25話 詐欺師侯爵の手腕

「改めて聞くけど、本当にこの値段でいいんだよね。金九百四十で間違いないんだよね」

「はい、落札額のままで」


 三十七番の方は意外にもオブライエン様と同じぐらいの金髪の若い青年で、受け渡しの場に来た時目を大きく開けてしきりに値段を確認していた。同じ時期に描いたと思われている片方の作品が半額以下の値段で買えるのだから不安に思うのは理解できる。


「この手に、ついに」


 絵を渡そうとしたとき三十七番の方の手がぶるぶると震えて、そのまま渡したらうっかり落としてしまうかも。絵を渡すのを一度中断して、その場に置くと彼の手を手に取る。


「絵は逃げません。あなたの意志で手放さなければ朝から晩までお迎えします」

「そ、そうだね。ありがとう、どうも緊張でつい。また出るならまた買いに来ます」


 三十七番の方はハニカミながら、絵を手に取る。すでに手の震えは起きてなく、満足そうに足取り軽く会場を後にした。


「お疲れヴィヴィ、さて眠いところ悪いんだけどあの伯爵様に会いに行くよ」

「うん。いろいろと聞きださないとね」


 オークション会場を出ると、外はもうすっかり真夜中になり周りの建物に明かりが消えていた。街道を照らす明かりしかない中、唯一明かりがあるのは私たちが泊まるホテルだけ。エントランスに入ると、すでにオブライエン様が優雅にコーヒーの香りを嗅いで私たちを待ち構えていた。


「ようやく来たな二人とも、さあ楽しい分配の時間と行こうじゃないか」

「その前にお聞きしたいのですが」

「そのことを含めて、部屋で話をしよう。まずは金の分配からだ」


 残っていたコーヒーを一気に飲み干してカップを空けると、意気揚々とした表情で私たちの部屋へと赴く。

 部屋に入ると、それぞれオークションで受け取った金貨が入った袋をテーブルの上に置く。大量の金貨が乗せられると、テーブルがミシッと重量で軋む音が聞こえた。金貨千枚二千枚なんて帳簿でしか見たことがなかったが、こうして現金としての重みを実感する。

 袋の口を開けて、お互いの金貨の数を改めて集計する。オークションの落札価格はそのまま受け取れるわけではなく、手数料として落札価格の一パーセントから二パーセントが引かれる。高額で落札されればより主催者が儲かる仕組み、だがそれでもそれだけの人と場所の確保が経費として多く引かれる現実が待っている。


「『瞬くアトリエ』と『蝶の花束』を合わせて二千と九百四十二。『雪原の雪だるま』の分とオークション主催者への取り分を引いても大儲けだ。予想では『蝶の花束』は千五百いけばいいと思ったが、まさか二千を超えるとは笑いが止まらないなあ」


 目の前に積み上げられた千数百枚もある金貨にオブライエン様は、ソファーの背にもたれて得意げな顔をして満足そうだ。


「大金を得られたのはよいのですが、改めてお聞きしたいことがあります。どうして私の絵は売れなかったのでしょうか」

「え? そこ?」


 私の質問にクリスはその場で崩れた。以前オブライエン様は絵の価値とは金の数だと仰っていた。私の目の前にある金貨とオブライエン様とでは倍近く違う。今日出品された『オルファン名義』の作品は三つあった。そのうちの二つは同じおじい様が描いた作品なのに、その差は二.五倍以上にもなった。そして色の塗り方で評価されていたはずの私のは、二倍近くの差がある。この差は一体何か、知りたかった。


「オークションに望むなら絵の技術より人の心理をもっと把握するべき。と答えておこう」

「はぐらかさないでください。あの絵は自信が、あったんです。もっともおじい様の絵に近づけたと思うぐらいの出来なのに。おじい様に勝てなかったんです。レオナルド家にも手を挙げてくれなかった。おじい様の絵がなかったら、完全に負けていました。教えてください」


 オブライエン様から視線を外さず、教えて請うてほしいと目で訴えた。しばらく沈黙ののち、オブライエン様は「ヴィルシーナ、顔を上げてくれ」と答え、クリスに向き直る。


「レナード殿、席を外してくれないか。これから話すことは極秘だ。だけで話したい」

「そんなこと言われて、はいそうですかと承知できますかっての。だいたい、オルファンの顔も見ていないあなたがどうやって、オルファンの絵と手紙を」

「頼む」


 オブライエン様が座ったまま頭を下げたことに、私たちは目を丸くした。外面モードならともかく、今のオブライエン様は素のモードで取り繕うこともせずにお願いしている。本音からのお願いなんだ。


「クリス、お願い二人きりにさせて」

「了解。一階でコーヒーでも飲んで待っているから、終わったら呼んでねヴィヴィ」


 クリスが部屋を出ていくと、オブライエン様が私の分を含めて紅茶を淹れてくれた。「長丁場になる」かららしく、淹れたてのお茶を飲む。温かいお茶が口の中からふわっと香り、オークション中ほぼ飲まず食わずだったからか乾いていた口の中が潤う。


「まず物の価格というのは、需要と供給のバランスで成り立つのは知っているな。オルファンの絵が高騰化したのは供給量の不足から。では需要は何で引き起こされるか」

「絵の魅力つまり価値があるから」

「正解であり間違いだ。もし絵の価値のみが真というなら、ヴィルシーナの絵の価値は売れないというのは間違いだ。先に出てきた『さすらう案山子』より高い値段で落札されたじゃないか」


 オブライエン様の指摘に、自分が「売れなかった」と口にした言葉に負い目を感じた。あの作品は『冬の時代』つまりおじい様が独力で描いてきた絵、その絵よりも高く落札されたというのに「売れなかった」なんて言葉はおじい様の努力を否定してしまうことになる。ひどい思い上がりだ。


「そうですね。売れなかったなんてひどい言い方でした」

「需要というのは複数の要因がある。付加価値、値段による誘因など。ただ絵画などの芸術品は普通の商品と違い、需要が限定される。一つ目は、値段が高いこと。値段が高いと人はそれが良いものだと認識して、値段自体にブランドがつく。値段が高いものがよく価格を高くするというわけだ。もう一つは希少性。つまり数が少ないだな」

「それはわかります。アトリエが焼失して絵が描けないだろうと金額が上がったことですよね」

「それがヴィルシーナの絵が高騰化しなかった原因だ」

「どういうことですか?」

「あの火災により人々はもうオルファンは新作を描かないと思われていた。本人が無事でも描く気力がないと思われれば、希少性が高まる。『さすらう案山子』も以前なら六百が相場だが、希少性により価格を上げた」


 そういえば、オークション会場でお客の人が「制作意欲を失くした」と口にしていた。失礼な言い方だと思っていたけど、あれが価格が上がっているヒントだったんだ。


「そこにヴィルシーナが描いた作品がオルファンの新作として、現れた。心理として、もう描かないだろうと思われた絵師の作品が、一月前に描いた新作を引っ提げて王都のオークションで復活の宣言をしたと捉える。絵の供給が再開されると認識されたことになる」


 つまり、私の作品が出品されたことで希少性が失われ、『雪原の雪だるま』の価格を越えられなかった。それが私の絵が売れなかった原因。ん?


「ちょっと待ってください! 絵を売る計画を建てたのはオブライエン様ですよね。私の絵が高く売れないことを織り込み済みで描かせたということですよね!」

「敵を騙すには先ず味方からというだろ。まあ運の問題があった。さすがの俺でもオークションの順番を変えることはできない。どちらかが先に低い値段で売らなければならなかった。もしヴィルシーナが後だったら、計画の内容を話して手紙を渡すつもりだった」

「今更そんなこと言われても」

「金はちゃんと三等分に」

「お金の問題でもありません」


 やっぱり相変わらず汚い人。事前に話をしてくれれば、そんなこと覚悟のうえで臨んだのに、あの時大きなショックを受けずに済んだのに。慰めるやり方もお金で済ませようと、何も変わってない。


「それに計画は破綻しました。レオナルド夫婦におじい様の絵と称して私の絵を売りつける予定が、結局おじい様の絵が手元に残ってしまいました。これで次のオークションで売りに出されたら、大量の金が流れ込んでしまいます」

「おいおい、俺がそんな優しい人間だといつまで勘違いしているんだ」

「優しい?」

「詫びと言えば語弊だが、俺が出品した絵がどうして金二千も価格を叩き出したか。まずこれを見てくれ」


 部屋に上がってくる時にオブライエン様が脇に抱えて持ってきていた茶色の布で覆われた二枚の物体を私の前に出し、布を縛っていた紐を外す。そこに現れたのは、落札した『雪原の雪だるま』。そしてほかの人が落札したはずの『さすらう案山子』だった。


「この絵は!?」

「一日だけ借りてくれるよう落札者に頼んだ。少々吹っ掛けられたがな。まずこの二枚の絵と見比べて、会場で見た『蝶の花束』の絵を思い出すんだ」


 最初に『さすらう案山子』を慎重に指をかけて観賞する。アトリエが焼けて、無事だった作品もリースか売約済みのものばかりでこうして近くで見れたのは数か月ぶりだ。久しぶりに見るおじい様の絵は、やっぱり優しい描き方だ。濃淡の強さはないけど、いつも見慣れているこの描き方が懐かしい。一方の『雪原の雪だるま』こちらは『さすらう案山子』と比べても、前者の方が塗りがきれいだし、おじい様のイメージである印象派に近い。やはり『さすらう案山子』の方が技量が上だ。

 オークションで出品されたときは、舞台からやや遠くて塗り方とかよく見れなかったな。目の前にあるおじい様の絵を比較しながら、頭に記憶されている『蝶の花束』の絵を思い出す。蝶がリボンと紙の中から飛び出るような絵、でも色は蝶一匹一匹丁寧な色遣いをしていた。


「おじい様の絵の描き方だけど、何か違う」

「どこかで見たことないか」


 見たことがある? おじい様の絵を毎日アトリエに囲まれて見てきたから、モデルも色の描き方も熟知している。色はおじい様の描き方だ、でもモデルにどこか迫力があった。でもあの飛び出るような蝶の描き方、何かもったいないというか、色がついてさえなければもっと迫力があって…………黒一色だけの作品。見たことがある作品。


「エドワード先生の描き方? えええええ!?」

「その通り、『蝶の花束』の下絵はエドワードが担当した」

「担当? 共同制作ということで? 色塗は誰が」

「そこはオルファンが担当した。うちの社員が必死に探して見つけてくれた。どうだ世間から聞いたことがある二大絵師による共同制作作品だ。レオナルド夫婦はすばらしいコラボレーション絵をご購入になったというわけだ」


 おじい様とエドワード先生の手でつくられた絵、確かに絵師の名前を聞けばとてもすごい作品だ。だけど、エドワード先生の作品は黒鉛の黒色だけで表現できる大胆な絵が特徴。一方おじい様の絵は荒々しさがないけど見ごたえのある絵を描く。ただ一番評価されていた色の塗り方は私が描いたことによるもの。おじい様一人で制作されたものはそこまで高くない。


「あの作品は駄作です。エドワード先生の力強い黒鉛の絵が、おじい様の評判のよろしくない色の塗り方で打ち消されていました。だとすれば、なんであの絵が金二千もの大金に」

「どうして君はあの場で駄作と見抜けなかった?」

「それは……あの時私の絵の結果に意気消沈していて、まともに見ることもできなかったし、後半からはミロカルロスさんのことばかり見てたから。絵に集中できてませんでした」


 そう答えると、オブライエン様は口元が緩み含んだ笑いをしだした。


「ふふっ、そう。集中できてなかった。それが答えだ。オルファンの手紙により、あの場にいた全員が集中できてなかった。評論や入札を一歩でも間違えれば、オルファンの新作は出すことができなくなる重責がかかっていた。鑑賞の時間に舞台に上がっていた人も全員プロの評論家ではない。だから評価がブレて、駄作を『新境地』なんて言葉を出しちまったわけだ」


 そういえばオブライエン様あの舞台で観賞していた人に「いい絵だと思う」って話しかけていた。あれも心理的揺さぶりを誘発するトリックの一つだったんだ。


「後は、値段だ。普通に入札したら高値になる可能性は半々になる。そこでサクラを入れた」

「サクラですか?」

「鑑賞の前に入札する。そこで価格を最初の一枚から大きく吊り上げる。ここでうまくいけば、ほかに入札する人が現れてより高値に吊り上げさせる」


 あの時大きく手を挙げた三十七番の人。あれがオブライエン様の仕掛けだったんだ。そして狙い通り、釣られて入札価格は千までに上がった。


「でも、入札を止めたのですか? あのままなら千二百を超えれたはず」

「狙いは二つ。一つは価格の固定化だ。千という金額で入札が入れば、客はあの絵には千枚の価値があり、本番では千まで入札されると認識させる。二つ目は熱を冷まさせないこと。あのまま加熱すればオークショニアにより無理やり中止がさせられた。オークションというのは結局金の投げ合いが気持ちいい、そこに冷や水をかけられたら勢いを失う。だからあの場で俺が軟着陸させた」

「でも結局レオナルド夫婦の下にはおじい様の絵が手に入っているわけで」

「心配ない、ちゃんとエドワードが記したオルファン・ヴァイオレットのサインが入っているぞ」

「そ、それサインの意味がないのでは。それだと詐欺だと」

「何を怯えている? 一番評価されている『秋の時代』の作品はオルファン一人で描いたものではないだろ。今さら共同制作の作品をひっくり返すことができるか」


 悪びれることもなく、足を組んでおいしそうに紅茶を口に含む姿に私は開いた口が塞がらなかった。

 あの場にいた全員を騙して、金貨二千枚をまんまとせしめたなんて。この人はとんでもない詐欺師だ。でもこの人でなければ、何もできず私は泣いたままだった。


「負けました」

「負け? こんなもの勝敗にもならない、ただの異常だ。株の価格操作と同じだ。むしろヴィルシーナは勝ったと言うべきだ」

「誰に」

「オルファンにだ。不利な条件で君の絵はいくらになったんだ」


 オブライエン様の目線がテーブルの上に置いてある金貨の山に向ける。そうか、今まで解説された話の中で、私は希少性という売れる要素が消えた中でおじい様の絵を超えることができた。金の価値は力。私の絵はおじい様の絵と匹敵する力があるんだ。もしかして二人だけにさせたのは、私に自信を持ってほしいということ?


「おじい様は、今どこにいるのですか」

「筆を入れた後、手紙を残して消えてしまった」

「会場におじい様がいたのは」

「会場に現れていたのか」


 オブライエン様の表情から、あの時いたのは共同作戦ではなくおじい様単独でやったこと。私がいることなんて知っているはずなのに、声をかける間もなく消えてしまった。あの時すぐに追いかけていればおじい様にまた会えたのに。


「それで、ここから大事な話だ。リース事業を終了すべきか意見が欲しい。物がない以上続けることはできない。オルファン自身はもう描くことはないと旅立ってしまった。管理者として終了を宣告するか、あるいはほかの方法がある場合は」


 手を組んで、静かに目をつむるオブライエン様。けどこれは罠だ。選択を出しているようで、出してない。私の絵の腕をここまで遠まわしに褒めて、二人っきりにさせて。


「もう騙されませんよ。私に描いてほしいということですよね」

「そうは言ってない」

「言ってなくても誘導しています。婚約者として付き合いは長いですからわかります」

「まだ半年も経ってないのに、たいそう大口をたたく」

「人を知るのに時間は関係ありません。それで、私の答えは――」

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