない、この話のどこから手を付けるかを考えた。新しいキャストが出せないとなると、最終回の事件の犯人は警察署セットのレギュラーで出てくる誰かとなる。犯人役になる俳優は気の毒にも今まで自分がそのつもりで演じていないから、急な話の展開に困るだろうなあ。最終回だから派手に警視庁内に仕掛けられた爆弾の話にするか?いや、それだと一話と丸被りだ。爆破できるロケ許可もセットも間に合わない。でもスケールは保ちたい。セットだけの「地味な絵で済む派手な事件」は成立するのか。私は思いつくままネットを探し始めた。街中乱射からの人質警察立てこもり、見学者からの人質立てこもりテロ。どれもセット以外の警察署のロケが必要となる。既に警察署のエントランスは何度も登場しているので、いきなりテレビ局の玄関に変わるわけにはいかない。

 地味な無差別テロってなんかないか……毒薬入りジュースが犯人から警察に贈られてきて、刑事課の何人かが飲む! というのはどうか? 帝銀事件からのインスパイアーだった。嫌な予感がして台本に印刷されているスポンサーの欄を見た。

 だめだ、飲み物も食品も提供スポンサーじゃないか! 医薬品もあるから毒薬もNGだ、他に何かないか?

 懸命にネットで探す中で「生物兵器」が引っかかった。「未知の猛毒細菌兵器」ならスポンサーである医薬品、食品メーカーも大丈夫だろう。その細菌兵器は漏れても無色透明で絵には映らないから、CGの手間もかからない。そこはただ苦しむ俳優の演技力でどうにかしてもらう。警察内に送られてきた細菌兵器、その過去として日本兵を登場させて、その関係者が同じ署内にいて恨みをもっている人物としたらどうだろうか。最後は生物兵器のワクチンを犯人と主人公が取り合う中で、犯行の真相が語られるというのはどうか!

(いける、いける気がする。これしかない)

 そこまでメモを残すと未来の自分に期待しつつ寝落ちした。


 スマホのアラームで目が覚めた。

 十二月十四日(土)朝九時三十分。

 狭いキッチンでコーヒーを温め気持ちを落ち着かせて、寝る前に書いたメモを祈るような気持ちで見た。自分でも読めないような汚い字の走り書き。

『最終回、主人公が被害者、生物兵器タイムサスペンス、犯人はエリート警察官、最後はワクチンを巡って対決? 闇のジャーナリストが救世主、毒ガス部隊の陰謀と警察の関係?』

 睡眠不足の明け方にハイの状態で書いたメモは、ハリウッドのアクションサスペンスになっており、プロデューサーの条件に全く収まらない。何より自分にショックだったのが、伏線の回収に気を使っているくせに、霊に憑依される主人公の設定を全く使っていない。

 気持ちが萎えていく。一日半で一時間ドラマが書けるのは気持ちが乗っているときに限る。人生経験も積んで弱点を克服し、用心深くてタフな大人の女に近づいていたつもりだが、金と生活の安定に目がくらんだ。もう日の当たる仕事がしたいなんて欲を持ちません、世の中おいしい話なんてないことが十分わかりました。

(ただ、逃げたい)

 今ならまだ罪は浅い。プロデューサーに脅迫されたからウンと言ってしまったが、体力を取り戻してからよく考えたら無理でしたと言えば何とかなるだろう。脚本の仕事からは遠ざかるが、今も近くないから問題ない。

 (一秒でも早く断りの電話をしないと)

 スマホを取り出し野口を検索した。出て来た番号を押す直前に、まだ方法がひとつ残っていることに気づいた。淡路が使っていたパソコンを探せば、何か手掛かりが残っているかもしれない。

 二日間缶詰めになっていたんだからある程度の筋書きは作っているはず。メモや走り書きでもいい、何かヒントが欲しい。先生は作家生活三十年のプロ中のプロだ。数々の修羅場も潜り抜けてきている。先生がハードディスクの奥深くに隠した、眠れる脚本を私が探し出せばいい。創作の限界で先生が何を考えて苦しんでいたのか、あの書置きも何か創作の意味がある、『何かを探せ』というメッセージのはずだ。それを読み解くのはプロデューサーではなく、作家である私の役目。そう自分に言い聞かせて野口に電話をかけた。 

「山崎さんお疲れ様です、プロットはどんな感じですか?」

「いや、それがね、どうもこうも無くて、このドラマ破綻していることが良く分かった」

「どうして、そんなこと言うんですか、もしかして山崎さん何も思いついていないんですか? あなたそれでもプロですか」

 またこいつおかしな感情になってるよ。

「まずは聞きなさい。設定が跳び過ぎな上、事件は興味本位、最終回で回収する伏線がバラバラで多すぎる。これは今下手に書き出すのは危険すぎる」

「危険ですか。僕も強引な展開の本だとは思っていたんですが、刑事モノはこういうものかと思ってましたが」

「野口さん、刑事ドラマは何回目」

「初めてです、アシスタントの頃は深夜のラブストーリーしかやってません」

「これは先生の中でもかなり無茶な本ですよ」

「でももう時間が……」

 電話の向こうで野口の声が遠くなっていった。

「それで野口さん先生の使っていたパソコン今どこにありますか?」

 質問の意図が分からないのか答えまで少し間があった。

「あっありますけど、まだホテルの部屋です」

「部屋って、まだとってあるんですか?」

「えぇ一応、そのまま月曜日までとってあります」

「良かった。じゃあその部屋に行きましょう。少しでも先生の書き残しを見ておきたいんです」

 急に元気になった私に比べ野口は全く気が進まないようだ。

「でも、そんなの残ってるかどうかわかりませんよ」

「それでも二日間先生は籠っていたわけですから、何か書き残しているように思うんです」

「僕にはそうは思えないんですが、それにパソコンはロックされていると思いますよ」

「そうよね、でも私先生のパソコンで書き直しを手伝っていたので、何となくパスワードも分かるような気がするんですよ」

「何となくですか、でも山崎さん、もしパソコン開けなくても、それを理由にこの仕事降りるって言うのは絶対にやめてくださいね」

「んっ」

「もう、残り時間は二日もありません。今から他の人にお願いすることはできませんから」

 野口は今まで見たことないシャープな切れ味で私の退路を断ちに来た。

「……もちろんです、そんなことはしません」

 私はまた同じミスを繰り返した。

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