16話「カミングアウト」





熱海から帰って職場に行った日、儀礼的なものではなく、でも“ほんの気持ちにしかならないけど”と思いながら、谷口さんと鈴木君には、ラスクの小箱をそれぞれ渡した。


その時谷口さんに、「彼女、喜んでましたか?」と聞かれて、僕は、「ええ、まあ…」と、曖昧な返事しか出来なかった。


僕は以前、“恋の悩みを打ち明けられる相手が居ない”と悩んでいた頃、雄一の素性は明かさずに、谷口さんからアドバイスをもらった。


それに、彼女はずっと、“相田さんの彼女”を心配してくれている。


雄一のことがどう受け止められるのかはわからないけど、僕は、“これ以上黙っているのも谷口さんには申し訳ないんじゃないだろうか”と思い始めていた。



もちろん雄一は、僕にとってかけがえのないパートナーだ。それを話題にしたいだけなら、彼が男性だろうが女性だろうが、何も変わりはない。


もしかしたら、僕自身が雄一のことを「彼女が」と口にすることに、耐えられなくなっていたのかもしれない。





「それにしても、ほんとに珍しい。相田さんから飲みの誘いなんて」


以前会社帰りに谷口さんと立ち寄った居酒屋は、その日が水曜日だからか、普段よりは席が空いていた。前とは違う四人掛けのテーブル席を陣取って、僕たちはお酒を飲んでいる。


「この間、仕事を代わってもらったし、今日はここの払いは僕に出させてください」


「え、別にいいのに!」


「いえいえ、嬉しかったので」


「そう…じゃあ、お言葉に甘えて。今日はごちそうになりますね!」


嬉しそうに笑っている彼女が、僕の話を聞いてどんな顔をするのか。僕は、不思議とそんなに不安に思わなかった。


もちろんすごく驚くんだろうけど、僕にまつわることなら、谷口さんは親身になって聞いてくれるだろうという、信頼があった。それを期待をし過ぎたり、そのことに甘えすぎてはいけないとはわかっていたけど。


鈴木君にはもう相談をして、「いざという時には、誠意しか役に立ちません」とアドバイスをもらったし、僕は居住まいを正し、食事が運ばれてくる前に、こう切り出した。


「谷口さん、僕、あなたに伝えそびれていたことがあります」


「えっ…」


谷口さんは心当たりがないからか、ただ僕の言葉を待っていた。


“大切な人であることに変わりはないと、伝えるんだ”


僕はその時、自分と彼の関係に、世間並みの偏見を着せていたと気づいて、顔が熱くなった。それを改めたい気持ちで、また口を開く。


「僕には女性の恋人は居ません」


その言い方で、多分谷口さんは僕の話のほとんどを察したのか、そこですでにひどく驚いていた。彼女は、大きく開きかけた口を閉じるため、片手を口元に添える。


「彼は、高校時代に出会った、僕の大切な人です」


谷口さんは、驚いたまま硬直し続け、沈黙が流れる僕たちのテーブルには、ざわめきや音楽は遠かった。


だいぶ経ってから、彼女は少しこちらを覗き込むように首を伸ばし、こう言う。


「詳しく聞いても、大丈夫…?」



僕はそれから、彼との出会い、その後の付き合いと、別れ、再会についてを、つらつらと語った。谷口さんは僕に何かを聞くことはあまりなく、僕が一人で喋っていたに近かった。



「えー!嘘ー!すごーい!運命的じゃん!よかったねまた会えて~!」


話が終わったことが、数秒の沈黙により証明された時、谷口さんはまず、そう叫んだ。僕はそこで、“やっぱり聞いてもらえた”と思って、嬉しかった。


「ええ~、でも、それじゃあ、今までごめんなさい!私ずっと彼女さんだと勘違いしてて、無神経なこといっぱい言っちゃって…」


「いえいえ、僕の方が、言わずに騙してるみたいなのが嫌だったから、話したくて…」


「そっかぁ…」


そこで一度場は静まって、谷口さんは下を向いた。僕は話し終わってから、ずっと自分の想い人の話ばかりしていた気恥ずかしさに、頬を掻く。


「でも…話してくれて、うれしい」


「え…」


今度は、僕が驚く番だった。谷口さんは顔を上げ、僕を見据えて微かにだけ、どこか勇敢に微笑む。


「私が、話しても大丈夫だって思ってもらえたんでしょ?それって、信頼されてるみたいで、嬉しいよ。これからも、応援する!」


そう言って彼女が微笑んでくれる。


“あの頃とは、違うのかもしれない”という言葉が、僕の胸に湧く。


誰かの意思で、関係を引き裂かれてしまった、幼い頃と、立派に自分の思いを認めてもらえる今は、やっぱり違う。恐れる必要がないなんてことは、どんな関係においてもないけど、僕たちは、この関係を支えてくれる人たちの中に、今は居られる。


それが僕にとって、どれほど欲しいものだっただろう。


「ありがとうございます…谷口さん」


「ふふ。いいの」


谷口さんは、泣いてしまいそうな僕の頭をテーブル越しに撫でた。


「あ、それで、どんな人なの?写真とかある?」


「あ、ありますよ。この間の旅行のとか」


「へえ。見てやりましょう」


言いながら、谷口さんは薄赤いバイスサワーを一口飲み込み、僕が差し出したスマホの画面を覗き込んだ。


「えっ!?ちょっと待って、めっちゃイケメンじゃん!」


僕は、その言葉がとても嬉しかった。だからつい、惚気を言いたくなってしまった。


「かっこいいでしょ。しかも、家事とかすごく手伝ってくれるし、僕にとても優しいんです」


「へー…」


僕は、その時谷口さんが若干の嫌悪感を顔に出していることに、気づかなかった。彼の魅力を語れる場所を逃したくない一心で、喋り続ける。


「何かをするのに努力をし始めると、人並み以上の結果が必ずついてくるし、記念日も忘れずに祝ってくれるんですよ。誕生日の時は、僕が仕事が遅くなって、「その日の間に祝えなかった」って、むしろ怒られちゃいました」


そこで僕は急に、頬をぐいっとつねられた。


「いで…いだいです、谷口ひゃん」


見ると、谷口さんは不機嫌そうにひねた顔をしていて、でもそれは、ちょっとコミカルに作ったような表情だった。


「幸せそう過ぎて、むかついてきた」


「それは、どうもすみまへん…あの、手、放ひてくれませんか…」


そんなこんなで、カミングアウトは済んだのだった。





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