第5話

 定時を迎えた鮫島はエプロンを丸めてリュックサックに突っ込み、タイムシートに退勤時刻を記入する。

「おつかれさん」

「あ、店長、お疲れ様です」

「元気になってよかった」

「……本当にこの前はすみません」

 カラカラと笑いながら安心する店長とは反対に鮫島は赤面していた。

 今となってはなぜあのような事になったのか不思議でたまらない。

「それにしてもあの商品を全部売りつけるだなんてねぇ」

 返品する手間が省けたし、売り上げにも繋がった。

 そう店長は感心している。

 前回の防音室でのカウンセリングのあと。

 宗太郎によって例の売り場に連れていかれた鮫島は質問された。

「これの在庫はまだあるか?」

「在庫ですか?」

「俺が全部買い取って預かっておく。バイト代が出たら少しずつ買い戻せ」

 そう言って彼は返品されて細断処分される予定だったCDやバンドスコアをすべて買い取ってしまった。

 鮫島はあの商品の買い取りは依頼しなかった。しかし宗太郎が買い取るという形で保護してくれたのだ。あの時の宗太郎より漢気のある人がこの世にいるのだろうか。

 それにしても「宗太郎に売りつけた」だなんて心外な表現だ。

 しかし尾神樹里をシュレッダーに掛けずに済んだことに比べれば些細な問題だった。

「まさかそれを見越して演技してた?」

「いえ、あれは本当にガチ泣きしていました」

「鮫島くんは実力派俳優になれるんじゃない?」

「店長、本当にその話は勘弁してください」

 尾神樹里のためならば鮫島は何でもできる。

 同僚から何度もからかわれているが、彼女のためならば甘んじて受け入れる。

 しかしさすがの鮫島も羞恥心だけは持っていた。

 彼女のためならば我慢できるが、さすがに恥ずかしくて仕方なかった。

「それにしても今日はやけに張り切っていたけど?」

「ちょっと知人と待ち合わせをしていまして」

「ふ~ん。まぁ一日で元気になってくれて良かったよ。じゃ、明日もよろしく」

「はい。お疲れ様です」

 楽器店を出た鮫島は職員用駐輪場に止めていた自転車にまたがり、早まる気持ちを抑えながら待ち合わせの場所へと向かった。

同じ『ロミオ』との出会いを楽しみにして。

そして尾神樹里のためのお別れオフ会を実行する使命感に駆られながら。


 必死に自転車を漕いでようやく目的のファミレスに到着した。

 駐車場から店舗を観察すると店内はそれなりに賑わっている。入口の近くには迷彩柄の帽子をかぶった男性がタバコをふかしながらスマホを操作している。

 鮫島は駐輪場を探してそこに自転車を停めた。

 そしてスマホのSNSアプリを起動してメッセージを確認する。すでに他のメンバーは到着しているようでハルトマン軍曹からDMが来ていた。


  店に到着したぞ

  ブッシュハットを被って入口で待ってる


 鮫島はブッシュハットというものが何か分からなかった。しかしハットと付くだけあって帽子の種類だろう。ファミレスの敷地内に入ったときにそれらしい人物を見かけていた。

 建物の影から入口をのぞき込むとやはり帽子を被った男性が立っていた。鮫島は不安げにその人物との接触を試みた。

「あの、もしかしてハルトマン軍曹ですか?」

「ん? ああ、フカニート?」

 どうやら正解だったようだ。

 鮫島が到着したことに気付いたハルトマン軍曹は吸っていたタバコを携帯灰皿に放り込んだ。彼が口にしていたタバコはまだ長く、おそらく火を付けたばかりだったのだろう。一本吸い終わるまで待っていても良かったというのに。しかし何も聞かずに消したところを見るとおそらく彼もお別れオフ会の準備を楽しみにしているのだろう。

 ハルトマン軍曹に連れられてファミレスに入店すると、そこには二人のロミオがいた。

 今回の会議に来ているのはタシロンと名乗る人物だけのはずだ。しかしその座席に座っていたのは男性と女性が一人ずつ。

「初めまして。『フカちゃん』こと鮫島です」

 鮫島は想定していない人数に戸惑いながらも彼らに名乗った。

 ソファーに座っていた女性が口を開く。

「田代です。ネットではタシロンと名乗っています」

 てっきりタシロンは男性だと思っていた。担当楽器がチューバということもあり男性だという先入観を持っていた。

 たしかに尾神樹里の配信には女性からのコメントも多くあったが、割合的に人口はそこまで多くはなかった。そんな数少ない女性ロミオが今回の会議にやってくるとは想像すらしていなかった。

 続いて隣に座っていた男性が名乗った。

「どうもグロ中尉の群馬です。トランペットを吹いています」

 初めて聞くハンドルネームに戸惑っていると隣からハルトマン軍曹が助け舟を出してくれた。

「俺のネット仲間だ」

 たしかにそう言われると二人はコンビのように見える。

「もしかしてお二人は自衛官とかですか?」

「なんで?」

「軍曹とか中尉とかって確か軍隊の階級ですよね?」

 その回答にハルトマン軍曹は笑いながら正体を現した。

「俺は元陸自だけど、こいつはただのミリオタ大学生だ」

「じゃあ僕とほぼ同い年ですね」

 鮫島は大学に進学したものの一年も経たずに中退してしまった。

 もしもそのまま大学に通っていたらどこかでグロ中尉に出会っていたのかもしれない。そしてキャンパスの中で共通の推しについて語り合っていたのかもしれない。

 中退しない選択をした存在しない自分を想像したが空しいばかりだった。

 鮫島はその想像を振り払うかのように今回の議題を切り出した。

「それで今回はDMで説明したとおり、演奏会で使用する楽曲をある程度決めておきたいと思います。群馬さん、今回の議題ってハルトマン軍曹から聞いていますか?」

「もちろん。あと俺たちはハンドルネームで呼び合おうぜ」

「わかりました。じゃあグロ中尉さん」

「いや、さん付けしなくていいよ」

 たぶん同い年だろうしさ。

 グロ中尉はそのように続けた。

 きっと鮫島は大学を中退しなければ講義の空き時間にグロ中尉とオタク談義に花を咲かせていたのかもしれない。

 しかし鮫島は大学を辞めた事に何の未練も持っていなかった。あの時の彼はとうてい大学に通い続けられる状況ではなかった。単位を落としまくって留年して余計な学費を支払うよりも、さっさと中退したことは正しい判断だと思っている。

 いや、今は中退しなかった未来を想像している場合ではない。

 他のメンバーたちもそれぞれの呼び方を話している。

「私もタシロンでいいから」

「俺もフカニートって呼ぶからさ」

「だからもうニートじゃないですって」

 このハルトマン軍曹はどうやら呼び方を変えてくれることはなさそうだ。

 呆れながらも鮫島は議題に戻った。

「僕としては『シーゲート序曲』だけは演奏したいと思うんです」

 尾神樹里は吹奏楽の雑談配信を過去に数回していた。

 鮫島は前日のうちにそれらの記録を確認しておいた。

 しかし彼が口にした『シーゲート序曲』はそれを見るまでもなかった。初めて彼女のフルートが登場し、そして彼女が鮫島を公開説教した配信。そして鮫島がアルバイトをするきっかけになったあの配信で最初に話題にあがった楽曲だったからだ。

「やっぱり『シーゲート序曲』は外せないよね」

「そうそう、樹里ちゃんの初めての自由曲だからさ」

 どうもこの提案は全員一致で確定。

 しかも優先度も一位で決まりだろう。

 タシロンがさらに議題を広げる。

「あの配信では他に自由曲が出ていたよね」

「『喜びの音楽を奏でて!』と『管楽器と打楽器のためのセレブレーション』ですね」

 グロ中尉が即答した。

 尾神樹里がコンクールで演奏した自由曲なんて本気の『ロミオ』なら誰でも答えられる基本的な情報だ。

 しかしそれらの楽曲はどうなのだろう。

「今回のコンセプトってお別れ演奏会ですから、祝典セレブレーションは少しテーマから逸れるかなと思うんです。もう片方ならメッセージ性はあると思うんですけど、コンセプトからは少し微妙かなと」

「それならスウェアリンジェンの他の作品から選ぶとか?」

「ぱっと思いつくものだと『インヴィクタ』とか『センチュリア』とかですね。ただ絶対ダメってわけじゃないですけど、序曲系ってことで『シーゲート序曲』と被ってしまうんですよ」

 序曲とはもともとコンサートの開演を知らせるために作られた作品だ。現在となってはその定義もあいまいになってきているが、この会議で話に上がった作品はすべて開演を知らせる雰囲気を持った曲ばかりだ。オープニングを何回も繰り返すのはコンサートプログラムの面からしてどうなのだろうか。

「うーん、どうしても『シーゲート序曲』だけは外したくないよねぇ」

「とりあえず指揮者の判断を仰ぎましょう」

 どちらにせよ一旦持ち帰って宗太郎に相談しなければならない。それに吹奏楽の知識では彼のほうが上だ。指揮者の意見を聞いて決めたほうがいいだろう。

「ところで今回の指揮者って誰がするんだ?」

「そうそう。募集要項には指揮者が入っていなかったけど」

 タシロンの指摘どおり募集要項には指揮者が入っていなかった。

 これは鮫島のミスというわけではない。指揮者は宗太郎が務めてくれると約束してくれているのだ。どうやら彼は過去に本番で指揮を振ったことがあるらしい。それに今回のお別れオフ会の発案者として責任をもって最後まで付き合ってくれるそうだ。

「もしかしたらハルトマン軍曹の知り合いかもしれないんですけど、現役の陸上自衛官が指揮者をしてくれるそうなんです」

「たぶん知らんわ。俺、現役時代はこっちの部隊じゃなかったから」

 ハルトマン軍曹は即答した。

「陸自ってことは音楽隊のひと?」

「いえ。都城駐屯地に勤務しているって言っていました」

「そうそう。陸自の音楽隊といえば、樹里ちゃんが学生時代に共演したって話してたよね」

「第12音楽隊のことでしょう?」

 最初は演奏会の楽曲をある程度決めるための会議だった。

 しかしいつの間にか自分がいかに尾神樹里を愛しているかのオタク談義。

 そして彼女が自分たちの前から突然いなくなってしまった事を嘆き、お互いに慰めあう集会になってしまった。


 会議を終えて翌日の楽器店。

 シフトに入っている鮫島はカウンターを挟んで宗太郎と対面していた。

「ほう、ロミオウィンドオーケストラか」

 前日に決まった楽団名に宗太郎は親指を立てた。

「それで昨日の会議では候補としてこの曲が上がったんです」

「……ほとんどがスウェアリンジェンだな」

 彼はリストをぱっと眺めると作曲者を言い当てた。

「樹里ちゃんの顧問ってスウェアリンジェンが好きだったそうです。自由曲も毎年その作曲家の作品だったそうで」

「スウェアリンジェンだからな」

「有名どころばかりですけど」

「あのスウェアリンジェンだからな」

「あと難易度的にもそこまで難しくないかと」

「それもスウェアリンジェンだからな」

 スウェアリンジェンとは吹奏楽経験者ならば誰でも知っているアメリカの作曲家だ。アマチュアの演奏者でも十分に演奏が可能な難易度の作品を多く発表しており、初めて演奏した自由曲が彼の作品だったという人も多い。

 彼の作品ならこの店舗で何度も受注したことがある。

 それにしてもスウェアリンジェンを連呼しすぎてゲシュタルト崩壊しそうだ。

「昨日の会議メンバーの総意なんですけど、『シーゲート序曲』だけは何としても演奏したいんです」

「なにか理由があるのか?」

「樹里ちゃんの初めての自由曲なんです」

「それならオープニングで使おう」

 宗太郎は即決で決めてしまった。

 確かに尾神樹里の人生の中でも重要な楽曲だが、ここまでサックリと決めてしまってもいいのだろうか。

 しかしサクサクと決めてしまうのはそれだけではなかった。

「指揮者権限を使ってもいいか?」

「もちろんです」

「ならばこの曲を演奏しよう」

 そう言うと宗太郎は『センチュリア』という曲名を指さした。

 それはスウェアリンジェンの作品だった。彼女の自由曲が全てその作曲家の作品だったという思い出を汲んでくれたのだろうか。

 無骨な彼の思いやりに感動した鮫島だったが、予想外の質問に空気は固まってしまった。

「楽団長はどれを吹きたいんだ?」

「……まさか楽団長って僕の事ですか?」

「他に誰がいるんだ?」

「僕が楽団長だなんて……」

 いまさら何を言っているんだとでも言うかのように宗太郎は呆れていた。

 確かにロミオウィンドオーケストラには楽団長が必要だ。

 そう言われてもそれは鮫島にとって寝耳に水だ。

「俺は陸上自衛官だ。外国が攻めて来たら戦場に行かなければならない。俺がいなくなったらどうするんだ?」

 さすがにそのような状況であれば演奏会なんてやっている場合ではないだろう。

 しかし自身がいなくなった状況を語る宗太郎を前にそのような反論はできなかった。まるで戦場で戦死することを覚悟しているかのような様子だった。

「何も指揮を振れとは言わない。事前に副指揮者裏棒を準備しておく」

「でもさすがに楽団長だなんて」

「いい経験だから楽団長をやってみろ」

 そう勧める宗太郎は決して威圧的ではない。

 しかし不思議とそれを断れない威厳があった。

「それで楽団長はどれを演奏したいんだ?」

「……僕としては『シーゲート序曲』さえ演奏できればと」

「そうか。まぁ他にやりたい曲がないか考えておいてくれ」

 楽団長に任命されたことは納得できていなかった。

 自身に楽団長の適性があるとは思えない。それどころかこれまでに団体を率いていく立場になったことすらない。

 しかしここではその役職を辞退することはできない。

 しばらくは言われたとおりに楽団長を務めてみよう。あまりにも能力が欠けた姿を見せれば宗太郎も考え直すはずだ。

「今後の課題としてはピッコロを持っている人がいない事とパーカッションが全くない事ですね」

「ピッコロは何とかなりそうだが、さすがにパーカッションを個人持ちしている奴はいないだろうな」

 打楽器奏者はすでに見つかっている。

 しかし肝心の打楽器がない。

 通常であれば楽団が所有している打楽器がある。しかし発足どころか計画段階のロミオウィンドオーケストラには打楽器を買う予算はない。団員から費用を徴収したとしても必要な打楽器は揃えられないだろう。

「どこかから借りられるコネがあればいいんだがなぁ」

「ちょっと僕のほうでも探してみますね」

 そう言ったものの鮫島に心当たりはなかった。

 ドラムセットであれば個人持ちしている人がたまにいる。しかしティンパニーやシロフォンといったクラシック系の大物打楽器を持っている人なんているのだろうか。

「とりあえず『シーゲート序曲』と『センチュリア』の楽譜を取り寄せてくれ」

「えっと、まだ参加費を集めていないんですけど」

「これくらい俺が買ってやる。鮫島のリクエストも買ってやる」

「いいんですか?」

「俺の趣味みたいなものだからな」

「お買い上げありがとうございます」

 店員としてのお礼を言いながらも彼の懐事情を心配していた。

 宗太郎は初日にチューバを購入していた。しかも国産メーカーの中でも高価なほうの機種を。さらに先日は廃棄予定だった尾神樹里関係の商品を預かるという形で買い取ってくれた。

 今回は吹奏楽譜を二冊も注文してくれた。フルスコア単品ならともかくパート譜セットの楽譜なんて一万円を下回ることなんてない。

 本当に宗太郎の財布は大丈夫なのだろうか。

 それとも陸上自衛官は儲かる仕事なのだろうか。

「楽譜の出版社に在庫を問い合わせてみますね」

 カウンターを離れた鮫島はレジの隣に設置されたパソコンで出版社を調べる。隣では店長が入荷した商品の伝票を整理していた。

「また売りつけたね」

「やめてくださいって」

「リクエストは利益が出るやつを頼むよ」

 そう冗談を飛ばしながら店長は宗太郎の元に注文用紙を持って行った。

 鮫島はリストで出版社の電話番号を確認すると、レジカウンターの電話機に手をかけた。

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