第2章 覚醒

第8話 ジュラ・ホーン

「ジュラ・ホーン君、今どこにいる?」


「これは、ペトレンコ委員。情報総局本部ですが。保安局の独走のせいでてんてこ舞いですよ。其方は大丈夫ですか?」


 情報総局の小会議室の壁が中央委員会の議場の豪華な廊下とひと繋がりになって、頭頂部の禿げたローブ姿の男の全身が立体投影機に映し出された。経済金融部門担当のペトレンコ委員だった。部屋に流れていた音楽を止めるために立ち上がってスピーカーの方へ歩くと、議場外の廊下は私の歩く方向に平行に追従してくる。ペトレンコ委員には、私が彼の横で一緒になって歩いているように見えているはずだ。


「その件についてだが、委員長が招集をかけた。来れるなら今すぐに議場に来い」


「今ですか。この緊急時に、なんとも融通の利かない人ですね」


「内務総局のミズ・ワタナベも、技能総局の連中もCMFの会見中止への対応で手が回らんそうだ。他にこの分野でまともに答弁ができる委員は君しかおらんのだよ」


「理解しました。しかし私も忙しいのですよ。CMFと情報総局の関係は委員もご存知でしょう?」


「勿論だ。だが実行部隊の監督義務があるワタナベらと違って、君がわざわざ現場に出向く必要もあるまい。その仕事は下級官僚にでも任せなさい」


 渋る私をみて、彼は溜息を吐いて言葉を続けた。


「それに、君にとってもいいパフォーマンスの機会になる。私はそう思うがね」


「......分かりました。ご迷惑をおかけして申し訳ない。委員長には急ぎ向かうとお伝えください」


 ペトレンコは満足げに頷くと、ピクセルの粕となって視界から消え去った。次いで廊下と繋がっていた部屋の壁に元々掛けられていた風景画が現れた。私はもう一度スピーカーのつまみを回した。音質の悪いビッグバンドのジャズ音楽が区切りの悪いところから唐突に流れだす。前任者から譲り受けた、地球文明時代の名も知らぬ組曲が収録されたフィルムだ。歴史的資料として公開文書庫に保管されていたものを持ち出したまま返していないのだとか。音量を最大にして、私は部屋の中央に据えられた円卓に座りなおした。


「だそうですよ、ミズ・ワタナベ。保安局の方は大丈夫なんですか?」


「君のおかげでそれどころじゃあないんだよ」


 向かい側で上品に腰掛けている、歳を重ねた女性が抑揚のない声で返事をした。内部部門委員、保安局長のさらに上層の権限を持つワタナベだ。慣例的には彼女は保安局の直接の監督義務は有していないが、5課の直面している内通者問題に際してこうして非公式の仕事をしてもらっている。外務部門から分裂したばかりの情報総局を影から支えてくれた、私が直接信頼を置く数少ない政治家だ。


「ただ一言承認をいただければ、それでこの会は解散できるのですが......」


「その前に、ペトレンコに部屋の中を見られていないだろうね」


「ご安心ください、ワタナベ委員。ここは諜報部の中枢ですよ」


「しかし経済部門の連中、君を取り込もうと必死だな」


 話に割り込んできたのは、保健担当副委員のラトルだ。同世代の彼は私の隣でふんぞり返って爪をいじっていた。


「はあ、まったくですよ。勢力争いなどしている場合ではないのですがね」


「可哀想じゃないか。我々が協定を結んでいるとも知らずに。どうです、リント副委員? いっそのこと経済部門も引き入れてしまえば」


「......いや、FWに密接している機関に留めておく方がいい。この限られたメンバーでさえ機密の管理に失敗したのだから」


 懸命な答えを出したのは技能・宇宙開発担当副委員のリントだった。ワタナベと私は彼の発言に同意を示すべく、ラトルの方へ首を振ってみせた。彼はただの冗談だと言ったきり口を閉ざしてしまった。


「さて、思ったより時間がないようですので、早速第一の議題に進みましょう。ゾフィーの研究内容の共有についてですが......」


「内通者の可能性が否定されない限り、ジュラ・ホーン、あなたに一任することを再提案する」


「同意しよう。そして内務総局は今回の一件について謝罪し、日付が変わるまで5課のCMFへの調査を妨げないことを誓おう」


「技能部門もそれに協力する」


「......同意する」


「まあ、やはりこのようなことになりましたので、保留とさせていただきます。それでは、本題に移りましょうか。まさに今その現場にいる、ラフカ課長からの申請について」


 ミズ・ワタナベは卓の上で手を組んで、赤茶の色眼鏡を鼻先まで下げて私の方を見つめる。他の2人は、彼女の出方を伺って沈黙に徹していた。先ほどまでの楽章が終わってノイズが響く間、4人は次の曲が始まるのを待つ。


「5課にFWシステムの装着義務免除を与えるか否か、今ここで多数決を採りたい」


「私は反対する」


 ワタナベは迷いなくそう言い切った。正直なところ、予定ではもう少し順調に話が進むはずだった。リントに期待するほかなかったが、彼は他の3人とは少し光の当たり方の違うグラスを口に運んで静かにしていた。一方ラトルは自分の爪を眺めるのをやめてのそのそと身を乗り出す。


「5課に与えられた超法規的権限は、あくまで暴動事件の捜査に必要と認められたものに限るべきだ」


「ほお、あんたは何も聞かずに反対するんだな」


「当然だ。既に、内務総局は情報総局独自の部隊設立を認めた」


「つまり?」


「保安局員として彼女らは既に一定の制限を免除されているはずだ。それに......」


 ワタナベはそこで言葉に詰まり、言うべきか言わないべきか数秒悩んだのち、背もたれにもたれかかって深い声で続けた。


「保安局と旧諜報部の権限は現状で丁度均衡している。これ以上の特例は内通者以上にやっかいな障害を生みかねない」


「先ほど勢力争いなどしている場合ではないといったばかりではないですか!」


「いや、確かに他部門の反発がないのは単に極秘部隊として運用しているからにすぎん。関わる人間をこれ以上増やさないという意味でも、ミズ・ワタナベの主張は筋が通っている」


「それでは......」


「結論を出す前に。ジュラ・ホーン君、それらの措置の必要性と予測される利益はなんだね」


 ワタナベの作った流れに抗えずつばを飲み込んだ私を見かねてか、ラトル副委員がその口を開いた。


「ええ。第一に必要性についてですが、ラフカ博士は煽動犯に接触を試みるつもりです」


 私の言葉の続きを待たずして、4人の間にどよめきが広がった。皆目を見開いて、思い思いに真っ当な反論を口にする。


「待て。話が違うぞ。武力行使の為となるといずれ司法部門にも勘付かれる」


「そもそも暴動といえど死者は出ていない。戦闘が必要になるとは」


「み、皆さん」


「だいたい、君の急務はFWへの干渉が可能でないことの証明であり、1課と同質の特権を認めるのはあまりに過剰だ」


「皆さん、最後まで聞いてください」


「ラフカ博士はなにも初めから武力行使を前提にしているわけではありません。そもそも相手の居場所も分かっていないのですよ?」


「ならば一体どのようにして?」


「囮作戦です」


「詳しく説明しろ」


「煽動、つまり不満を抱える市民への犯罪意思の植え付けは、今まで通りFWシステムを介して行われていると仮定します。その干渉の痕跡は誰にも観測できない。それが最大の障壁でした」


「その通りだ」


「しかし実際は、観測することができる手段が2つだけある。1つはゾフィー博士の理論を再現すること。そしてもう1つ」


 再び音楽が止まった。私にとって心地よい緊張感が漂う。次の音を待たずに、先ほどラフカから伝えられた作戦をそのまま口にした。


「我々の誰かの主観に相手が干渉することです」

「......続けて」


「ラフカ博士は自身の主観に相手を誘い込むことを考えています」


 3人の口数は先ほどと比べて明らかに多くなっていた。彼らの質問を引き出し、畳み掛けていく。


「なるほど、面白いな」


「しかし、ならばFW装着はむしろ必須ではないか」


「ええ。ですから非装着特権を実際に付与するのは、他の5課のメンバーです。対照実験ですよ」


「しかしそんなに簡単にいくものか......やはり相手を知らずに相手を欺くなど無理があるのでは」


「実際のところ私も同感です。しかしこれは私の感想ですが、先ほどラフカ博士と話した際、なにか確信がある様子でした」


 ラトルが鼻で笑う。一瞬ひやっとするが、彼は私の最も痛がるところを通過して、わざわざ論点を変えてくれた。


「囮が成功したとして、その後はどうだ。上手くいくのか? 自身の主観に干渉されたことをどうやって知る?」


「そこは、セレスト随一の心理学者である彼女の腕にかかっています」


 この限られた時間で出るであろう質問は出尽くした。セレスト時間を示す大時計がカサカサと秒針の擦れる音を響かせる。小部屋は今までにないほど静まり返っていた。ワタナベは色眼鏡の向こうで皺だらけの瞼を閉じて考え込んでいる。ラトルは保安局の捜査資料を片手に、全く意味のない統計の上でひたすら目を滑らせて彼女が結論を出すのを待っていた。リントはただ細かく頷く仕草をすると、深く腰掛け直して溜息を吐いた。


 どうなるかは、ワタナベの意思次第だった。永遠のように感じられた時間が過ぎ、ワタナベの掠れた声が場を再び支配する。


「いいだろう。私は納得した。ただ1つ懸念がある。今の5課にラフカ博士の意思の手綱は握れるのか?」


「早急に対応します」


「もし万が一彼女が反旗を翻すような兆候を示せば、内務部門で即座に判断を下す。私は彼女の中枢自己を君ほど信頼していない。それでもいいか?」


「それで他のお二方からも承認がいただけるのであれば」


 ラトルとリントが黙って組んでいた手を開き、異論がないことをジェスチャーで示した。私は表情に出さないように気をつけて胸を撫で下ろした。しかし理由は分からないが、どこか不安は残ったままだった。しかしその理由を探る間も無くリントに急いだ方がいいと言われ、慌ててローブを羽織った。部屋を出る時に円卓が少し小さくなり、3人が肩を近づけて何やら話し始めた様子だったが、それを気にしている暇はなかった。


 廊下に出ると、ファビアンが心配そうな顔をして壁にもたれて待っていた。速足でエレベーターの列に割り込みながら、彼は私に会議の結果を小声で尋ねた。


「それで、上手くいったか?」


「なんとか。君の言った通りに」


「ならよかった」


「いや、良かったかどうかはまだ分からない」


「ラフカのことか」


「なるほど......そうだな。今更ではあるが、彼女のことが心配になった」


 馬鹿らしいと私が自分で笑い飛ばすと、ファビアンはまるで私の不安を吸い取ったかのように、神妙な面持ちで返事をした。


「俺も気にかけておこう」


 地上階に降りて、私たちは別れた。ファビアンはロビーから私を見送ってくれていたが、私が中央委員会に直結するトラベレーターの乗降口に差し掛かった時には、いつのまにか姿を消していた。

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