第4話:「牛乳農家に謝れ!」

 ゆなちゃんとひーちゃんが一緒に生活するようになってから早三ヶ月。

 少しずつですが、ゆなちゃんも生活サイクルができてきて、朝の早起きも、夕食の支度にも慣れてきていました。

 一方でひーちゃんは、二週間ほど前から新しいプロジェクトを担当することになり、深夜まで残業する日々が続いたりして、不機嫌なまま帰宅することもほんの少し増えてきました。

 それでもゆなちゃんが一生懸命作ったご飯は絶対完食しますし、スーツを脱いでそのままベッドに倒れ込んでもおやすみのキスは欠かしません。

 ゆなちゃんは、


——こういう時こそ、妻としてひーちゃんを支えなきゃ!


 と、毎晩の料理や他の家事を頑張っていました。



 その日ゆなちゃんは、ひーちゃんの好物である餃子を、いつもの冷凍食品ではなく、自分の手で握って作ってみようと決意しました。ニンニクは力が出ると聞きますし、幸いその日は金曜日だったので、匂いが残っても翌日に支障はありません。


 なるべく失敗しない方法を、ゆなちゃんはSNSやレシピサイトで調べ上げ、スーパーに買い出しに行き、念のため餃子の皮を多めに買って帰宅しました。

 種を作るのは簡単でしたが、勝負はもちろん、包むことです。

 この時点で時刻はまだ午後五時。

 仮に二時間かけて包んでも、ひーちゃんが帰るまで相当余裕があります。

 ゆなちゃんの慎重さと、ひーちゃんへの愛が伺えます。


 ゆなちゃんは小さな手でひとつひとつ、餃子をくるんでいきました。

 最初は種をどれくらい手に取ればいいのか分からず、多くしすぎて皮が破れてしまったり、逆に少なすぎて皮がメインになってしまったりしましたが、ゆなちゃんは負けませんでした。

 

——ひーちゃんが頑張ってるんだから、私も頑張れるんだ!


 肩が凝ってきても、ゆなちゃんは地道に、丁寧に、餃子を包み続けました。


 そして、午後七時四十八分、多少いびつなものもありましたが、総数四十個の手作り餃子が完成しました。

 ゆなちゃんは達成感でいっぱいになり、ふぅと息を吐いて額を拭いました。

 

——ここで油断しちゃダメだ、ちゃんと焼かなきゃいけないし!


 少し休憩してから焼こう、ひーちゃんは遅いだろうから、と考えたゆなちゃんでしたが、次の瞬間、


『休んでる間に寝落ちする』


 という展開が読めたので、勢いで全部一気に焼いてしまうことにしました。


 一番大きなフライパンをコンロに置いて温めていると、スマートフォンにひーちゃんからメッセージが届きました。


『今日は早く帰れそう! 九時前には家に着くかも!』


 ゆなちゃんは大喜びで、


『お疲れさま♡ 今日はひーちゃんの好きなものを作ったよ! お楽しみに♪』


 と返信しました。

 しかし次の瞬間、ゆなちゃんは冷や汗をかくことになります。

 上手く焼けなかったら全てが終わるからです。


——ぜ、絶対成功させる!!


 ゆなちゃんは慎重にフライパンに餃子を置いていき、十五個が限界だったので三回に分けて焼くことにして、菜箸片手にコンロの前に仁王立ちして眼を光らせていました。


 そして八時二十四分、ついにゆなちゃんお手製の餃子がきれいに焼き上がりました。

 我ながらその出来に感動したゆなちゃんは、スマホで何度も餃子の写真を撮り、盛り付けをしてからまた写真を撮り、配膳をしてからまた写真を撮り、ひーちゃんがどれほど喜んでくれるかと想像してはウキウキしていました。



「たーだいまぁ! あ、なんか良い匂いがする!!」

「ひーちゃん、おかえり! お仕事お疲れさま!」


 ひーちゃんのスーツの上着を預かり、


「見て、ひーちゃん! 手作りだよ!!」


 と、食卓の餃子を両手でバッと示しました。

 ひーちゃんは目を丸くして、


「え! これ買ったんじゃないの?! ゆなちゃんが作ったの?!」

「そう! 皮と中身買ってきて、夕方から一個ずつ包んで、ちょうどさっき焼き上げたんだよ!!」

「え、凄い! ゆなちゃん凄いよ!! ありがとおおおおう!! 超嬉しい……!!」


 驚いたことに、ひーちゃんは目を潤ませて、慌ててあふれだした涙を拭いました。


「ひーちゃん……?」


 ひーちゃんは眉をハの字にして、


「あ、ごめん! 僕、最近仕事で嫌なことばっかで、ゆなちゃんとの時間も作れないし、疲れてばっかで態度も悪かったのに、ゆなちゃん、僕のためにこんなに頑張ってくれて……、それが、嬉しくて——」


 ゆなちゃんは迷わずひーちゃんを抱きしめました。


「お互い様だよ、ひーちゃん。二人で支え合っていこうって、最初から言ってたじゃん。私たち夫婦なんだから、当たり前だよ! 私だってまだ全然家事ちゃんとやれてないのに、ひーちゃん怒ったりしないし。とにかく今は食べてよ! 冷めちゃうよ!」


 ひーちゃんはこくこくと頷いて、椅子に座りました。

 そして箸を手に取り、いただきます! と元気な声で言ってから一つ目の餃子を手に取り、醤油と酢、ラー油でできたタレにつけ、丸ごと口に入れました。


「美味しい!! ゆなちゃんこれ超美味しいよ!!」


 言いながらひーちゃんは二つ目三つ目と猛スピードで餃子を貪り食っていきました。まるで白米がチェイサーとでも言わんばかりの勢いでした。

 ゆなちゃんは嬉しくて、


「好きなだけ食べてね、ひーちゃんのために作ったんだから」


 と言ってキッチンの冷蔵庫に向かいました。


「飲み物何がいい? ミネラルウォーターと麦茶と、あ、あとほうじ茶もあるけど——」



「牛乳」



 ピシリッ、と、何かにひびが入るような音が聞こえた気がしました。


「え、なんて?」

「え、牛乳。あとジンジャエールあったよね? アレも。後で割って飲むから」

「え、ジンジャエールと牛乳混ぜて飲むの?」

「え、うん。美味しいよ」

「え、あ、そうなの? っていうかひーちゃん今餃子食べてるよね? 牛乳飲むの?」

「え、うん。ちょっと勢いよく食べ過ぎたからすぐもらっていい?」

「え、ぎゅうにゅう……?」


 餃子を包むのに一生懸命になりすぎたのも原因かも知れません、ゆなちゃんは目眩を起こし、ふらっと倒れ込みそうになるのを何とかこらえました。

 そして頭の中がぐるぐると回る感覚と共に、これまでのひーちゃんの混ぜ混ぜっぷりが脳裏によみがえってきました。


——ラノベと量子力学とドストエフスキー、料理とスマホゲームとプログラミング、ブラックメタルとマイメロと私の写真、極めつけに、私が必死で作った餃子をぎゅう、ぎゅう、ぎゅうううううううううう



「ぎゅ、牛乳農家に謝れえええええええぇぇ!!!!!」



 気がつくとゆなちゃんはそう叫んでいました。

 ひーちゃんは唖然として、鳩が豆鉄砲を食らった上に頭に鳩の糞を落とされたような顔をしていました。


「ゆ、ゆなちゃん?」

「失礼だろうが! 餃子と牛乳?! しかもジンジャエールも?! 牛乳作ってる農家の人たちはそんな飲まれ方想定してねえよ!! 失礼極まりねえよ!! つかひーちゃん何でも混ぜすぎなんだよ!!! 今まで『普通』って言われて私もそうかなって思ってきたけど今確信したよ! まーぜーすーぎーなんだよ!! 色んなジャンルの本読みます? 僕博学です的なアピール? 好奇心旺盛ですってか? 知ってるよ!! でも普通あんな量の本を入居日に『一番大事なもの』とかって送ってこねえよ!!!」


 これにはひーちゃんも驚きました。


「ゆなちゃん! それはちょっと酷いんじゃないの? 僕だってゆなちゃん洋服持ってきすぎって思ったけど口には出さなかったし、お互い様じゃん! なんでそんなに怒ってるの? 口調も今まで聞いたことないくらい乱暴だし! それに多分牛乳を作ってる人たちは牛乳農家じゃなくて酪農家さんたちじゃないかな!?」


「男がこまけーこと気にしてんじゃねえよ! ハッ、口調? ひーちゃんは県央出身だから知らないだろうけどウチの地元の県境ではこれくらいが普通なんだよ!! 隠してて申し訳ございませんでしたね!! つかアレも何なの? フライパンで愛妻のために料理しながら片手間でプログラミングとゲーム!! こっちゃ片手間で愛されても嬉しくねえっつの! マルチタスクあんだけできるのは普通にすげえよ! でも普通あのタイミングでやるか? わざわざ私を寝室に待機させて?!」


「ゆなちゃんは怒るかもしれないけど、アレも俺にとっては普通のことなんだよ! マルチタスクっていうか、同時にいくつかのことができるのは昔からだし! でもゆなちゃんを片手間で愛してるなんて考えもしなかったよ?!」


「はん、初めて一人称が『僕』から『俺』になったね! 三年間で初めてじゃない? 何だよそっちも猫株ってたんじゃん、お互い様だね〜!! あとアレな、ディスプレイ!! 窓際の!! あのさ、嫁とジャニーズを並べないでくれよ頼むから!!! しかも嫁の写真がフレームレスで推しの卓上カレンダーがちゃんとフィルムに入ってるっていうあの扱いの差、アレは結構凹んだよ? 私じゃなくて道枝くんと結婚すれば?」


「黙って聞いてりゃなんだよその言い草は!! 道枝くんは尊いから仕方ないだろ!!」


「それは認める!! むしろ私が道枝くんと結婚したいくらい!! もうひーちゃんの混ぜ混ぜっぷりにはうんざりなんだよ!」


「混ぜて何が悪いんだよ!! っていうかゆなちゃんだって混ぜることあるだろ?!」


「ひーちゃんには負けますよ完敗ですよ白旗揚げて全面降伏いたしますよ!!! もうついて行けないんだって!!! とりあえず牛乳農家に謝れ!!!」


「だから酪農家だって言ってんだろ!!」


「いちいちうるせえんだよ!!」


……このような大喧嘩が、延々と、夜遅くまで続きました。

 ひーちゃんは叫んでいる合間に餃子をつまんで食べ、ゆなちゃんも負けじと食べていました。

 結果的に、四十個の餃子は無事二人の胃袋に収まったわけです。

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