02.裏があると思っています

「嬢様……よかったんですか、あんな約束をして」


 劇団タントールの劇場を出た後、アイナが不安げに声を上げた。ルティアはそんな彼女をチラリと見上げる。


「アイナ、リカルド様とはどのような方ですか?」

「いえ、あまり詳しくは。一緒にオーケルフェルト騎士隊でいたのは半年程しかなくて……でもまぁ、真面目で芯のある人間には違いないと思う」

「私もそう感じました。それだけで十分です」

「でも嬢様、なんでもするなどと」

「私の出来る範囲内でなければお断りするだけです。案ずることはありませんよ」

「そう簡単に断れるものかな……」


 アイナはやはり不安に駆られているようだったが、今から先のことを気に病んでいても仕方がない。

 とにかく今はユリフォード家を潰されぬように、フルックの思惑を暴く方が先決である。


 しかしリカルドとアイナが知り合いだったのは驚きだった。

 劇団タントールはアマチュアだがかなりの本格派で、このランディスの街では結構人気の劇団だ。

 かくいうルティアもタントールが大好きで、幼い頃から通うフリークである。

 この劇団は太陽組、虹橋組、青空組の三組に分かれてるのだが、太陽組の公演の際には必ずと言っていいほど足を運んだ。


 誰にも内緒だが、お目当ては……実はリカルドだった。


 彼が主役を張ったことは、ルティアが知る限りない。大抵は悪役か、それでなければ主人公を支える役柄が多かった。

 悪役は演技力の高い人がなると聞いたことがあるので、彼の実力は確かなのだと思う。

 それでも彼は主役を張らなかった。

 いや、張れなかったという方が正しいのかもしれない。彼は二十代前半だろうが、一見すると怖くて年齢が高く見える。

 ルティアがリカルドを初めて見たのは八年前だったが、その頃から彼の顔は変わっていなかった。恐らく十年後も二十年後も、見た目は今のまま変わらないのではないかとルティアは思っている。

 だが、ルティアはそんな彼の顔が大好きだった。舞台に立つと一瞬で表情が変わって、生き生きとしているリカルドに、いつも目を奪われていたのだ。


 しかしファン歴は長くとも、舞台を降りた後の彼の顔は知らなかったので、ルティアは少し驚いていた。

 リカルドが騎士だということも知らなければ、あんな能面のような男だとも知らなかったのだ。

 舞台上の彼を見て、勝手に優しく朗らかで紳士な人柄を想像してしまっていたが、現実はこんなものかと若干の落胆を含んだ息を漏らす。


 でもそれでも。


 彼のギラついた鋭い瞳だけは、舞台の上だけのものではなかった。

 なにかをやり遂げようとする際の彼の瞳を、ルティアは全面的に信用した。

 リカルドなら、きっとなにか情報を掴んでくれる。

 その確信が、ルティアにはあったのだ。


「嬢様?」

「な、なんです、アイナ」


 思わずニヤリと笑ってしまっていた顔を取り作り、ルティアはアイナに目を向ける。


「奥様と旦那様には、私から詳しい事情を申し上げると言ったのですが」

「……お父様とお母様に……いえ、私が自分で伝えます」

「大丈夫ですか?」

「側に控えていてくれると嬉しいです」

「それはもちろんだよ」


 激しく気が重いが、言わない訳にはいくまい。

 家に帰ると、両親を前に事の経緯を話した。

 思った通り父親はぶっ倒れてしまい、母親はそれを横目で見ながら凛と背筋を伸ばして立っていた。

 恐らくルティアは、この母親の血を強く受け継いでいるのだろう。

 きっと彼女も頭はパニックになっているはずだったが、表面を取り繕う技能に長けているのだ。


「で、どう責任を取るつもりです、ルティア」

「フルックがあんなことを言い出したのには裏があると思っています。そもそも、ガルシア家は見かけだけで困窮しているという話。ならば、このユリフォード家にとってはもうどうでもよい婚姻とも言えるはずです」

「それが真実だとしても、あなたから婚約破棄をした以上、ユリフォード家は多額のお金を支払わなくてはなりませんね? それをどうするのかと聞いているのです」


 母親の詰問は当然だ。それだけのことをルティアはしてしまったのだから。


「今はまだ何とも言えませんが、なるべくお金を払わなくてすむよう、知恵を絞るつもりでおります」

「知恵を、ね……知恵だけで切り抜けられることならよいのだけれど……」


 母親はハァッと闇の底まで届くような深い息を吐いて、「少し寝るわ」と寝室へと入っていった。

 アイナは倒れた父親を見て、そしてルティアに目を向けてきている。そんな彼女にルティアは微笑んでみせた。


「アイナ、お疲れ様。今日は時間外労働をさせてしまって申し訳ありませんでした。帰ってゆっくり疲れを取ってください」

「じゃあそうさせてもらうよ。ルティア嬢様も、あまり考え込まずにね。なるようにしかならないんだから」

「ええ」


 アイナが帰ると、ルティアはそっと父親を起こしてあげた。目を開けるとそのままヨロヨロとなにも言わずに寝室へと消えて行ったが。

 ルティアはリカルドを信じて、朗報を待つより仕方なかった。


 翌日、ガルシア家からの使者がユリフォード家に訪れた。

 そして婚約破棄に関する慰謝料などの仔細を書かれた書類を渡されて、愕然とする。元々支払えるとは思っていなかったが、屋敷を売り払ってもまだマイナスにしかならないその数字は、異常でしかないだろう。

 さすがに高過ぎると減額を申し出たが、あっさりと却下された。

 あれだけ大勢の中で婚約破棄を言い渡され、恥を掻かされたことを盾にし、ガルシア側は提示金額を変えるつもりはないようだった。

 ガルシアの使者が帰った後でまた両親は寝込んでしまい、ルティアはとにかくリカルドからの連絡を待つ。

 しかし二日経っても三日経っても、彼からの音沙汰は一向になかった。


 まさか、なにも尻尾を掴めなかったのか。

 それとも、元々調べる気などなかったのか。


 不安になりながらもルティアは待つしかなかった。彼の眼鏡の奥の、鋭い瞳を信じて。

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