父の胃袋をつかむ最善のレシピ

飯田太朗

かくなる上は……

「何度言えば分かるんだ! セントクルス人は厨房に立つなっ!」

 父が鍋を料理台の上に放りだす。ダニーの作った料理が……ああ、ダニーがせっかく作った今日のまかないご飯が、台にぶつかった振動で少しばかり零れてしまう。今日は……芋と豚肉の細切り炒めだったのに。私の好きな料理だ。

「お前に使われちゃ食材が可哀想だっ! 二度とするなっ!」

「で、でも……」ダニーが何とか声を振り絞る。だが父はふん、と鼻を鳴らした。

「リィエンツをたぶらかして、ちょっと料理が好きだからという理由でこんな真似……わしは許さんっ!」

「お父さん!」

 私は居ても立ってもいられず父に声を飛ばす。

「ダニーの料理を食べてみて! 故郷の味にも劣らない……いえ、これは完全に故郷の味よ! お願い、一口でいいから……」

「食わん!」

 父は前掛けを乱暴に肉切台の上に放ると再び鼻を鳴らした。

「ユシェンの店で飯を食う! お前はその汚物を片しておけっ!」

「ひどい……」

 私は胸の前で手を握る。私の様子を見て、ダニーが「ごめん。やっぱり僕が作っちゃいけなかったんだ……」と弱気な声を出した。私は振り向くとダニーの肩を抱いた。

「そんなことない! お父さんも食べれば分かるのに! ダニーの料理が、立派な東洋料理になっていること、ダニーが東洋料理が大好きなこと、情熱を持っていること、愛していること、食べてさえくれれば伝わるのに、私悔しい! 何でこんな、こんなこと……」

 感情的になると私は言葉がまとまらなくなる。ダニーもそれを感じてくれたのだろう。彼は私の頭を撫でるとこう告げた。

「ありがとう。リィエンツのその言葉が嬉しい」

 ダニーと私は頭ひとつ分くらい違う。セントクルス人はみんな背が高いのだ。私なんて子供みたい……こんな風に泣いているところをあやされたら、本当に子供みたいだから、私は涙を呑んでダニーを見つめる。

「ダニーの料理、美味しいから。私、残さず食べる」

 するとダニーは笑った。

「一緒に食べよう」

「うん」

 私たち二人は芋と豚肉の細切り炒めを皿に盛りつけると誰もいなくなった食堂で食べた。ダニーは私がびっくりするくらい箸の使い方が上手で、セントクルス人には滅多に見られないその繊細な指使いに、私は一目で惹かれてしまった。そしてそう、彼のその指は……手は……料理の時にその真価を発揮するのだった。肉を切る時に躊躇いがない。まるでどう切れば筋や骨を外せるか前以て分かっているみたいだ。芋の皮をむく時、菜を刻む時、茸を割く時、彼の指は本当に忙しく動き回る。私はその指が大好きだった。そう、そのとても繊細そうには見えないぷっくりした指を食べちゃいたいくらいに、好きだった。

 はぁ、それにしても、本当に。

 ダニーの料理は美味しい。初めて食べた時、私は彼の腕前に思わず涙を零しそうになった。こんなに美味しい東洋料理、東洋人街でもなかなか食べることができない。ハッキリ言って、東洋人街の中で父はダントツの腕を誇る料理人だったが……父の料理で泣いたことはなくてもダニーの料理では涙が出たのだ。父もダニーの料理を食べてくれれば絶対考え方を変えてくれるに違いない。だが……父はこの西の国に出稼ぎに来た時、地元の人間に意地悪をされたせいでセントクルス人をあまり好きになっていない。父はよく言う。「金以外は何もない国だ」と。そんなことないと私は思う。魔法というどうしても才能が問題になる分野を、技術によって誰もが使えるようにしたすごく頭のいい国だと思う。祖国もこの頭脳を見習うべきだと私は思っていた。いずれは祖国とセントクルス連合王国の懸け橋になるような仕事を、私はしたいと思っていた。

 でも、そう、こんな私じゃ。

 父とダニーとを結ぶこともできない私が、国と国を結ぶなんて本当に絵空事だ。

 父は流れの速い大河のような人だ。自分の流儀、流れを決して変えない。ぶつかるものは何でも飲み込んでいく。きっとダニーも飲み込もうとしているのだ……いや、私とダニーとの間に流れることで分断しようとしているのかもしれない。悲しくなった。ダニーの料理を認めてもらえないことも、私とダニーとの関係を認めてくれないことも。

 どうしたらいいんだろう。

 いや、このことについての答えはもう出ているのだ。父にダニーの料理を食べてもらう。それだけ。それだけでいいのだ。でも決定打がなかった。ダニーは父に並ぶ料理人だが並ぶだけじゃ駄目なのだ。父を超える何かを。父を唸らせる何かを……。

 店に飾ってある暦を見る。ハスの花の絵が描かれた暦だ。もうすぐ星のお祭りだ。いつだったかな、故郷の母が星のお祭りの時に砂糖菓子を作ってくれた。今、母は病気で故郷を離れらず、親族に面倒を見てもらいながら父が医療費を稼ぐ毎日だ。あのお菓子が、母のお菓子が、食べたいなぁ、と私は思った。

 いや、そのお菓子を父が作ろうとしたことはあった。

 でも何かが足りないのだ。決定的な何かが、味の秘訣とでも言うべきものが、どうしても足らない。母の味にならない。父は何度か手紙で母に作り方を訊ねたのだが、母は病床から身を起こすのもやっとで、手紙は書けないどころか言葉を発するのもやっとらしい。作り方は分からない。

 そういうわけで、父はこの砂糖菓子を店の表から外していたのだが……あれが作れれば、もしかしたら。でも父や私でさえ作り方も分からないものを、ダニーがどうやって……。

 そんなため息をついて、皿の上の細切り炒めをつついた時だった。不意に店のドアが小さく叩かれて、人の影がガラスの向こうに映った。私はダニーと顔を見合わせると玄関に向かった。美しい桃色の花が描かれた暖簾は店の中に取り込んであるので、もう閉まっていることは明確なはずなのだが。

 しかし私は返事をする。

「はい」

「すみません。忘れ物をしちゃって」

 女の子の声だった。かわいらしい、まるで小さな弦楽器のような声。

「忘れ物……」と店の中を見てすぐに気づく。一番端のテーブル。王立騎士団二等騎士のグレアムさんがよく使うテーブルだ。そういえば今日も来ていたな……かわいらしい女の子と一緒に! 

 そんなテーブルの上には品のいいハンカチが一枚、置きっぱなしになっていた。と、玄関の方から、今度は男性の声がした。

「失礼。ハンカチを忘れてしまいまして」

 グレアムさんの声だ。

「はい、今すぐ!」

 私の声に応じるように、ダニーが急いでテーブルの上のハンカチを手に取った。そのまま手早く畳んで……そういう行儀がいいところも好きなのよね……私に渡してくる。私はドアを開けると客人を見た。真っ赤な騎士団服に身を包んだグレアムさんと、紺色のキャスケット帽をかぶった女の子とが立っていた。

「忘れ物には気をつけなさいな」

 どこからともなく艶のある女性の声がした。あれ、もしかして今、カバンがしゃべった……? セントクルス連合王国は魔法を誰にでも使える魔蓄にした「技術の国」だ。このカバンにももしかしたら何らかの魔法が閉じ込められているのかもしれない。

 と、私の背後で、ダニーが急に。

 素っ頓狂な声を上げた。そうだ、ダニーはずっと厨房で皿洗いをさせられていたから、食堂に来たお客さんのことは知りようがないのだ。きっとグレアムさんのことも連れの女性のことも全く知らなかったに……。

「シャ、シャロン・ホルストさん?」

 即座に私は眉をひそめる。誰よ、知り合い? 

 しかしそんな私の気配を感じ取ったのだろう。ダニーはすぐに私に弁明した。

「ランドンでも名うての探偵さんだよ! どんな事件もあっさり解決、快刀乱麻を断つ名探偵!」

「名探偵……?」

 私が首を傾げるとグレアムさんのお隣の女性がにっこり肩をすくめて見せた。そしてそう、この時だった。私の中で名案が思い浮かんだのは。そうだ、そうだ! 父が認めてくれないなら、かくなる上は……。

「あの!」

 女性の手を取る。

「依頼料はおいくらですか?」



「はぁ、タナバタセック……」

 分かりやすい片言で話すレディ・シャロンに私は丁寧に発音を教える。

「七夕節句と言います。星のお祭りです」

 と、幻想的な気配を感じ取ってくれたのか、シャロンさんが目を輝かせる。

「星のお祭り!」

「ええ、私の故郷では、空に上ってお星様になった姫と、その想い人である牛飼いとが年に一度会うことができる純愛的お祭りとして……」

「年に一度しか会えないのですか!」

 シャロンさんがむっと唇を結ぶ。

「それは大切な時期ですね。何が何でも上手くいってほしい……」

「そう、そうなんです」私はシャロンさんの方に体を傾けた。

「その七夕節句のお祭りは、この東洋人街の人たちもみんなで集まって歌に踊りにとにかく大騒ぎするのです」

「はぁ」

 話が見えてこないのだろう。シャロンさんは小首を傾げた。その仕草もかわいらしくて、私は参考にしようと心の中に書き留めた。

「話は変わるんですけど、私とダニーはお付き合いをしているんです」

 ほう、とシャロンさんの隣にいたグレアムさんが頷く。

「でも父が認めてくれなくて。ダニーのことを認めてもらうには、ダニーの料理を食べてもらうのが一番だと思うんです。ダニーの料理、本当に美味しくて! でも父は『セントクルス人には東洋料理は作れない』って……」

「自分の信念をしっかりお持ちの方なんですね」

「しっかり持ちすぎているんです。で、さっきの七夕節句なんですけれど」

 料理を出すんです。このユー料理店からも。

 私のこの言葉に、ついにシャロンさんも話が見えてきたらしかった。

「お祭りでお父さんに料理を振舞って認めてもらう!」

「そう! そうです!」

「しかしそこに何で私が仕事を……?」

 もっともな疑問だった。私は告げた。

「シータンクオという砂糖菓子があります。この国の言葉に訳すと……『星飴』?」

「はぁ、星飴」

 私は必死に説明する。

「練った餡子を溶かした砂糖で包んで固めるお菓子なんです! すごく美味しくて、私の母もよく作ってくれたんです」

「その、アンコ? というのは?」

「木の実を甘く煮詰めてほぐして練ったものです」

「見せた方が早いよ」ダニーが前掛けを結んだ。

「今、お作りします。確か下ごしらえした材料がもうあったはず……」

「じゃ、じゃあついでに!」

 私は私はダニーの手を取った。

「彼の料理も少し食べてみてくださいな!」

 するとグレアムさんがつぶやいた。

「夕食には少し早いですが、いかがでしょう、レディ。お腹に余裕があれば」

「食べてみたいです。ねぇ、お母さん」

「そうねぇ」と、カバンがつぶやいたと思ったら、それがいきなり猫の姿に変わった。私はびっくりした。

「少しだけね。あんまりたくさんは食べられないわ」

「すぐに作ります!」

 ダニーが厨房に向かっていった。私も手伝いをするべくその後についていった。心が躍っていた! ダニーの実力を分かってくれる人は一人でも増えた方がいい。私はダニーを信じた。ダニーがきっと、二人を唸らせる料理を作ってくれると……。

 果たして、私の願いは現実になった。

 小皿に盛られたダニーの料理を食べて、グレアムさんもシャロンさんもそのお母様も、目を丸くしたのだ。「美味しい」お母様が猫の手で口元を覆う。

「美味しいわ、これ。これを食べさせれば、そのお父様とやらもすぐに……」

「そこが難しいんです!」

 私が身を乗り出すと、しかしグレアムさんが首を傾げた。

「そうでしょうか? そこは意外と簡単に行くと思うけどな」

 私はグレアムさんの方を見た。

「何か名案がおありなんですか?」

 グレアムさんは訳もなさそうに答えた。

「ええ、あなたの祖国は『礼節の国』と呼ばれていますよね。となればいかなる状況でもあまり失礼な態度は取れないと思うのです。つまり、ですね……」

 それからグレアムさんの提案された作戦を聞いて、私は思わず胸の前で手を握ってしまった。

「お力を貸してくださいますか?」

 グレアムさんはにっこり笑った。

「喜んで」

「しかし……」と、今度はシャロンさんがつぶやいた。

「この料理は確かに美味しいですが、これだけだとお父様を唸らせることは難しいかもしれませんね」

「そう、そうなんです!」

 あまりに物分かりのいい二人に、私はこの二人が福の神の導きでここに来たのではないかと錯覚しそうなくらいだった。

「ダニーの料理は本当に本当に美味しいのですが、それだけでは父を納得させられないと思うのです。何か決定打、父の胸を打つような何か……」

「それでこのお菓子ですか」

「はい!」私はやっぱり胸の前で手を結んだ。テーブルにはダニーの作ったシータンクオ。

「父の調理法を私が盗んで作らせたものです。母の製法に近いものなのですが……どうしても一味足らなくて! 父も母のシータンクオを作れないんです。だからもしダニーがそれを作れれば、きっと父もダニーを……」

「つまり」

 猫のお母様がつぶやいた。

「あなたもあなたのお父様もレシピが分からないお菓子の作り方を、娘に推理してほしいということね?」

「はい」

 私は真っ直ぐにシャロンさんを見た。

「できますでしょうか?」

 するとシャロンさんはテーブルを一瞥してから微笑んだ。

「ええ、できますよ」

 私は彼女の手を取った。

「お願いします! 依頼料ははずみます!」

「いえ、それには及びません。でももしよろしかったら、今度のそのお祭り、七夕節句に、ご招待していただくことは可能でしょうか?」

「それはもう、是非!」

「でしたら」

 と、シャロンさんは慎ましく笑った。すると猫のお母様が呆れたような声で訊ねた。

「……あなた、もう分かっているわね?」

 シャロンさんはにっこりしたままお母様を見た。

「だって、簡単ですもの」

 それから彼女はテーブルを見た。池の水面から顔を覗かせる桃色の花が描かれたテーブル掛けが目線の先にあった。

「このお花はあなたの趣味ですか?」

 私は静かに首を傾げた。

「い、いいえ?」

「お姉様か妹様かは?」

「いません。一人っ子です」

「でしたら」

 シャロンさんは静かに目を伏せた。

「やっぱり、簡単です」

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