11話「想い人」





その日、鈴木君は暗く沈んだ様子だった。でも、仕事はきちんとしていたし、僕にも仕事があるから、あまり彼の方ばかり気にはしていられない。でも、心配だった。


前日に僕に「話さなきゃいけないことがあるんです」と言った彼は、何か重大な秘密を持っているように見えた。


“もしかして、この職場でやっていく自信をなくしているのかな。でも、彼の仕事は悪くなんかないし、誰も彼を責めたりなんかしてない…”


僕は考えてみたけど、彼が何に悩んでいるのかは、わからなかった。


その日の仕事も終わりが遅くて、僕たちがやっと会社を出たのは、十時十分だった。


僕は雄一にメッセージを送り、夕食が要らないこと、帰宅は遅くなることを伝えた。


「すみません、こんな時間に…話はあまり長くならないので、居酒屋にでも…」


鈴木君は首をすぼめて申し訳なさそうにしていて、僕は彼の肩を叩いて、「いいですよ、行きましょう」と、会社の最寄り駅の居酒屋を選んだ。



店に着いて席に座ると、鈴木君は「自分は飲まないので」と言って、ノンアルコールビールを頼んでいた。


僕も同じものでも良かったけど、その日もくたびれたので、鈴木君に断って、僕は生ビールを一杯頼んだ。


飲み物が運ばれてきてからも彼は浮かない顔で俯いていたので、肴の注文は、僕が適当に夕食らしいものを二つ三つ選んで済ませた。


食べ物がすっかりテーブルに出揃うまでは三十分も掛からなかったけど、鈴木君はじっと黙りながら何か躊躇っているようだった。


“もしかしたら、これは本当に深刻な問題なのかもしれない。僕で用が足りるといいけど…”


だんだんと僕まで不安になってきた頃、つまみにひと口も手をつけないままで、鈴木君が僕をじっと見つめた。


それは切なげで、苦しそうな瞳だった。だから僕はちょっとまごついてしまい、「どうしたの?」と問う。鈴木君は首を振った。


「僕なんかが言うことじゃないんですけど…」


「うん」


相槌を送ると、彼はさらに、痛みに耐えるように顔を歪めた。僕はその時まで、彼が何を言おうとしているのか、まるでわかっていなかった。


鈴木君は、これ以上ないほど言いにくそうに、何度も口を開きかけてはまた閉じ、とうとうこう言った。彼は居酒屋の床を見つめていた。


「僕…あなたに、恋をしているんです」


その時僕がどれだけ驚いたのかなんて、正直に言うとわからない。とんでもなくびっくりしたような、もしくは何も思わなかったような気がする。


だって、僕は雄一以外からも想われる自分には、想像が至らなかった。だから、鈴木君の言ったことが本当なのかも、全然わからなかった。


“でも、すぐに返事をしたら、傷つけるんだろうな”


もはや、どんな風に気遣おうとも、鈴木君が傷つくのはわかっていた。だって僕にはもう恋人が居る。それを彼に言ったら、もちろん彼は落ち込むだろう。


だから僕は、充分に時間が過ぎていくまで、鈴木君を見守ることにした。多分、彼には話したいことがたくさんあるんだろうから。


鈴木君は下を向いたままで、自信がなさそうに、そして何かの罪を償おうとするように、僕に気持ちを告げた。


居酒屋の雑音にその声は時折阻まれ、彼の声は小さかった。


「僕は…あなたが優しくて、可愛らしいと思っているだけです…ほかに考えていることはありません…もちろん、僕は男性だから、こんなことを言われるなんて思ってなかったでしょうし…気持ち悪いと感じても、僕はあなたを責めたりしません…」


“ああ、やっぱり同じことで悩むんだ…”


僕はなんとなく、“このあとは彼を慰めてやらなきゃな”と思っていた。


鈴木君は僕の目をちらりと見てから、深く傷ついたように顔を背けて話をする。彼は両手をずっと膝に乗せ、背中を丸めていた。


「断られるのはわかっているし、僕とはもう付き合いたくないでしょう…でも、でもどうか…心の中でよく思っていなくても…このことを誰かに話すのはやめてください…それだけは、お願いします…」


その時にやっと、僕は口を開くことができた。彼が必死に悩んでいることが僕とほとんど同じで、だからこそ答えをあげられるのが、嬉しいくらいだった。でも、胸は痛む。


「そんなこと、しやしないよ。僕からも話すことがあるし」


“どうしようかな。でも、ここまで来たら話してあげた方がいいよな…”


その判断が正しかったのかはわからない。でも、それでなんとか上手く運んだ。


僕はテーブルに少し身を乗り出す。鈴木君は、それを怖がるように身を引いた。


「僕にはね、恋人がいる」


それを聴いて、彼は泣きそうな顔で僕を見た。僕は一つ頷いて見せる。


“彼は納得してくれるだろう”


僕はあまり悩まず、雄一のことを思い浮かべながら喋った。


「僕の恋人も男性で、とても僕に優しくしてくれる。ずっと昔、学生時代からの付き合いなんだ」


そんなことまで話す必要はなかったはずなのに、僕は初めて人に打ち明けられたのが、ちょっとだけ嬉しかった。でも、僕の恋人として名乗りを上げることができなかった鈴木君を、もしかして深く傷つけていやしないかと、僕は彼の様子を窺う。


顔を上げて彼を見てみると、鈴木君はとても驚いていたようで、口をやや開けたまま、ぽかんと僕を見ていた。


「びっくり、した?」


そう聞いてみると、彼は黙ったまま、急いでこくこくと頷く。


「そうだよね、だから、僕たち同じことに悩んでるんだ、それで…」


僕はその時、ちょっと気が咎めたので言えなかったけど、本当は、同じ目線を持つ者として、彼に自分の恋を相談してみたかった。でも、そんなことをしたら彼はたまったもんじゃないだろう。


でも、鈴木君はこう言ってくれた。


「あの…僕…僕たち…」


彼はまたおずおずと言いよどみながらこう話す。


「相談相手、くらいに…なれませんかね…」


それは願ってもない申し出だったけど、つい今しがた恋心を破られておきながらもそんなことを言える鈴木君は、すごいと思った。


僕はもちろん「はい」と言いたかったけど、すぐに返事をするのはやめた。


充分に間を置いて、その間実際に悩みながら、彼の気持ちを優先して考える。


「でも…いいの?」


そう言うと彼は迷い始めたけど、やがてはそれを振り切るように首を振り、今度は顔を上げて真っ直ぐ僕を見つめた。


「お互いに、こんな話をできる人間がいないと、困るでしょう」


正義感か、僕への思いやりか、おそらくそのどちらもを抱えた様子で、彼は僕を見てくれている。それが申し訳なくて、有難かった。


「ありがとう。じゃあ、何かあったら、ちょいちょい呼んでもいい?かな…?」


「はい!」


その時の鈴木君は背筋を正してはっきりと返事をしていた。僕は彼に一度頭を下げてお礼を言い、それから二人で食事に掛かった。





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