3話 アトリエの危機

 鏡に映るセミロングに伸ばした髪が、髪結い師の手で髪が巻かれてハーフアップになる。中腰で屈んでいる化粧師が私の肌にパウダーで白を際立たせる。後二時間で婚約者がやってくる。

 顔を動かすと化粧がきれいにできないと、一時間も椅子に固定されて動けず、ため息もつけない中、一月前の母とのやり取りを思い出していた。


「結婚までにって、そんな急に」

「あなたもう十七よ。姉のヴィータはあなたより一つ下の時にアルクトス子爵と結婚して、今新しい屋敷も建てている最中。早くしないと行き遅れになるなんて不名誉になっちゃう。それにあなたがいなくなったら絵の管理なんて私やお父さんもできないし。今の間に処分しないと」

「でもおじいちゃんの意志は」

「一方的に送り付けられてこっちは迷惑しているの。見て、このガサガサ肌。寝不足とストレスでこうなっちゃって。お願いだからこれ以上うちを困らせないで。捨てるのが嫌なら、さっきの商人の彼女に任せてもいいから。頼んだわよ」


 一方的に決められてしまった。なんとか期日までに絵を売る算段を建てたかったがすでに婚約の手続きが進められ、顔合わせの日に間に合わせるために衣服や化粧を合わせるため振り回され、クリスに相談する暇もなくこの日を迎えてしまった。


「お嬢様、いかがですか。とても素敵ですわ」

「え、ええ」


 鏡に映っていた自分は、普段しないハーフアップの髪型に色白な肌に変わり。両耳に星型のイヤリングを飾りつけられていた。下地はまぎれもなく自分だが、気品のある女性の雰囲気を醸し出していて、ぼんやりとした絵が完成したような感覚で面食らった。


「ヴィヴィ! きれいになって。素がいいから見栄えがいいわね。オブライエン伯爵様も一目で気に入られること間違いなし」


 化粧しから「できましたよ」と知らせを聞いたお母様が入ってくると、嬉々として飛びついてきた。この一月私の婚姻のために走り回った影響か、ディーナの顔色は一月前よりひどく疲れた様子が見え、肌ツヤもない。けど目は爛々と生気が宿っており、絵を売るときより生き生きとしていた。


「お母様、オブライエン伯爵って最近継承されたあの新進気鋭の方ですか」

「そう。『麗しの敏腕貴公子』シュバルツ・オブライエン伯爵様よ。この間伯爵領を継承しただけでなく、王都で商会を開くらしいのよ」


 婚約相手がいかに将来有望かを嬉々として語るお母様。そんなに有望な人と婚姻できれば家も安泰だから随分と気合が入っている。


「お母様、私が結婚したら本当に絵を全部売るの?」

「先月も言ったでしょ。あなたがいなくなったら誰があのアトリエを管理できるの」


 やはりお母様は変わらず本気のようだ。もう変えられないみたいだ。私は顔を手で覆ってふぅっと息を吐くと、お母様に向き直る。


「……お母様、ちょっとアトリエに入ってもいい?」

「だめよ。せっかく整った化粧や髪が崩れちゃう」

「お願い十分だけ」

「……それまでにちゃんと戻ってくるように」


 見張りの女中を一人つけるという条件で、アトリエに入ることを許された。屋敷の離れにあるアトリエには一月前から手つかずの状態のままだったが、中はその時となにも変わってない。私の以外の人が入れないように鍵がかけられているため変わらないのは当たり前か。


 今までの送られてきた絵はキャンバスに張られた状態で棚並べている。おじい様がまだアトリエにいたころには壁や床に無造作に作品を置いていて足の踏み場がなかったが、私が管理するようになってからは作品の内容や時期に分類して整理し、今では木目の床がちゃんと見えるほどになった。

 棚は大別に分けて左右に分けられている。左側にはおじい様の絵を、右側には私が趣味や練習のために描いた絵を収納している。右側の棚が隙間なく埋まっている一方、左側の棚には空白が目立つ。おじい様が絵を送ってくれなくなったためだ。アトリエにいた時に描き溜めていたものも売りに出され、少しずつ在庫がなくなっていった。

 幼いころから見慣れてきた絵たちが少しずつ減っていくのは、心苦しかった。日に日に大きくなっていく隙間の寂しさを埋めるために、空いた棚に自分の絵を入れてきた。いつかおじい様にやる気が戻り、絵を送ってくれることを祈りながら。でもその祈りは虚しく、今では私のがこのアトリエにある絵の半分以上を占めてしまっている。


 そして私も、先に家を出てしまった姉と同じく家を出なければならない。残った絵は私がおじい様の絵と分けて処分できるけど、このアトリエどうなるのだろう。

 五歳の頃、夜中にこっそりアトリエに入りおじい様の作業風景を眺めて、始めて絵画の美しさに魅了された。その頃はまだおじい様の絵は売れてなく、たしか金貨一枚にも満たないって聞かされた。

 金にはならなかったものの、絵を教えてくれる時間があった。毎日おじい様から絵の手ほどきを受けてもらい、色付けだけでなく下絵の時点から自分で描きあげた達成感を今でも思い出せる。時には遅くまでアトリエで絵を描き続けたり、一時は徹夜までして絵を描き続け、翌朝おじい様と共にお母様に怒られた。だからこそ、自分の絵はおじい様のとそっくりになってしまったのだろう。


 その思い出が詰まったアトリエ、おそらくお母様は絵画置き場ぐらいにしか考えてない。残っている絵を手当たり次第に売り出すことはないだろうけど、おじいちゃんの絵を全部売ったら取り壊してしまうかも。絵筆やパレット程度なら持っていくことはできるけど……


 ぺたりと壁に手を当てると、そこに朱、青、黄色などの様々な色が別々の高さで一本線が引かれていた。頭に手を当てて、そこに緑の絵の具をつけた絵筆をなぞった。

 去年より少し高くなったかな。髪のセットで大きくなっただけかも。これも思い出の一つ、おじい様と背を競い合っていたけど、おじい様がいなくなってから追い越してしまった。屋敷から出て行ってしまったら、背比べもできないだろうな。

 アトリエをそのまま持っていく……なんてできないか。 


 ドンドンドン


「お嬢様。お約束の時間ですよ」


 アトリエの行く末を案じるものの、解決策もなく時間だけが過ぎてしまった。

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