第36話 第一標的

 階下で重たい扉が閉まる音がして、話は一度中断された。警備隊か保安局の連中が入ってくるかと思われたがしばらく経ってもその気配はなく、マスク顔によると外でドローンの包囲網が敷かれているというから、その意図もうまく読み取れない。ピカの通報で私を助けにきたのならそれに協力する義務もあるのだろうが、加えてやけに冷静で友好的な敵をここで挑発するのも悪手のような気がしたので、結局私たちは冷凍室に籠城して次の動きを待つことにした。


「5人目を探すのは簡単ではない。客観に現れる痕跡を頼りにするしかないし、その僅かな目印も確たるものではないから」


 相手は二重扉の手前に設置されたビニルカーテンの横に立って、バスキュラーの自動小銃を構えながら話を続けた。私も作業台の角に腰を乗せる。


「宇宙人が人間の主観に干渉するには、いくつかの段階がある」


 階下の音は静まっていた。マガジンを抑えるようにしていた手が解かれて、私の方に向け一本の指を立てた。


「第一段階、3次元に実体のない宇宙人は、夢の中に現れる。選ばれた者たちがFWチップの戸口を無防備に開放し、その主観統合作用が不確定になる瞬間に」


「対象は、FWチップの装着者でなければだめ?」


「特定の場に干渉するための回路が必要なんだろう......いや、分からないな、どうだろうか」


「特定の戸口が必要なら......」


「ああ、他人のFWを着けていたことが、とうとう怖くなったか?」


「どうなの?」


「いずれにせよ彼らを呼び寄せ、結果として選ばれたのならほかの道はない。実際死者の声は誰に向けて話しかけてきた?」


 私は以前見た、ひとつながりの夢を思い出していた。細胞の些末な電子的情報をもとに再現された斜陽の差し込む研究室、そこに現れたゾフィーが言っていた言葉は、目の前の人物の口から飛び出す妄言めいた台詞と酷く似通っている。あれは私の過去のトラウマが作り出した心理現象ではなかったのか。思い返せば、私がまだ知らないはずのことを言っていたかもしれない。


 指の本数は変わらず、話は続く。


「宇宙人は固有の姿を持たない。現れる時には大抵、選ばれた者の心深くに巣喰っている亡き人の姿を模倣する。いや、誰が現れたかは決して言わないで。黙れ。黙って、言わなくていい」


 ゾフィーは、宇宙人が模倣した姿だった。


 先程から薄々とそんな気がしていたが、言葉にされたその2文字は私の理性に喩えようのない不快感を纏わり付かせた。夢の中でまるで生きているかのような会話を交わしたゾフィーは、私の経験が再構築した自分の中の記憶体どころか、死して怨霊となり尚枕元に現れた愛すべき幽霊ですらなかった。信じたくない。しかし受け入れざるを得ない。こんなところで彼女の影に憑りつかれていることを認めるわけにはいかない。頭痛の中、夢の中での会話が脳内で破片的に再現され、私の心をざわつかせるひとつのシーンが繰り返されている。私はどうやら、ひどく悪意のこもった紛い物を夢の中から拒絶する権利を、すでに捨ててしまっているようだ。


 私の感情を置き去りにして、2本目の指が立つ。


「第二段階。死者は死者の復活を受け入れるよう要求してくる」


「ええ、ええそうだったわ」


 自分の経験にあまりにも重なる証言と、科学文明人として到底受け入れられないオカルト話に、私の脳は滓が溜まったフィルターをかけられたように作動し、ただただ意味のわからない焦りの信号だけを打ち出していた。夢だったから、油断していた。夢の中の私を責めることなどできないが、それでも私の中に植え付けられたイメージが煽動犯に植え付けられたそれと同じものであるとの確信が強まってくると、もはや冷静にはいられない。


「それを受け入れた者だけが、死者からのパトロネージを受けることを許される。第三段階、不意思による跳ね返しを克服した宇宙人は覚醒時の主観にまでも干渉し、人間は心への信仰と引き換えに助言を得る」


「助言?」


 今度は言葉が引っかかり、何も考えられないままオウム返しで尋ねる。頭に靄がかかったようだ。白く濁った意識を細く絞って記憶を整理する。これまでの想定は当たらずとも遠くはなく、一つずつ次元がずれて話が展開されているせいで、私の中で行われているすべての言葉の解釈に誤った方向へのバイアスがかかっているみたいだ。煽動犯が他者の意思に干渉して、痕跡なく市民の犯罪遂行意思を生じさせているものだと信じて捜査を続けてきたのに、その煽動犯こそが何者かに干渉を受けていて、その干渉が何かと思えば、ただ助言を与えるだけ?


「助言って......何のために?」


「我々の理解を超えたことだ。知りたいと思ったことはないし、知らずとも役割は果たせる」


「役割ということは、具体的な指示が?」


「そうだな。例えば身近な人を亡くしていて、独り言が多く、時に不可解で合理的な行動をとる人間を見つけること」


「それが、私?」


「博士の場合は、何年もかけて数千万の有象無象の中を無暗に漁る必要はなかった。秘密部隊がエドメに辿り着いたと聞いた時、我々が追うべき標的が2人ではないと知り、ヒルベルトホテルで博士を試した。あの会見が始まってから舞台上に現れることができたのは、客観的生命体の導きに従った者だけ」


 助言だけでなんとかできた状況じゃなかった。あれは明らかに主観だけの干渉ではなかった。殺したのは私ではない。そう言おうとして口を開いたときにはすでに、私の意識はもう一つの質問に支配されていた。


「2人の標的って、ケベデと、もう1人はミケルのことかしら」


「ケベデか。彼はプレイヤーになる前だった。ミケルって誰......だ......」


 頬の両側からぶら下がったキャニスターの下で呼気装置が唸りをあげた。雑音交じりの中性的な声が一瞬途切れてしまう。


「聞こえなかったのだけれど」


「あー」


 マスク顔は震わせかけた声帯に無理やり力を込めて抑え込んだような、意味を持たない返答をよこしてきた。


「あっ」


 奴の手が冷凍室を仕切るビニルカーテンに触れた時、私の頭の中で創り上げられた伝声器のくぐもった音声が、一つの答えを告げた。現実のマスク顔は私に対しては何も言わずに、足元に倒れるドローンを蹴飛ばして冷凍卵子保管室を立ち去ろうとする。


「しくったな」


「まさか」


 私は今までいったいなぜこの異常者と普通に会話をしていたのだ?


 立ち上がろうとする。重力の向きが変わって奴のブーツの底鉄が目と同じ高さに現れる。視界全体に赤い警告が展開し、何が起きているかわからぬまま足がしびれて動けない。奴に伸ばした腕はわずかに届かず目の前にしなだれて落ちた。


「まさか、まさ、か」


 ピカに傷をつけて平気な顔をしているこいつに、なぜ赦しを与えた気になっていたのだ?


 ピカが刺された時、誰がいつ植え付けたのかすら分からない微弱な不意思など振り払って始末していたら、すべて終わっていた筈なのに。


 ゾフィーを殺した人間が今まさに目の前に立っているのに。


 この人間から聞き出すことなど最早何一つとしてないではないか。


 私の行動を規律する復讐のプロトコルが、それに著しく矛盾した行動をとっていた私の髄に、深く絡みつくような自己嫌悪感情の根を生やす。心臓が締め上げられ、万能感とは違う何かが殺意を湧き立たせ、それを告げる言葉の代わりに生唾が口の中を満たしていく。


 待て。その一言すら、味方が殺人犯を捕らえるために流し込んだ気体のせいで、放つことを許されない。地面が重たい装備を抱えた部隊の足音に揺れているのがわかる。視界に黒く影を落としていた奴の姿は、いつの間にか無くなっている。宇宙人の助言とやらが奴をうまく逃すのだろう。その想像をして不意に目尻に冷たい感触を覚えた。自分の無様さを呪って、手足を縛られた野獣のように鳴き声を上げる。


「警護対象者発見」


 誰だ。私のことなどどうでもいい。建物の中をくまなく探してくれ。


「吸入器を」


「ウバラ隊長」


「弛緩ガスだ。急げ」


 マスクをつけた背の高い男が指示を受け、奴を罵った時に飛び散った唾液で汚れた私の口に、薬品の匂いのするチューブを捩じ込んだ。息が楽になる。


「ゆっくり息をしながら、さっきまでここにいた奴の特徴を記憶しておけ。記憶装置に残らないような一瞬の癖まで、今覚えていることの全てだ」


 そう言ったのは、保安局護衛部門の腕章をつけた見覚えのある立ち姿だった。

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