第16話 地獄の厨房

 うろちょろと動く店長について厨房に入ると、湯気と鼻をつく豚骨の匂いが急に高まり、思わず晶子は目を細めた。

「お疲れさまーす!」、「うーっす」、「ドゥース」、「ちょーす」と厨房内に威勢のいい挨拶と、何だかわからない野太い声が飛びかった。従業員も店長同様にテンションが高い。

 舟橋が小声でつぶやく。

「元気すぎるだろ。この店みんな変な薬やってるんじゃないか」

「しっ、聞こえますよ」

 気にせず店長は、一人満足げな顔で、「そうそう先に言っておきます。一番いろんな番組さんから聞かれるのが、どうして北九州のとんこつラーメンから始まったのに、今は激辛ラーメンになったのか? ということなんです」と取材汎用コメントらしき語りを続けた。

「……最初は俺も、おやっさんの魂を込めた九州ラーメンを引き継ぎいでいたんですよ。ある時ね、お客さんがラー油をぶち込むのを見たんです。最初は殴ってやろうと思いましたが、お客が帰った後に自分でもやってみると旨いんです、『これだ! 』とそこで激辛ラーメンに目覚めました」

「いろんなとこで良く目を覚ますやつだな」舟橋が小声で晶子にまたボヤく。

 ただ舟橋もよく『暗礁に乗り上げた』とか、『迷宮入り』とか大げさな言葉を頻繁に使う。千葉の男は『話盛りグセ』でもあるのか。

「それでね、ラー油とコチュジャンを大量に入れた超辛口を出すと、夜勤明けの工員さんや、鮮魚トラックのドライバーさんから、『目が覚める』と評判になって、そればっかり売れるようになったんです。もっと辛くしてくれと、これじゃ甘すぎるとも言われて、私も張り切って、豚骨と鶏ガラに隠し味程度だった唐辛子を産地ブレンドして、量をどんどん増やしました」


 店長が話し出すと文節が終わるまで止まらない。その間も大勢のスタッフが広い厨房を威勢よく行き来している。店長以外は皆忙しそうだった。

 その様子を見て晶子は、「もし、ここでの食事が被害者が倒れた原因だとしたら、何らかの中毒物を調理過程で混入させた可能性はありますね」と舟橋につぶやいた。

「確かにこの人数だ。一杯だけ普段より多めの唐辛子を入れてもバレなさそうだな」

「加害者に中毒意図があるなら、唐辛子なんて遠回しな方法つかわないでしょ。もっと直接的な毒だって使えますよ」

 二人でこそこそ話していると、「話ついてきてます? 」と店長に気づかれた。

 元気有り余る店長は、さらに厨房の奥に三人を案内した。そこはさらに湯気が漂うほとんどお風呂場のような蒸し暑い小部屋だった。

「はい、ここが企業秘密のスープ部屋ね。うちのラーメンが他に絶対負けない自信があるのは、このスープなんですよ。ちょっとこの鍋見て下さい」 

 店長が指す先には、猛烈な湯気と臭気の中に人間一人は入れるくらいの巨大な鍋が火にかけられていた。

「デカい」三人とも息を飲んだ。

「ここで特製豚コツスープを作ってます。他の大手さんでは、スープを冷凍パックにして使っているところ多いですが、うちでは毎日各店舗自家製です。豚ガラをじっくり二日間煮込んでます」

 灼熱の湯気の中で顔面汗だくになりながら修行僧のような険しい顔をした従業員が大きなヘラでスープをかき回していた。

「千葉産の豚を焦がさないように、しょっちゅうかき混ぜます。そして灰汁が出て来たら網ですくって、命がけで澄んだスープを作らせてます」

 なんてキツイ職場だ、しかも命掛けってどういうこと。

「店長、ここだけ独立した部屋になっているのは、何か理由あるんですか」

 舟橋が興味を持って聞いた。

「いい質問ですね! 美味いスープはとにかく臭いんですよ。なので、うちは業界では初めてスープ専用個室を作りました。このスープ作りは単純作業ですが集中力が必要な奥が深いんですよ。だから気が散らないように必ず一人で責任持ってさせてます。この作業は地獄ですよ。よく辞めていきます」店長は笑いながら答えた。

 舟橋は晶子の耳元で、「毒入れたとしたらここじゃないか? 他の人にも見られないし、仕事のキツさが嫌になって、破れかぶれで毒を入れたとかあんじゃね?」と囁いた。

 まぁ、それだと一人だけ死ぬのはおかしい。

「この鍋一つで、お客さん何人分くらいですか」今度は晶子が店長に質問した。 

「そうですね、豚ガラだけでうちは、一日二〇〇キロ使います。それで出来るスープが四〇〇リットル。まぁだいたい千人分くらいですね」店長は決め顔で答えた。

 聞いた晶子も納得した。

「舟橋さん、この鍋に何か入れたら大量殺戮兵器ですよ」

「でも、ここが一番怪しいんだがなぁ」

「はい、次はこっち見て下さい」

 観光ガイドのように店長がまた厨房に移動した。壁側を見ると、また別の大鍋がぐつぐつ煮え立っていた。

「こっちでは鶏ガラスープを作ります。こっちは透明になるまで、何度も何度もアクを濾していきますので、豚骨よりさらに時間がかかります。三日がかりですね、この仕事もキツイので、辞めるやつ続出です」

 灼熱の湯気の中、辛そうな顔でしゃもじを回す若い従業員が苦笑した。晶子が鍋をのぞき込むと、鶏ガラの他にも、何かが入っていた。

「店長、鶏以外は何を入れているんですか?」

 意図せず、中毒性のある食材が混ざりこんだ可能性もある。

「よく気づきましたね、隠し味ですよ。ニラ、ねぎ、ニンニク、ショウガを入れてます。木更津の地酒も使ってます。徹底的にこだわっていきたいんです……俺は」と店長は自分語りで締めた。

「ここで、入れたんじゃないか?」舟橋はさっきより小ぶりの鍋を見て言った。

 それでもスープに毒を入れたのでは、出すラーメン全部に毒が回ってしまう。

「スープの工作は、ないんじゃないですか」晶子はここの可能性を捨てた。

「次こっち見て下さい」

 店長はスイスイと厨房の中央に移動していた。

 今度は、猛烈な炎を上げるバーナーの前で、背の高いピアスをしたやんちゃ系従業員が渾身の力で大きな中華鍋をゆすっていた。複雑な匂いが鼻を突く。

「ここでは秘伝のタレを作ってます。警察の方には特別に白状しますが、ここでは、ショウガ、ニンニク、中華だし、酒、砂糖、豆板醤、岩塩、干しシイタケ、ピーナッツをごま油で一気に炒めて」と一気に説明する店長、さすがに喋りなれている。

「この火力凄いですね」それまで黙っていた鴇田が感心した様に言った。

「超強火の一瞬で火を通さないと素材の風味が失われますからね、火がきつすぎてよく職人がやけどしますが、一切妥協しません」

「なるほど、繊細なもんなんですね」

「そうなんです。やれることは全部やるそれが俺達のポリシーです。でも肝心なのは、これからですよ。炒め終わったとこに、この魔法の粉をタップ入れます」

 店長が持って来たのは、巨大なボールに山盛りになった赤い粘土のようなものだった。


 それを見て、「おいこれじゃないか? 中毒の原因は」思わず舟橋が口走った。

「しっ! 静かに。これ、中身は何なんですか」

「韓国産唐辛粉に、国産鷹の爪、中国産花山椒を、豆板醤と千葉産のアサリキムチエキスで混ぜたものです」

「全部辛い奴ですね」

「これを限界まで混ぜ合わせて、タレの出来上がりです」

 見るだけで空気を伝って、目が痛く鼻がムズムズする。

「今までの中で、これが一番量少ない。毒物入れたとしたら、このタレと見て間違いないな」

 舟橋がまた憶測を口にした。

「いや、どうもそうじゃなさそうですよ」

 職人は真っ赤な粘度を中華鍋で混ぜ合わせると、別のバーナーにかかっている大鍋に中身を放り込んだ。

「最後に、さっき見た豚骨スープと、鶏ガラスープを、この激辛スープを大鍋に入れて煮込みます。このミックスがウチのラーメンスープの秘密です。俺の味の真髄です」

 地獄のようなスープ煮込みが出来上がった。

「全部一緒になるのか」

「これじゃ、特定の人物を殺すのは無理そうですね。それにここの場所からだと、客席に誰がいるのか、全然見えませんし」

 湯気だらけで視界が効かない上に、ラーメン鉢置き場が邪魔で客席は全く見えない。

「ここからは言っちゃ駄目ですよ。本当のうちの隠し味です」

 まだあった。

 やんちゃ系店員は、その大鍋にパック牛乳をドボドボ流し込んでいた。

「あと、最後に隠し味でコーラを三リットル入れます。砂糖がわりですね」

「隠し味だらけで、もう本来の特徴は何だかわからなくなりますね」

 さっきのスープ修行僧の繊細なアク取り作業がこれじゃ報われない。見ているだけで晶子は、胸焼けしそうだと思った。

「なのでうちのラーメンは、一度や二度では味の片鱗すらもつかめない。ウチの裏モットーは辛いだけじゃない、辛さを乗り越えて初めて感じる、その先の謎の味なんですよ。ラーメン食べたお客さんも家に帰ってから、ふと辛さ以外の味の深みに気づいて、また来たくなるんでしょうね。以上です」

 ようやく店長は言いたいことを終えたようで、満足げな表情だった。


「他に何か質問あれば、何でも聞いてくださいね」

 聞かれた晶子は厨房で気になったことを何気なく聞いた。

「働いてる人は、外国の人ですか」

 ちょっと間があいた。

「うちは留学生のアルバイトを引き受けてるのよ。今はベトナムと中国の子が多いかな、みんな働き者だよ」珍しく普通の声量で店長は答えた。

「留学生ってやっぱりこの辺に学校とかあるんですか?」

「市原に日本語学校があんのよ。でもうちは週二十八時間労働のルールちゃんと守ってますからね」

 そういう規則があるのは聞いたことある。被害者の亡くなったホテルの当直フロントマンも、考えたらキツイ仕事だ。鴇田の言うよう日本語がはっきりしないのは、動揺していた以前に、外国人留学生のアルバイトだった可能性もある。千葉も上総まで来ると若い働き手が足らないのかも知れない。

「ついでに、知ってたら教えて欲しいんですが、隣の君津市もやっぱり留学生多いんですか」

 外房線に乗っていた学生風の集団の事を晶子は思い出した。

「君津はどうだろう、工場は実習生じゃないの?」

「実習生って何が違うんですか」

「いろいろあるみたいだけど俺はよく知らない」

 威勢の良かった色黒店長は、話をごまかすように苦笑いをした。

「おい、何無駄話してんだよ」舟橋が会話に割って入って来た。

「気になると知りたくなる癖があるもんで、知らぬは一生の恥とかいうでしょ」

「今じゃないだろ、それよりこの厨房で、何か変なもの入れてないかチェックするんだろ」

 なりふり構わない舟橋は、晶子の肩を押すと鍋で真っ赤になったスープを覗き込ませた。

「この色は、もうラーメンじゃないよな」見ながら舟橋は何かを感じたようだった。

「店長、正直に教えて下さい。これだけ辛いスープだと、お腹壊したり、高血圧でぶっ倒れたり、救急車で運ばれる人とか、ホントはいるんじゃないですか?」

 ついに店長は不機嫌になった。

「いるわけないでしょ。腹壊す人はいるかも知れないですけど、気失うとか救急車呼ぶとか一度もないっす。まず、そんなに辛かったら一口も食べれないっすから」

 確かにそうだが、塩の辛さと違って、唐辛子の辛さの成分カプサイシンは味というより、刺激の痛さだと聞いたことがある。口が耐えられても、喉や胃が苦しくなることもあるはずだ。

「そろそろホールに行きましょうか、鴇田さんから亡くなった人と同じ辛さを食べたいと伺ってますので、どうぞ自分の舌で味わって調べてください」

「そんな約束するなよ」

 舟橋が鴇田の側で怒りの表情を見せた。

「えっ、だって先輩、確かめるってそういうことじゃないんですか?」

「時と場合によるだろう」

 昼にナポリタンとオムライス、そこから二時間程度では、晶子のお腹はまだ炭水化物でパンパンだ、見ているだけで実食は勘弁してほしい。

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