一枚目

一枚の絵がある。

実に、豊かな絵画だ。

躍動感のある、海の水彩画。

打ち寄せる白い波。岸壁に当たった水の流れは、スラリと砕け去って。画用紙の白地の中に融けてゆく。鮮やかな空の色。繊細な筆致で描かれた海の水面は、太陽の光をチラチラと弾いて。

静かな迫力を、肌で感じ取る事が出来る。

額縁に飾られた海辺の、透き通った空気。雄大に広がる入道雲は、画角の多くを占めていて。金色が散らばった風景は、まるで宝石のよう。

光に満ちた、夏の鮮やかさの再現。

瞬くばかりの絵筆の白。自由奔放な点の集まりは、目の中に散らついて。

視界が、淡い恋心のように。

無邪気で、憂鬱なマリンブルー。

どうでもいい日々の繰り返しが、本当に大事な過去に覆い被さるように。大切な自信を拭い去るかのように。

あれは、子どもの頃の事だった。

私に向かって微笑んだ、彼女の残影。約束を交わした私たちは、やがては別れて。

海の底へと、彼女は消え去ってしまった。

真っ白な額縁。

枯れた色合いの、真っ新な脳内。

自分が描き続けている絵には、輪郭と呼べる物はほとんど無くて。理想の姿ばかりが目に映り込む。

存在し得ない夏の青い空。

白いワンピースに麦わら帽子。振り向いた彼女の、はにかんだ笑顔。

想像する事でしか、彼女の実在を感じ取れない。

思い出の外側に、確かに立ち続ける存在。

目の前に飾られた絵画の作者は、直後に狂って。自分の心臓を刺し抉ったのであると。そう書かれている。

わざとらしく描かれた、恐ろしげな解説。

勿体ぶった言い回しの文章は、興醒めですらあり。絵としての魅力をひどく損なっている。

どうして、こんな物が挟まるのだろう?

描いた後に死を選ぶかどうかなんて、作者の勝手の筈なのに。

静かな海の風景画。

奥底に映った、控えめに笑う女の子の姿。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る