第38話 コーヒーカップ


 オレを他の女子から引き剥がすといった、計画の範疇ではなさそうだが、ヤンデレと二人きりというのはやや不安があり、胃が痛い。

 コーヒーカップに乗車し、スタッフの指示に従って席に着く。


「じゃあ、スタートしますね」


 千聖は満面の笑みを浮かべながら、ハンドルを握る。その手つきは危なげなく、慣れている感じだった。


「行きますよぉ!」


 ゆっくりと回り始めるコーヒーカップ。最初はゆっくりだったが、徐々にスピードを上げていく。


「うわっ、は、速すぎないか!?」

「まだまだこれからですよぉ」


 千聖の声が聞こえたと同時にさらに速度が上がり、周りの景色が目まぐるしく変わっていく。


「ちょ、ストップ! 止まってくれー!」

「きゃははははっ、楽しいですね、お兄さん!」


 オレは必死にブレーキをかけるが、暴走するコーヒーカップを止めることができない。

 

「あはっ、あははははー!」

「止めろー!」

「きゃはははー!」


 大人しそうな彼女だけど、実際にはかなり豪快であり、オレは振り回されるのを恐れてコーヒーカップの中心にしがみつき、目をつむっている。

 そんな状態でも千聖は笑顔を絶やすことなく、オレを振り回す。


「あははー!」

「ぎゃぁぁぁ!!」

「あはは、楽しいですね!」

「たの……しいけど、目が回る!」

(えへへ、お兄さんと成り行きですが二人きり! それを喜ばないなんて、彼の恋人として失格ですよ!)

「あはは、もっといきますよ!」

「もう勘弁してくれぇー」

 

 目を回す最中、空を見上げるとそこには満天の星空が広がっていた。時間は夜に差し掛かっており、日は沈みかけている。

 遊園地を楽しみ、こうして黄昏るまでの流れは完璧と言ってもいいだろう。煌びやかな夜空を見ていると、絶景とも呼べる景色に心を奪われ、うっとりとしてしまう。

 オレは星々を見ながら、自己陶酔によって胸にとろりと熱いシロップを流し込んでいた。


「ふぅ……流石にちょっとだけ休憩」

「どうぞ、お兄さん」


 千聖はドリンクホルダーからスポーツ飲料を取り出し、こちらに手渡してくれた。


「サンキューな」

「いえ、お気になさらず」


 彼女は微笑みながら自分の分の飲み物を口にしている。千聖のその誰もがするであろう仕草でさえ、のあさんや美咲、杏里に勝るとも劣らない美少女ゆえに絵になる。

 オレはそんなことを考えながらも喉の渇きを潤すためにゴクッと一口飲む。


「んぐっ……ぷはぁ」

「ふふ、いい飲みっぷりです」

「このくらい普通だろ」

「そうですか? それじゃあ、そろそろ次に行きましょう!」

「まだ行くのか?」

「はい。まだまだ時間もありますし、もう少し遊びたいです」

「分かったよ……付き合うよ……」

「ありがとうございます!」

(やったぁ!)


 千聖と夜に乗るアトラクションは比較的緩いものを選んだ。

 3回目のコーヒーカップに乗っている際、目の前にはライトアップされた大きな城が見える。


「なぁ千聖ちゃん、あれって……」

「王子様とお姫様が暮らしている……という設定のお城です」


「身も蓋も無いな」


 まあ、高校生にもなって幻想を抱くというのも、現実逃避をしているようでオレはあまり好きではない。


「綺麗なお城ですね。いつか行ってみたいです」

「そうだね……。俺も一度でいいから、こんな所で可愛い女の子とデートしてみたいなぁ……」

「ふふ、そうですか? なら今度一緒に行きましょうか?」

「えっと……」


 いやはや、オレは自分で幻想を否定しながら、美少女に囲まれたことですっかりと調子に乗ってしまい、その嫌っている幻想を肯定し、甘い世界に足先から首まで浸かっていた。そこから飛び出した何気無い一言が千聖にとびっきりの大きな隙を与え、オレはそこにつけ込もうとしていた。


「冗談ですよ。私は行かなくても構いません」

「そっか……」

「はいっ」

(まだぽっと出の私が一気に掠め取ってもお兄さんを始め、不満が続出だろうし、じっくりと動いておいた方が後々に有利に働くでしょう)


「おーい、そろそろパレードが始まるぜ」

(お遊びの時間は終わりだぜ?)

「あんまり千聖ちゃんと遊んでいると置いていっちゃうよ」

(これ以上くっつけるのはいけないね。ふふ、これは千聖ちゃんも正々堂々潰してあげるためのプレゼント。喜んでくれて嬉しいわ)

「あっ、ごめんなさい!」

「早く行こうぜ」

(さあ、ここからが本番だよ! お兄さんにこれからたっぷりと私の事を意識させて、惚れさせるんだから!)


 千聖は二人の声に反応し、走り出す。

 その表情はオレと会ってから、何時も笑顔を絶やさない彼女の顔だった。

 だが、この時ばかりは少し違った。

 それはオレたちに向けられたものではなく、どこか別の所を見ていたように感じられた。

 

「どうかしましたか?」


 オレの視線に違和感を覚えた彼女がオレに尋ねてくる。彼女のことに関して確証が持てないオレは、彼女にこうして尋ねられても返しようが無いので、適当にはぐらかすことにした。不誠実かもしれないけど、しょうがないじゃないか。変に擦っても、彼女を傷つける結果を迎えないとも限らない。


「いや、気にしないでくれ」


 これはオレからの精一杯の気遣いであった。この気遣いですらも、彼女にとっては許せないことかもしれない。むしろもっとオレに、自分のテリトリーに踏み込んでいって欲しいと、心の鍵を掛けるどころか全力でミットを構え、こちらの全力投球を待っている可能性すらある。

 その可能性を示唆されてなお、オレは彼女のテリトリーに踏み入ろうとはしない。好奇心よりも、恐怖が勝っていたからであろう。


「何にも無いなら、行きましょう?」


 彼女はオレを手招きし、パレードを開催している会場へ向けて歩き出した。


「お、おう」

「おーい、待ってくれよぉ」

「ふぇぇ……」

「杏里ちゃんはやっぱりまだ疲れているようだね」

「三人とも、遅いですよ」


 道中で杏里、のあさん、美咲が合流し、再び五人という大所帯になり、必然的に騒がしくなる。杏里は相変わらずグロッキーである。スポーツをしていて体力は素人目で見てもある程度はあると見ていても、彼女は見るからに疲れている。

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