第2話:彼女の名前を言ってみたんだが


「ごめん、ちょっと記憶が混濁してるかも……」


「大丈夫? やっぱり、病院行く?」


「やっぱり?」


「倒れて気を失う前に病院は行きたくないって言ってたから……」



 そうなのか? その記憶もないんだけど……



「まさか、私と付き合ってることも忘れちゃったとか!?」



 彼女は、キッチンでの洗い物を切り上げると、横になっている俺のすぐ横に来て少し責めるように言った。腰に手が当たっているのは、多少芝居がかっているだろうか。



「いや……さすがに、そこまでは……」



 勢いで俺は嘘をついた。



「でも、ちょっと混乱してるから確認させてくれ」


「確認? いいけど?」



 彼女は笑顔になって、冷蔵庫に移動した。そして、冷たい麦茶をコップに注ぎ、持ってきてくれた。


 この行動は、俺のことを気遣ってくれてのことだろう。と、言うことは、本当に俺は彼女の言うように俺と彼女は付き合ってるということだろうか。


 しかも、この部屋は俺の部屋。大学に入学してから引っ越した一人暮らしの部屋だ。20時も過ぎているというのに、彼女がここにいるということは、それなりの関係ということなのか!?


 遅くまで家にいる……もしくは、泊っていく……さすがに一緒に住んではいないだろうけど……



「名前は、ひじり藍子あいこ。僕の高校の時の元クラスメイトだ」


「あ、そこから行くんだ。確かにそうだね。私は3年間思いを募らせていたのに、全く気付いてくれなかった隆志たかしくん♪」


「ご、ごめんよ……」



 そうなのか? やっぱり、話の流れから、聖さんで間違いないみたいだ。


 確かに、聖さんとは高校の時、教室では何度か目が合っていた。でも、真剣な眼差しというか、どちらかというと、睨んでいたみたいな……だから、俺は彼女のことは少し苦手に思っていたんだ。


 美人だけど、俺のことを快く思ってない人……という認識だった。



「俺の方から告白したんだ」


「あー、記憶がないことにして改ざんしたー! ブッブー! 私からですー!」



 そうなの!? クラスでは大人しめの彼女の方から告白してくれたなんて、予想外だった。



「ごめんごめん。冗談だよ。ちょっと、今でも、男らしくなかったかなって思ってたりしてさ」


「そんなこと考えてたの?」



 彼女が俺が横になっているベッドにぐっと近づいた。それこそキスでもできそうな距離まで。


 彼女は俺の顔を覗き込んできた。目の奥というか、意識の奥を見ているというか……



「でも、もしも、記憶がなくなったんだったら嬉しいかな」


「なんで?」



 彼女は俺の首に甘く抱き付きながら続けた。



「この間、ちょっと意見が合わなくてケンカみたいになっちゃったでしょ? 最近の記憶だけなくなっちゃうんだったら、やり直しができるみたいで嬉しいかなって」


「もう、忘れてたよ」


「ほんとー?」



 俺は、ドキドキしながらも彼女の頭を撫でた。これまで、ノー彼女で女の子耐性がない俺にとって心臓の音まで彼女に届くんじゃないかと思うくらいドキドキしているけど、俺は今の非常事態をやり過ごす必要がある。


 俺が頭を撫でると、彼女はまるで猫のように目を細めて甘えてきた。


 ここで、俺は思った。


 もしかしたら、本当に俺は1年後にタイムリープしているのかもしれない、と。

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