第4話 心の実体

 連絡部から送られてきた予定外の一通の文書に、私はすっかり冷静さを失っていた。


 久しぶりにあらゆる行動が無意識のうちに起こる感覚に陥り、明確な情動の無い環境下でのFWシステムの脆弱さを実感する。久しぶりに訪れたマディソン自由大学の変わらぬ景色には目もくれず、自分がどれほどの速さで走っているかも分からず、ペグのナビゲーションだけを頼りに手すりの錆びた避難経路を下る。


 気がつけばトラベレーターの裏側に吊り下げられたリアクションプレートを目の前に立ち尽くしていた。超伝導磁石の上を滑ってきた一台の装甲車両が、ちょうど目の前でドアを開けた。中からロビンが寝ぼけた頭を半分覗かせる。


「予定より大分早いが、交渉は上手くいったのか」


「綺麗に無くなったわ。説明している時間はないの、急いで出して」


「行き先は?」


「第二層、CMFの本社よ」


 ロビンが操縦席に着くよりも早く、ペグによる自動運転が始まった。ホログラムに示された立体地図では、青い四面体で示された警察車両が次々と主要乗降口に検問を設ける様子が見てとれた。しかし私たちの現在地点を示す地図上の点はそれらに遮られることもなく、すぐに首都環状トラベレーターに乗った。振動はない。気を散らせてくるのは、オートジャイロが装備されていないせいで微かに左舷側に感じる遠心力だけだった。一息ついて、装甲板を取り外して搭載された巨大な演算機に挟まれる様に私たちは向かい合った。


「それで、何があった?」


「どうやら民間に私達の捜査の情報が漏れてるみたい。元々学会では物理心理学なんて異端扱いなのよ。私が説明するよりも前に見事な否定説を披露されたわ。おそらく保安局上層部の妨害工作ね」


「まあ、内通者の問題はダンたちに任せる他にないとして、指示を出せるレベルの知恵を持っているのが博士一人だけじゃ何もできん。博士の古巣も当てにならんとなるとどうするかな。ああ、すまない。それで、まだ何か言いたそうだが?」


「それだけじゃないの、なんて説明すればいいのか分からないけれど」


--話を遮って申し訳ありません博士、公共放送を見ることを提案します--


「どうしてかしら、ペグ」


--新たな情報があるからです、ラフカ博士--


 私とロビンが同時に頷くと、頭の当たりそうな天井から2人の膝下に球状の立体報道が投影された。


 第二層の先端技術工場を覆った立方体の隙間にズームしていく。警備ドローンが張り巡らせている規制線越しに、忙しなく出入りする小さな人影が捉えられる。映像を囲うように、赤くシンプルな文字で同時字幕が流れていた。「FWシステムの管理を受嘱しているCMF本社前の様子です。CEOのセイフー・ケベデ氏は先ほど、FWチップ装着者による暴力的活動の報告件数が増加している事実を認め、内務総局の審議会と共同し、システムとの因果関係を調査すると発表しました。これより会見が行われる予定です。社会不安の高まりや反体制派による集会が懸念される中、現地では先ほどから多くの政府関係者が......」


「ああ、どうしよう。やっぱり間に合わなかったみたい」


「どういうことだ、これは?」


「どうもこうも、連中、一連の事件をシステムが持つ矛盾性のせいにして無理矢理収めるつもりなのよ」


「まあ待て、誰も何も分かっていない今の段階で報道規制を解いたとして、一体なんの意義がある?」


「こういう事に合理性を求めてはだめ。意思決定過程を組織レベルで考えてみて」


 そう言ってすぐに、彼の返事を待つ時間がひどく無駄である事を思い出した。


「タイミングがあからさま過ぎる。私を強引に雇った5課への報復よ」


「......5課への報復?」


「ええ、その通り。大学に働きかけて私の権威を貶めるだけじゃなく、誰かが5課そのものを消そうとしている。目的自体はなにも驚く事じゃ無いわ、煽動犯の存在を公にすることは、理性制御の正当性、ひいては保安局の意義を大きく失わせる」


「分かっている。聞きたいのはそれを連中の限られた権限でどうやって実現するのかだ」


「思い出して、あなたが一年前接触したと言っていたエンジニア、煽動犯の存在を仮定した段階でCMFに対する調査は不必要になったのだから、早いうちに彼女を回収しておくべきだった。三大テックに対する私服局員の情報収集活動は違法よ。あなたが残したこの自爆装置をもしも彼らが発見したら、いくらAO5の母体が超法規機関だとしても、護衛部門としての機能は全部吹き飛ぶわ。そしておそらく、今日の行動の速さから察するに彼らは目星を立てている」


 私はナビゲーションシステムの上で指を滑らせると、護衛部門の中央司令部から前部局に通達された1つのファイルを同期させた。機動隊と保安局員の配置が、ミルフィーユ状の立体地図の上に描画された暖色系の靄で表されていた。とはいえ、今の状況を打破するのに全く役に立ちそうにない情報だった。私は他になにかないか、焦りを抑えようと拳を握りしめつつ狭い車内の四隅に目をやった。それを見たロビンがやや声を荒げた。


「今から回収しようっていうのか?」


「ええ、連絡部曰く、司法総局は既に動きはじめてる。技能総局の調査団はジュラ委員が足止めしてくれているけれど、このままほうっておいたら、遅くても時計の針が明日を指す前に自主調査が始まる見込みよ」


 何か答えようと霞んだ瞳が私の義眼を貫いた。しかしなにを思いとどまったのかすぐにため息をつき、落ち着いた様子で脚を組んだロビンに少し苛立つ。


「その協力者の為にも、できるだけ早いうちに手を打たないと」


 それを聞いた彼の口は、今度は一切動く気配を見せなかった。そして不機嫌そうなその目には僅かな揺らぎが宿った。


「なにか案があるのか?」


「いいえ。ただ会見の間、私たちがケベデ氏の警護を行うことになった。この騒動に煽動犯が関わってくる可能性が高い以上、AO5の設立目的と照らし合わせても自然な行動といえるし、護衛部門にも話は通してあるわ。私からは本人に接触を試みて、調査の結論を出すのを遅らせるよう説得を試みる。あなたはエンジニアの方をなんとかして」


「なんとかして、ときたか」


 ロビンはその硬そうな髪を両手で掴んで大きな身体を後ろに倒した。眉間の皺を更に深くして声にならない長い呻き声をあげる。


 視界の隅では、到着まで8分弱しかないと伝える青いグラフが淡々と点滅している。車両は既に第二層へと繋がるチューブを通り抜けていたようだ。黒塗りの防弾ガラスの向こうがますます暗くなる。一瞬体重の増加を覚えると共にトラベレーターと同じ階層に出ると、私たちは人間よりも、無機的な形をした輸送ドローンを追い抜くようになった。


 比較的設立の時期が新しい(とはいうもののそのルーツを辿ればセレストがまだ太陽系連邦保有の宇宙島だった頃だが)CMF社の本部は、工業地帯の外縁に位置していた。採光窓の無いここでは空という概念を持ち出してはいけない。何処までも伸びる無人の摩天楼と三層まで直通のトラベレーターが遥か頭上に一本見えるだけだ。その上は「最先端の街」と謳われる大規模な従業員居住部が蓋をしている。


 私達の車両の移動にぴったりと合わせて街灯が明滅し、それ以外は威圧的で迷路のようなグレーの垂直壁が窓の向こうを通り過ぎていく。かと思えば、水が流れる低い音が聞こえ、時折明かりのついた格子の向こうに、緑に覆われた中庭が見えることがあった。セレストの技術的安全の維持に密接した役割を担う3社からの、訪問者に疎外的な意図を感じた。そうこうしているうちに、視覚的なヒントが何一つない本部のエントランスに辿り着いた。たまにはペグにも感謝しなければ。


 まるで待ち構えていたかのように、GUARDのホログラムを見て駆け寄ってきた現地警備隊の誘導に応えて、本社ビルの裏手へと車両を回していた時だった。ケベデ氏をどのように私達の味方へと引き込むか、そもそもそれが可能である人物であったか、ぼんやりとアイデアが浮かぶのを待ちながら変わらないニュース映像を見続けていた私に、ロビンが唐突に声を掛けてきた。


「いい知らせだ、博士」


「言って」


 彼は私の前までナビゲーションシステムを移動させると、それには赤ではなく黒の斜線で区切られた領域が追加されていた。目を凝らすと、とある民間警備会社の文字が浮かび上がる。CMF本社の中庭に浮かぶように建てられたケベデ氏の私邸を囲うように、それは他部門の保安局員とそれに属する警察機関の立ち入りを制限していた。そこに護衛部門からの新しい通知が重なっていた。


「5課による警護について打ち合わせを要求してきたらしい」


「だれが、誰と?」


「ケベデの爺さん本人だ。これが彼からの、内務総局の言いなりにはならないというメッセージであるならば、多少のリスクを負っても直接交渉のしがいがある。そう思わないか」


 車両をプライベートゲートの前に停めて、時間の許す限りで身だしなみを整える。ミリタリージャケットを脱ぎ、外から窓を覗き込んでネクタイを整える。幸いにも大学へ行くために黒いシャツとスラックスを履いていた。万が一機動隊の規制が突破され、本来の任務に就かなければならなくなった場合に備え、拘束銃をホルスターに提げておく。そうして向かったエントランスは、さながら水族館だった。


「こちらへどうぞ」


 水槽に囲まれたロビーの奥まで進んでいくと、まるで人形の様に容姿の整った少年が出迎えてくれた。アンドロイドであろうか。しかしケベデは不必要に人工物を身近に置かないことで知られている。私たちは少し緊張した笑みを浮かべながら、足音を立てない様に吹き抜けの螺旋階段を登った。歩く速度に合わせて熱帯魚が追いかけてくる。白に統一された明るい空間できらめく青や橙の鱗が涼しげだ。

 

 最上部まで登り切ると、一気に室温と湿度が下がった。せせらぎの音が何処からか聞こえる廊下には、薄色な草花がガラス製のプランターに植えられてぶら下げられており、甘ったるい花粉の匂いがすこし気を遠くさせる。気がつくと、目の前の壁が透明になり、少年が中で何か話し始めた。しばらくすると籠を片手に戻ってきて、私達は銃をそこに入れるようお願いをされた。


「保安局アンチオカルト部門、ラフカです」


「セイフー・ケベデだ。かなり驚いているようですな、ラフカ博士」


 やつれた、しかし皺のない褐色の肌で覆われた顔に優しい笑みを作って、老いた男は私の右手を握った。その力は非常に弱かった。整った白髪を肩まで伸ばし、会見のためであろうか、純白のスーツに紺シルクのネクタイを結んでいた。第一印象は清潔な紳士である。しかし時折私たちの背後や壁の向こう側に視線を遣るように、仕草においてはどこか神経質であった。


「お時間の無い中、このような機会を設けていただき、本当に宜しかったのですか?」


「何を仰るのです。自分の身を守るためです、私から礼を言うべき事でしょう。それに、これは内密に願いますが、会見の映像はもう撮ってあります。老人の生の脳味噌では肝心なところで言い間違えてしまいそうで」


「それは、もう変えることはできないのですか?」


「できますよ。ですから、あなた方の話を聞くまでは待つように広報官に伝えてあります」


「しかしそれでは、内務省はいい顔をしないでしょうな」


「失礼、彼は?」


「私の部下の数学者です」


「そうでしたか。いいですか、恩のある人を試すような事をしてはいけない。それに私は彼らが思うような経営者ではなかった、ただそれだけの事ですよ」


 ロビンは初めて出会う人には必ず失礼な態度をとるが、ことさらケベデ氏との相性は最悪であるようだった。彼はすこしぶっきらぼうな返事をして、私たちに背を向けると足早に部屋の奥へと戻っていった。私たちは目を見合わせて、戸惑いながらもそれに続いていく。幸いにも、それを制止されるようなことはなかった。


 通された社長室は一言で表すなら、決して口には出さないが、単調で趣味の悪い部屋だった。黄緑と青紫で模られた蔦と蝶が背の高い四方の壁を覆っていた。純白の照明がその背後から差し込み、彩度の強い昆虫がホオ材の箱にピンで留められて絵画の様に飾られている。それ以外は革張りの椅子にガラス張りの長机と、小物が乗った円卓があるだけで、他には客用の椅子すら無かった。


「気を取り直して、まずはあなた方のことから知りたい。といっても、かなり前から噂で聞いていましてね。FWシステムに干渉可能なハッカーを追っているとかいないとか。ついこの間までは会議で笑いのタネにしていたのですが、いやはや貴女が正式に招聘されたと聞いたときは我々も慌てましたな。昨日のことでした」


「どこから説明致しましょうか?」


「そうですな、ああ、貴女のことはよく存じ上げています。ゾフィー博士がいつも誇らしげにしていましたから」


「光栄です。そういえば彼女は大学に勤める前のことをあまり話してくれませんでした。一体ここでどのような研究を?」


「簡単に言うならば、理性制御に因るニューロン樹状突起での電気変位とその特定について研究していたのですよ。優秀で、そして異端な存在でした。もちろん褒め言葉ですよ」


 そこまで言って、彼は壁に掛けられている唯一の写真の前に立った。私の義眼を以てしても誰が写っているのかまでは見ることができなかった。部屋に静寂が漂う。彼は暫くの間無言のまま、写真に映る誰かを睨みつけていた。いや、正確には写真の向こう側であろうか。老いてもサイボーグ化を拒み続けた彼の目は何処を見ているのかよくわからず不気味であった。先ほどから私には心を開いているように思えたが、しかし簡単にこちらから足を踏み入れてはならないという直感が働いていた。


「彼女のことは残念でした。そうだ、研究室はそのままにしてありますよ。後で寄ってみては?」


「ええ、是非」


「ああ、それから今思い出した。博士は高所恐怖症でしたかな。宜しければ床の方も閉じさせますが」


 そう言われて足元を見ると、なるほど、先ほどまで壁の中を泳いでいた魚たちが透明なガラスにできた私の影の中に集まっていた。思わず後退りしそうになるが、必死に堪えて笑顔を返す。


「配慮ありがとうございます。それにしても素敵な空間ですね、昆虫がお好きなんですか?」


「いいや、ただ創作物を飾るのがどうも苦手でしてね」


 床がチェス盤のように金の板で覆われた部分があることに気がつき、標本観察を装いながらそこへ歩いた。ロビンはというと、長机の片隅に置かれた蚕蛾を模した文鎮に見入ってしまっている様だった。それを取り上げて、透明な灯りを反射している白い羽を指先で優しくなぞっていた。


「話を戻しましょうか。私が知りたいことはただ1つだけ。精神場の観測可能性について、博士の考えか、あるいはゾフィーが遺した誰も知り得ない仮説をお持ちでしたら、それをお聞かせ願いたい。CMF社の在り方を決定する上で、私にはあらゆる可能性を考慮する責務があるのです。その内容によっては、私は最期まであなた方の真の友であり続けることを約束しましょう」

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