きゃうんッ

副音声:ちゃらりーん♪ちゃらッちゃらッちゃらッちゃらッちゃッちゃッちゃッ♪




【第⑪わん! ポチ、パブロフの犬を経験するが、その意味は知らないの巻】



『ああぁ、暇だ。何もする事がない。狭い家の中にいた所で散歩にもならん!』


 ポチは暇だった。



恋太郎れんたろうよ……早く帰って来てくれ……それじゃないと吾輩……詰まらな過ぎて寝てしまう』


 どうしようもないくらいポチは暇だった。昔の家なら日がな一日庭を駆け巡れたワケで、縄張りをフンフン言いながら散策出来たワケで、それが足腰を鍛えてくれたワケだが、今は環境が大分違う。



『前の家よりも少しばかり小さい家に家族四人暮らし。姉弟が一つの部屋を共有し、吾輩の部屋は無い。そもそもそれがいけない、宜しくない。吾輩は千勝の覇者ウォーロードである。もっと上げて奉りへつらっても良いのではないか?いや、そうあるべきだッ!』


 ポチは自分の置かれている状況が分かっていないと言えばその通りなのだが、まるで鶏のように三歩歩けばなんとやら……と言われれば、やはりその通りだった。

 ご都合主義と言われればこれまたその通りだが、極端な所がキズとしか言いようがないだろう。

 従って、犬に生まれ変わってからと言うもの、「学習能力が低下した」と言われればそれもまたその通りと言わざるを得ない。


 従って「その通り」が多いが、要するに思考は千勝の覇者ウォーロードの頃のままなので「自分勝手」の一言で纏めれば手っ取り早い。単純に言ってしまえば周りから見れば「自分勝手な犬」と言われても仕方がない……が、そもそも犬は自分勝手と言わざるを得ない。それこそが「本能に忠実な様」とも言えるだろう。


 しかし一方でポチは、自分の興味がある事に対しては余念がないのもまた事実だった。その姿はひとえに「犬」とは言い辛いのだが、それは特に食べ物の分野でのみ発揮された事から、やはり「犬」だった。




 老夫婦に拠ってはぐくまれていた時は、食べ物はドッグフードのみでポチからしたら大変味気の無いモノとしか言えなかった。それでも、それしか与えられていなければ食べざるを得ないが、この家に迎えられてからは違う。


 味気無いドッグフードだけでは無い。恋太郎がたまに買って帰って来る、肉汁が滴り落ちるような骨付き肉などはポチからしたら大変な「ご馳走」であり、毎日でも食べたい食事だった。

 拠ってその匂いをいち早く嗅ぎ分け、少しでも分けて貰う為に必死に嗅覚を磨いたのである。



ぴくッ

『この匂いッ!まだ距離はあるが、紛れもなくご馳走の匂いだッ!さては恋太郎め、今日も吾輩の為に買って来てくれたか』

ぶんぶんぶんぶんッ


 ポチは尻尾をまるで凶器のように振り回し、狂喜乱舞する思いで玄関にて恋太郎の帰りを待っていたのだが、ご馳走の匂いは一瞬近付いたかと思ったらそのまま遠ざかって行った。



『なんだ……違ったのか……全くもって紛らわしいッ!うおッ、この芳しい匂いは、今度こそッ!恋太郎、期待しているぞッ』

ぶんぶんぶんぶんッ


 一度ある事は二度ある。そしてそれは二度で済まず三度四度と繰り返されて行った。その結果、ポチの顔はヨダレまみれになり、玄関はヨダレ溜まりが出来ていたのである。



がちゃ

「ただいまぁ、あー今日も疲れた。っておわぁ、ポチどうしたんだ、その顔!なんでヨダレ塗れなんだよッ!そんなに腹が減ってたのか?待ってろ、直ぐにドッグフード入れてやるからな」


 恋がれる程に待っていた恋太郎は、ご馳走を持っていなかった。ポチはその衝撃の事実に我を失っており、呆然と玄関に佇んでいた。

 恋太郎はダッシュでドッグフードを入れに行ったが、ポチは後を追い掛ける事無く、ヨダレを垂らしながら玄関でご馳走を待っていたのである。



がちゃ


「あー今日も疲れた。あの先公マジでヤなんだけど……全く、この髪は地毛だっつーの」


つるんッ

 どしんッ


「痛たたたた。何よ、コレ?なんでこんな所に水溜まりがあるワケぇ?——ッ!?ちょ、アンタ、なんで人のパンツ見てるのよッ!」


 ポチが呆然と佇んでいた矢先に帰って来たのは恋太郎の姉であり、その姉はヌルっとしたポチのヨダレを踏み締めて盛大に転んだのだった。

 ポチとしては恋太郎の姉の制服のスカートの中身を覗くつもりは無かったが、結果としてそういう風に捉えられたのは事実だったし、そもそもポチにそう言う趣味は無い……が、転んだ事を見られた恥ずかしさを八つ当たりしたいお年頃とも言い換えられる。

 結果……。



ぼこッ


『痛ったあぁぁぁぁぁ。何をするであるか!吾輩は何も見ていない!そもそも、貧相な娘の下着なぞに欲情はせん!』


 と、まぁ、ポチは長々と話していたが、言葉が通用する道理は無く、人間の耳に聞こえた言葉は「きゃうんッ!きゃうッ!わわんッ」くらいの音だけだった。しかし、姉は反論されたと思い、より一層の鉄拳をご馳走したのだった。



『再び吾輩を殴ったな!武神帝王カイザル・アルマータにも殴られた事など無いと言うのに!』


「何よ、アンタ。犬っころの分際で、あたしに逆らおうってワケ?いい度胸してるわね、ボッコボコのフルボッコにされたいのかしら?」


 その後、何が起きたのかと言うのは言うまでもないだろう。しかしそれはポチの敗戦であり、敗北の屈辱にポチが打ちのめされている頃、なかなかドッグフードを食べに来ないポチを心配して戻って来た恋太郎は、柱の陰からその光景を見ている事しか出来なかった。

 何故ならば、横槍を入れれば自分が標的になると言うのを分かっていたからだ。



「くわばらくわばら……。ポチ、学習しろよ。姉ちゃんは怒らせるとオーガより強い。下手に逆らうと、血を見るのは自分だからな……」


 恋太郎は姉弟の長い付き合いの中で、立ち位置と言うものを分かっているが、新参のポチにとってはそんな事は存ぜぬ事。

 しかし言い換えれば、ヨダレ溜まりを作ったポチに責任が無いとは言えないこの現状で、姉が悪者とは言い難い。


 ただ、ポチはご馳走が欲しかっただけだと……家の前を通り過ぎる匂いに敏感に反応し過ぎただけだと……しかしそんな事を言っても意味が無いのだが、ただ、この家の上下関係だけは千勝の覇者ウォーロードの自尊心を砕くには充分だった。


 拠って、玄関にはヨダレ溜まりの他に新たな水溜まりが構築されたのである。

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