紛い物しか描けない私が詐欺師侯爵様に唆されるまで

チクチクネズミ

プロローグ 絵空に浮かぶ星々

 紫の空だ。


 祖父の持つ筆から生み出される色に少女は口を開けて眺めていた。

 小さな窓しかない木組みの小さな小屋。祖父が老後の生活のためにと建てたこのこの小屋で毎日何か作業をしていた。少女は何度か入ろうと試みたが、祖父から「太陽の明かりは絵の大敵だからむやみに開けてはいけない」と追い返された。しかし逆に少女は入るなと言われたら入りたいと好奇心を沸き立たせた。そして夜中に親の目を盗んで離れの小屋にこっそりとドアの隙間から覗いた。

 言いつけであった太陽の明かりは出てないため約束は破ってないはず。と心の中で肯定しながら、小屋の中を覗くと、暗い部屋の中には赤々と灯るランプが揺らめきながらキャンバスが飾られていた。キャンバスには何も描かれてなく、ランプの黒い影が塗られたように映っている。

 キャンバスの前で部屋の中だというのに、ハンチング帽を被ったままの祖父が最近白くなったあごひげを触りながら、うんうんうなっていた。

 おじいちゃん、悩んでる。何を困っているんだろう。

 しばらく唸り声をひねり出しながら、祖父の手が動く。鉛筆よりも太く長い筆がキャンバスになぞられると、何も描かれてなかったキャンバスに紫が描かれる。


 よく目を凝らすと、何もないと思われたキャンバスには薄っすらと直線と波線が引かれていた。祖父はそれをなぞりながら筆を動かすと巨大な雲が現れた。紫の空。夜の雲の絵だ。


「誰かな」

「にゃ、にゃあお」


 顔をドアの方に向けずに突然呼ばれ、少女は思わず猫の鳴き真似をしてごまかした。だが小屋の中で祖父がくつくつ小さく笑った。


「ヴィヴィだろ、おいで」


 見抜かれてしまい、観念してヴィヴィは扉をゆっくり開けて祖父の前に出た。


「ごめんなさいおじいちゃん」

「アトリエの中、見たかったんだろ。いいよ、もう夜だから絵具も痛まないし」


 頬をほころばせて祖父がヴィヴィを手招きすると、祖父の隣に座った。


「おじいちゃんはね、絵の仕事をしているんだよ。ほんのわずかだけどちょっとお金をもらっている。この家の助けにはならない程度だが、おじいちゃんの絵を認めて、楽しんでくれる。趣味で描いているものを楽しんでくれているのが一番うれしいんだよ」

「何の絵を描いているの」

「わからない。とりあえずおじいちゃんの思い出の風景を思うまま描いただけだ」


 祖父は少し筆を動かすが、すぐに止まり。大きくため息をつく。


「どうもうまくいかないな。ヴィヴィ描いてみな」

「いいの? おじいちゃんの絵なのに」

「おじいちゃんちょっとここからどう描くか悩んでいたから、ヴィヴィが描けば面白い絵ができるかもしれないよ」


 渡された絵筆は、ヴィヴィの顔ほどの長さがあり、普段勉強に使っているペンよりも重かった。慣れない筆にどう持てばよいかわからず手がフラフラして安定しない。すると祖父がヴィヴィの手を取り、キャンバスに色を描いていく。


「筆はこう縦に持つんだよ」


 描きかけの白紙に色がついてくる。紫の空。下の台地は赤茶色をヴィヴィが選び、介助されながらゆっくりとキャンバスに下地の白色を消して、色を染め上げる。

 最後の箇所を塗り終えると、肩がズシンと重くなっていた。


「うんできたね。乾いたらヴィヴィの部屋に飾ろう」

「でもこれはおじいちゃんの」

「でもこれはヴィヴィが描いた絵だ。おじいちゃんは手伝いをしただけだよ」


 改めて自分が描いた絵を見る、ほかの屋敷に飾られていた絵とは雲泥の差があった。だが、自分で描いた絵はその優劣を抜きにして誇らしく感じた。目に鉛が入ったかのように重たかったが、自分が初めて自由に描いた絵をまぶたが閉じないように見つめ続けた。

 外に出た時、夢中で気付かなかったがすでに太陽が昇っていて、こっそりベットから抜け出したことが母親に露見して祖父と共に怒られてしまった。

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