☆山奥の隠れ家的温泉旅館の、ほのぼの女将です

月野あかり

里帰り ①

例年に比べ梅雨明けも延び、

雨雲が未だに重く、

山を覆っているそんな午後に

お迎えしたご家族様のお話しです。


お盆の帰省を兼ねてご両親様に

サプライズのプレゼントを

したい旨のご予約でした。


予約を頂いた時期から、

1ヶ月毎に連絡させて頂き、

皆様のご健康・変更の有無

等々の確認、

また、アレルギーの有無・旅館側が

留意すべき点・またご希望も

しっかり伺います。


お食事は、

ご両親様・妹様ご夫婦・

ご予約のご本人様、奥様、

お子様お二人

(小学2年生男児・幼稚園年中さん女児)

の計8名様


メニューも早めに

決めさせて頂き、

前もってお伝えしておきます。

ご宿泊はご両親様お二人。


お父様が癌の手術を終えられ、

退院され自宅療養されている事、

療養中のお父様の気分転換、

日夜、栄養のバランス、

塩分・油分控え目な食事を

苦心してお父様を支えて

いらっしゃるお母様の慰労、

また離れている為、

中々孝行出来ないお詫び等、


pcに入力するのは簡単な

予約表だけで、正式には

昔ながらの予約帳です。


今回も膨大量の情報です。


予約帳だけでいいんじゃない?

とも思いますが…

今やnetでのご予約も多く、

入力にミスがあると、

ダブルブッキングや情報の漏れ

小さなミスから大きなミスまで

大変な事態になってしまいます。


手書きの分厚い宿帳は

やり取りのメモ等、

記載する際の間違いを

防ぐ為にも、

全て取っている宝物、なのです。


予約を受けた担当者、記入した人、

閲覧した人のサイン・押印をします。

昔ながらのやり方が、

間違いない。

絶対に見落としてはいけない、

走り書きでも、

一語一句が大切に書かれた

お宿の財産です。


決して修正ペンや修正テープを

使用しない、一人一人が責任を

持って書き込む。

何を、どこで間違ったか

誰にでも分かる様記入する

一組様一組様の重要書類です。


ご予約で、

宿泊される予約台帳の

備考欄は膨大な情報になります。


最高の滞在となる様、

温かく思い出に残る一日となる様、

お宿全体が、

全員が、心をひとつにして

全力投球です。


この日も

素敵なご家族様の優しい時間を

共有させて頂きます。


ご到着の時間は、15:00時

お散歩、入浴と

お部屋でゆっくり休まれた後、

お子様、お孫様の到着18:00を

待ってお食事。


お食事の際、

息子さんの簡単なスピーチの後、

お父様とお母様へプレゼントを

渡したいので、

それまで女将に預かっていて

欲しいとのご要望があり、

急遽お料理を運ぶ際に

使用する水屋で私は待機。


お食事処は和室ですが、

和室用の低めの椅子とテーブル。

車椅子を使われる事もあるので、

畳も強化している物。


ここは山の中、

敷地内に川のせせらぎがあり

すり鉢状の庭

全体を眺められる様、

低い部分の広い池の真ん中に

お食事棟を建てています。


点在する10棟の宿泊棟は

傾斜はあるものの辛うじて

車椅子も通れる造りに

しています。


ここは元々、

渓谷を楽しみながら川魚を

提供する料理屋だった事から

そういう造りになっており、

また低アルカリ性単純温泉が

湧き出ていた事もあり、

当時の社長が土地丸ごと

買い取り、温泉旅館を作ろうと

なったのが始まりです。


庭は残念ながら、

車椅子では廻れません。

せめてお食事処への

動線の廊下と、お食事を

しながら望む庭の風情が

最高になる様、

景観を損なう建具は避け

廊下は雨風をよける全面ガラス張り

これは、後々

お掃除で泣く事にはなりますが。


庭への出入り口の一部だけが

サッシで、全面ガラスにし

障子を上手く調和させました。


本日、

お泊まり頂く、ご両親様は、

お二人共穏やかで、

終始寄り添っていらっしゃる

仲睦まじいご夫婦様です。


サプライズという言葉を

聞くと…

こちらまで、

ドキドキしてしまいます。


動悸ではございませんよ


最近では、一昔前の様に

女将が直々、お部屋に伺って

ご挨拶、

という場面はございません。


他の老舗旅館や

大きな旅館では、

あるのかもしれませんが。


ここは、こじんまりとした

知る人ぞ知る

知らない人は全く知らない


そんな山間のお宿です。

私の毎日は、作務衣で庭掃除

スタッフみんなのおやつを作ったり

繕いものだったり、

女将と言うより、お母さんです。

たまに、スーツを着て営業や

ご挨拶にも出掛けます。


また、

館内に設える路傍の花々を

マスクに手袋、日除け帽と

完全防備でお山に入り

有難く頂戴して参ります。


梅の花の時期には、

トラックを自ら運転し

高い脚立に跨り、大きな枝を

切ったりと


まるで山伏にでもなった様に

山を駆け回っております。


ですから、

和服でご挨拶、

というのは苦手です。

勿論、

長年、茶の湯をしております

ので、着物は5分もあれば

着付けますが。


元々の性分でしょうか

裏方の細々した事が、

好きですね。


この日は、

7月盆前の、薄曇りの一日

手描きの季節の花の着物で

水屋に控えております。


大好きな

酔芙蓉をあしらった、

薄紫色の落ち着きのある

絽の訪問着です。

帯は白の西陣夏の九寸名古屋、

金糸の流水紋。

涼やかです。


作務衣と違って、

気持ちも引き締まります。


もうそろそろ

息子さんのスピーチが

始まります。

襖の向こうに繰り広げられる

温かく

切なくて

嬉しくて…

そんな一時です。


もう、既に

目頭がヤバいです。


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