9話 ビジネスパートナー

「希望号数は五号と六号。五号は風景画で、六号は人物、人が描かれてあるものならよいらしい」

「五号の絵はもう在庫はありません。六号希望の方は人物画というより、人の営みがある風景画を希望なのでしょうか」

「人物画希望だ」

「人物画は枚数があります。希望者のお眼鏡に叶うものを選ぶ必要がありますし、現物をお見せした方がいいかも」

「現物を持ち運ぶのは紛失や汚損の危険性がある。リース可能の絵を載せたカタログを見せた方がいい。写真を切り貼りしたもので現物より劣るが、早く作れるし安全性だ。訪問時までに印刷屋に注文しておこう」


 翌週から私の屋敷ではおじい様の絵のことで慌ただしくなった。以前と違うのは、直接販売の希望ではなく、オブライエン様を介してのリース契約と貸し出す絵の選定だ。アルクトゥス子爵の新築記念パーティー以降、おじい様の絵を格安でリースしてもらえるとの話がどこからか流れてきて、リースを希望する人が現れだした。パーティーから一週間後というのにオブライエン様はすでに希望する絵の内容と貸出期間にかかる料金を完成させていた。

 おそらくパーティーの前ごろから、こうなることを見越して仕込んでいたのかも。


「この方はいつ頃リース予定されるのですか」

「来月だ。本契約はまだだから希望に近い絵を選定して持っていく」

「契約者が納得できなかったら、くたびれもうけになりますよ。アルクトゥス子爵にはどうやって言いくるめたのですか。芸術家肌のはずですが」

「時間の猶予が迫っていたら、人は正常な判断ができなくなる。営業のテクニックだ」


 最初に子爵様の屋敷を訪れた帰りの馬車の中で、絵の場所と具体的な絵をオブライエン様から言われたけど、そんな裏事情があったなんて。私ならできないようなことを、涼しい顔でするなこの人は。

 あの日以降、オブライエン様は素がバレてしまったからか、丁寧な口調をやめて乱雑な言葉で話しかけてくる。しかしそれは裏返せば婚約者の間柄としては険悪な状態が継続しているということで、甘い声でフィアンセと囁いてくれることも、微笑えんでくれることもない。婚約者同士という強い縛りをもってできたビジネスパートナーのような状態だ。


「どうした顔色が悪そうだが」

「そうですか?」


 言われて初めて肩のあたりからずっしりと土嚢袋が置かれたように重たい。絵の選定なんてクリスにこれを見せたら良さそうと直感で選んでいた。こうしてまだ顔も人物も知らない人の好みに合った絵を選ぶなんてやったこともない作業で疲労がたまっているのかも。

 するとテーブルに置かれていた絵画が、オブライエン様の手で次々と片づけられていった。


「今日はもう休め。訪問時はカタログを見せればいい」

「でも絵は私が」

「友人から手伝った縁から絵の保管技術はある。安心しろ、アトリエには踏み入れん」


 ポンと肩を押されると体は自分でも驚くほど簡単にソファーに倒れてしまった。強く押し付けられたわけではない、知らない間に体が疲労でギリギリ支えていたみたいだ。目と鼻の先にはオブライエン様の呆れた顔が浮かんでいた。


「紙のように軽いなお前は、絵の管理者として途中で倒れると盗まれるぞ」

「怖いこと言わないでください」

「脅しなものか、契約書をサイン寸前で席を離れた時、ゼロを一つ書き足されて気づかずサインされた話がある」

「ひどい。そんなことを平気でするなんて」

「商人なんて信頼するか騙しあいになるかのどちらかだ」


 横になっている最中に、テーブルを挟んでオブライエン様が脅かすような話を聞かされて、これでは休ませてくれるのか妨害しているのか。それが遠まわしにクリスのことを信用するなと言いたいかのように聞こえてくる。


「オブライエン様はどうして絵で商売をしたいのですか。領地での工場建設も、投資も好調。そこに絵画もなんてそこまでお金が必要なのですか」


 カタログ作成依頼の手紙をしたためていたオブライエン様はペンを止めると、唇と噛む仕草をした。


「絵に値段がつけられることをお前はどう思っている」


 質問をしたのに、まさかの質問返しをされて狐につままれたようにしばらく硬直した。いけないいけない、勢いに飲まれちゃ。


「値段は必要です。絵を描く人にとってその値段で食べなければいけないです。でも屋敷一つ売るほどの値段は正常じゃない。絵の良さでなく、マネーゲームの道具に成り下がるのはごめん被ります」

「俺が狙っているのはそこだ。人の営みには何かしら不都合が生じる、服が欲しいのに大量に生産できるほどの人が集められない行き着く先は市場に服がなくなること。それを回避するために自動機織り機を作って、儲ける。同じように、オルファンの絵の異常な高騰化という不都合、それは将来のバブル崩壊が起こる可能性だ。それ解消するのに商売の気配を感じた。いわば商売人としての性だ」

「それは、絵を守りたいということでもありますよね」

「そんな優しい人間だと思うのか」

「パーティーの時仰ってました。「無意味な水掛け論を避けるために、絵に値段をつけて保証する」あの時は、建前がある言い方とは思えませんでした」


 まっすぐおじい様の絵を見つめていたオブライエン様の違和感、それはほかの人につけていた偽りの仮面を一瞬脱いだものだと。オブライエン様はは顔を手で覆って大きく息を吐いた。その仕草は屋敷での夜の時と同じで、身構えてしまった。


「オブライエン様お紅茶淹れたのですが、お疲れでしたら」

「お義母様、ちょうど良いタイミングで。ご厚意感謝いたします」


 割って入って来るかのように、部屋の中にトレーを携えたお母様が飛び込んできた。普段はお茶なんて自分で淹れることなんてないのに、将来の婿の印象を良くしたいがために気を利かせた風に持ち込んだのだろう。オブライエン様も渡りに船と言わんばかりに仮面をかぶって、お母様の企みに乗ったようだ。


「新しい事業順調そうで何よりです。おかげで直接買い付けに来る方が減ってこちらも助かります」


 リース事業を始めてから直接買いに来る貴族の人がめっきりいなくなった。直接買うより安価なリースの方がいいと人が流れたのだろう。そのおかげもあってかお母様の肌も目の下のクマも前より解消されている。それに対してのお礼も兼ねてのことだろうか、お菓子もいつもより高いものを出しているし、自ら紅茶を淹れたものをオブライエン様に出している。


「ヴィヴィぼんやりしてないで、自分のぐらい自分で出しなさい」


 お母様の恩義はオブライエン様に向けられたもので、私には一切なかったようだ。しかたないと自分のを淹れようと立ち上がった時だった。執事が大慌てでドアを開けて飛び込んできた。


「奥様、王都のレオナルド商人のご夫婦が参られております」

「商人? 旦那は今王都にいるからそっちに行くようにと追い返しておいて」

「それが、すでに旦那様から屋敷に入る許可を得ていると。証拠としてこちらの手紙を携えて」


 執事が預かったという手紙をお母様に手渡すと、お母様の眼の下のクマがまた色濃くなった。ああ、これはもしや。と思ったが、もう遅かった。


「ヴィヴィ、行って。言い訳でも嘘でもいいから早く追い返してちょうだい。どうせまたおじい様の絵目当てよ。絶対!」

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