第5話 半裂

 私は沈黙した。

 巫女の屍体が晒されたという。

「女性に言うのは憚られるのですがね」と甘利助教は言う。

「構いません。史実なんでしょ。それに仕事柄、そんな話には耐性があります。貴方は幽霊や、腐乱死体をご覧になったことがあって?」

「いえ。幸いながら」

「私は仕事柄で、幾度もあります。ご遠慮なくお話下さい」

「わかりました。ではお話しします」


 真田昌幸が攻略を命じられたのは、天文22年(1553)のことだった。

 真田氏の城砦攻略は調略ちょうりゃくが主であり、それが信玄の目には物足らなかったらしい。敢えて書状にて攻撃遅延を詰問している。

 真田の兵により雨飾城は十重二十重に攻囲されていた。間者も多数が忍び込ませていた。そして報告によれば城内にはまだ多数の井戸が残っており、東条氏は越後の上杉氏の援軍を待っているという。

 寄手とすれば水の手を切ってはいるが、雨の字を冠するほど雲を呼ぶ山城なので、山の湧水も豊かだったのだろう。

 井戸を潰すには間者に命じて、人糞を投げ込むという手段もある。

 衛生面だけではなく、水を介した伝染病が蔓延するので、その城は数年間は使い物にならなくなる。

 ところがそれは、潜入中の間者の命も喪うだけではなく、来るべき謙信との一戦に抑えておくべき拠点を自壊させてしまう。この籠城戦の攻め手においては、どの程度の飲料水を奪えるかの境界線のせめぎ合いであった。

 一方、東条氏の雨飾城では避難してきた領民を抱えていた。

 彼らに克己心もなく、ただつよきものに頼ってすがって生きてきた。然しながらそれが籠城戦で敗色が濃くなると、容易に領民は敵方に寝返って恩賞に預かろうとする。それでも東条氏方が捨て置けないのは、平時に戻れば食糧生産のために必要なためで、守り手にもぎりぎりの境界線があるわけだ。

「その真田の寄り騎に六ヶ城の望月盛時という方がいます。彼も真田幸隆の調略で臣従した国人です。この方は1561年の川中島の合戦で敗死してしまいます。この攻城戦の6年後ですね」

「望月?」と私は怪訝な表情で小首を傾げた。

 もちろん嘘だ。判り切っていることなんだけど。

「そう望月氏、六花さんのお勤めの神社は、その嫡流と思いますが」

「そうかも、しれませんね」

「実はその奥方がまた傑物でして。千代という記録もありますが、千代女と呼ぶのが通説です。彼女は、信玄の命で甲斐信濃歩き巫女という組織を作り、頭領となったんです。巫女という存在は特別でした。通行手形もなしに諸国を渡り歩くこともできたのです。間者として城に潜入させるには好都合だったのです」

 雨飾城で領民の信奉を得ていた巫女がいたという。

 彼女の言葉に励まされて、辛い飢えと乾きに耐えていた。飢餓がどれほどのものかというと、領主の愛馬さえ籠城の初期段階で肉となって、皆に配られた。憤怒を忘れぬためか、領主はその大腿骨を膳に運ばせて、血の涙を流しながら歯形がつくほど噛んだという。

 牛馬を先に潰したのは水が足りなくなるからであり、干し肉にして長期戦に備えるためであった。そのひりつくような緊張感が、引き絞られた弓の弦のように弾けた。

 まずその巫女に嫌疑がかかる。

 巫女は玉砂利の白洲に引き出されて尋問を受ける。

 謂れのない中傷かもしれないが、彼女が否定すればするほど拷問に近くなり、凌辱が始まる。鬱屈うっくつと肉欲を溜め込んでいる足軽衆には良い憂さ晴らしであったろう。


 江戸期のことだけども。

 私は堺で処刑現場を見たことがある。

 放火をはたらいた商家の娘であった。放火は当時は大罪であり、彼女は磔になった。それを竹夜来を通じて見世物にするのだった。多くの民衆が息を呑んで見守る中で、娘の架けられた磔台が立った。

 大店の娘は上等な絹の襦袢じゅばんを身につけていたが、その前は開かれて無惨な姿になっていた。しかも磔台はりつけだいも十字になっていて四肢を大きく開かせて、その身体が露わになっていた。

 そのおぞましさに皆は却って興奮をして、暫くは口伝てに語られて「悪いことはするもんじゃないよ」という遵法じゅんぽう精神が広がっていったことを覚えている。

 まだ実りの浅い白くて尖った乳房が震えている。失禁して股間から下の支柱が濡れて光っていた。覚悟を決めていても、悔恨に顔が醜く歪んでいた。何かを叫んではいたが、それが言葉としては竹夜来の所までは届かなかった。

 処刑場の槍方が左右に並び、民衆に一礼して、相対してまた一礼。

 何度かその作法が繰り返されて、焦らすだけ焦らしているようにも見えた。

 それが突然に素早い動きで、ずぶりと太ももから脇に槍が突き通った。左右が同時にだ。ばっと血煙が上がった。娘は大きく痙攣したが絶命には至らない。獣のような悲鳴が掠れながら届いてきた。急所は故意に外して、これを数度繰り返して、噂が噂を呼ぶように拵えていた。

 同じ運命がその巫女にも降りかかったのだろう。

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