第2話 冤罪と理解者

「……情報総局統計部、ロビンだ」


 差し出された手は、私が軽く握り返すとそれを即座に振り払った。ダンは確かに彼のことを私の部下だと言った。思っていなかった反応に、半分反射的に男の顔を覗き込んでしまう。その彫りが深い両目の上では年不相応な皺が濃く刻まれていた。


「なにか?」


「落ちぶれたな」


「はい?」


「ロビン、やめてくれ」


「聞いていた話とちがう。役に立つとは思えないが」


「どういう意味?ダン、説明して」


「もちろんだ。ああ、あなたもここにいて。別の件で話がある」


 何処からか椅子を引きずって来た院長に手先でお礼を言って、ダンはその一つに腰を下ろした。そして幾つかのカルテを携えてその場を離れようとした院長を引きとどめた。


 一方のロビンと名乗った男は、ダンの方を一瞥して無言で院長室から出て行った。しばらくふらふらしていたが、やがて、おねだりして買ってもらったおもちゃが安っぽい素材でできていたことに気がついた子供のように、わざとらしく、こちらに関心を示すそぶりも見せずに腕を組んで窓際から通りを見下ろした。肩を大きく動かして溜息をついて、その骨ばった指は忙しなくコートで覆われた二の腕を叩いていた。


「私があの男の上司?」


「その通りだ」


「私が情報省に勤めるっていうこと?」


「ああ、それはちがう」


「よかった。あいつら私に何してくるか分からないから」


 薄いガラスで覆われた部屋だ。外にいてもある程度聞こえているだろう。だが自分に向けられた言葉ではないと分かっているのか、窓の外の一点をひたすら見つめていた。ダンが話しづらそうに男の方を気にしながら、あからさまに機嫌の悪い女2人の次の言葉を構えている。


「彼がいないとできない話?」


「ああ、いや」


 私の真横に立ったままの院長は、ダンマリを決め込んでダンを観察していた。不機嫌さを隠しきれていないところは普段と違ったが、犯罪を犯して警察から紹介されてきた患者を診る目そのものだった。私自身はダンについては警戒していなかった。相手は昼間からパブでサボっている人畜無害な生活課の監察官だというのに。


「いた方が話しやすいが」


「いえ、不愉快なので大丈夫です」


 唐突に耳元で響いた院長の淡々とした声に私は唾を飲み込んだが、それを聞いたダンは分かっていたかのように肩をすくめ、話を続けた。


「ラフカ、君の物理心理学への研究成果が政府の目に留まった。保安局のある部隊を率いる形で捜査協力を依頼したい」


「依頼......転属命令ではなくて?」


「形式上必要なんだ」


「そう。ならできれば断りたいのだけれど、なにかできない理由でもあるの?」


 ダンは面倒くさそうにロビンの方に目をやる。

「それが言えないなら、或いは、博士でないといけない理由を教えてください」

 

 ダンはシナリオを打ち崩した相方への苛立ちを隠せないまま、くしゃくしゃに丸められた一枚の紙をホルスターから取り出した。ガラス壁をノックしてロビンに合図すると、ロビンが通りに面したブラインドを閉めた。院長の視線が鋭くなる。紙の書類を使うのは裁判所か、それを除けば私や彼女がかつて所属していたような幾つかの研究機関に限られているためだ。


「期待を裏切って悪いが、これは差し押さえ許可状と、君の逮捕令状だ。読むか?」


「貸して」


「......本物ですね」


「......さて、ラフカ、確かに捜査依頼を受けるかどうかについて君は選ぶことができる。ただし考えて欲しいのは、この事案について刑事訴訟法上の当事者になることはどちらにせよ回避できないと言うことだ。君と、ドクター・ルナの為にも、依頼を受けて欲しい」


 何も言葉が出てこないまま一枚の紙を2人で持って覗き込もうとした私たちを見て、余裕が出たのかほんの少しだけ表情の緩んだダンが外部記憶装置に直接文書データを転送した。目線の先に細く薄いブルーグレーの文字がずらりと並んだ。耳の筋肉を動かす要領で意識を移すと、それらが意味ごとに区切られて目の前を流れていく。


「なぜ君でないといけないか、についてだが。最近ニュースで気になったことはないか」


「さあ、私はあまり」


 院長は私から令状を取り上げて、紙面が鼻先につきそうなほど目を近づけて細かいところを確認していた。


「まあ当然か。上層部の連中が報道協定を結んだからな。今はまだ個別の事件として報道されているに過ぎないが、FW(不意思)チップ装着者で構成される犯罪、特に小規模な暴動や違法集会が報告され始めた。ここ1年で12件、60年ぶりの水準だ。更生プログラム該当者は逮捕者の何十倍にも膨れ上がってる。その辺仕事柄感覚としてあるんじゃないか?」


「私にはそんな大事な仕事回ってこないから」


「そうするよう保健省から通達があったので」


 不満と捉えたのか、目線を上げた院長が早口で付け加えた。その疑心感に覆われた目線の行き先はダンからオフィスの棚の間をうろうろしている男の方に変わっていた。


「まあいい。それぞれの事件は性質も環境も全く異なっていたから、それほど大きく報道されてはいない。だが保安局と俺たち警察はこの一月、共通の煽動犯の存在を仮定し、各事件の共通点を攫い出した」


 目線の先で、3人のプロファイルが表示された。初めは写真のように平面だった彼らの容姿データは、その面が回転するにつれカクカクと多面的な造形に変化していく。作業服に身を包んだ老人、特技も何もなさそうなスーツ姿の中高年の男、そして見知った顔の1人の少女。


 思わず息を呑んですぐ後悔した。隣でも同じような小さな声が上がった。彼らが尋ねて来た理由というのはほぼ確実に尋問をするためだった。ダンは普段と相変わらず申し訳なさそうな強張った笑みを浮かべており、ロビンは腕を組んだまま静かに院長室の方へと振り返っていた。しかし今となっては彼らのむかつく態度も私達から知りたい情報を引き出すための演技のように思えてくる。


「何が言いたいか分かったみたいだな。結論、保安局の能力では煽動犯は見つけられなかった。そのうえ家庭や社会で障害を抱えていたわけでもなく、学力や認知機能にも数値上の問題は無し。ただの政治犯のようにも思える。しかしこの3人にだけある特別な共通点が見つかった」


「この診療所に回されたことがある、という感じでしょうね。全員、記憶に残っていますから」


 院長はそう言うとゆっくりと私の隣に腰を下ろした。爪が食い込むまで拳を作り、相手を醜く睨みつけている。肩と肩が擦れそうなほど近い。


「こじつけが過ぎるようだけど、他の事件の情報は見れないの?」


「それも、君の選択にかかっている」


「そう。専門家に対する脅しとしてはかなり雑ね。保安局はそれだけで因果関係を主張するつもり?」


「それだけじゃない。ラフカ、残念ながら、君がいるせいでパーツが揃ってしまったんだよ」


「まさか」


「物理心理学者はいつの時代も不遇だな」




「まずそもそもの話、博士なら、誰かに犯罪意思を持たせることは可能。そう仰りたいのですか」


「少なくとも保安局はそういうシナリオを考えている。君は現状もっとも説得力のある犯人だ」


「へえ、理性制御の理論に依存している保安局が?」


「ああ、その通りだ。だが精神場理論そのものが悪魔の証明だ。この点で争ってもお互い有意義な議論にはならない。加えてあなたはご存知ないと思うが、ラフカ博士は実際に公的文書の偽造を犯罪と認識しながら実行に移したことがある。運が悪いとしか言いようがないが、連中の目を引くには十分すぎる餌だ」


「なんですか、それ。論外です。だって博士は彼らの担当ではないのに」


「担当である必要はない。ラフカ、君には思い当たる節がありそうだな」


「ええ、私の冤罪を晴らすのは無理みたいね......」

 

 そう言ったとき、院長の言葉が止まった。縋るような視線を半分機械に覆われた頬に感じてひどく後悔した。特定の言葉への期待を読み取ったが、まず目を合わせることができなかった。彼女がどんな思いでこの診療所に飛ばされてきたのかよく理解していた。彼女はとある縁をきっかけに自分から望んで配属されたと言うが、そこにはまだ一学者としての夢がきっとあったはずなのだ。


 思い切って横を向くと、想像していた通りに困惑した彼女の顔があった。それが我慢できなくて、目線を名刺のぶら下がった胸元まで落としてしまった。それから束の間の静寂の中、私は3人のうち1人の少女のプロファイルをもう一度拡大した。名前、年齢と出身、家族構成、声、訛り、髪をいじる癖。そして公的機関が残した訪問歴。思い出すべきでない情報が次々と外部記憶装置にヒットして引き出しの鍵を開けていく。


「確かに、担当はしなかった。でも、ごめんなさい。彼女がここに来た時、私いつも恋愛相談に乗っていたわ」


「君の監視官として、完全に冤罪であることは理解している。だが俺は、保安局の連中がこの状況を作り出した目的がわからない以上、その思惑に嵌るのはいい選択肢ではないように思う」




「もっと分かりやすく言ってやれ、ダン」


 いつのまにか院長室に戻ってきていたロビンが、ガラス壁にもたれかかりながら口を挟んだ。片手でゆっくりと、しかし音が鳴るまでしっかりとドアを閉める。声色にどこか焦りを感じる。


「その少女にここを紹介したのは、本当の煽動犯に存在されると困る保安局の誰かさんだ。取り調べにさえ持ち込めば、普遍的な精神場観測の可能性を証明できそうな博士を潰す絶好の機会だからな」


「ロビン、そうやって勝手に確証がないことを言うな」




 突然、院長が勢いよく立ち上がり、私の肩を掴んで立ち上がらせた。その顔は凛々しく、怒りと読み取れるものは何も残っていなかった。そこにあるのは、私も知らない彼女の使命感だった。


「おかしいと思っていました。生活課の下っ端と一官僚がなぜ取り調べまがいの行為を?」


 そう言ってロビンの胸元に裁判所の紙をわざと皺がつくように押し付けた。


「博士、私は首都にいるある人物から博士の周囲を監視するように言われて配属されました。博士もよくご存知の信用できる方です。その意味が今やっとわかった。ダン刑事、不当な捜査に抗議します。正式に捜査権限がある者を連れて出直してください」


「待て、それは誰だ?」


「あなた方には言えない」


「それが本当なら、敵を見誤るな」


「出ていって」


「院長、まって。私は」


「PEG10!今すぐ刑事課を呼んで」


 荒々しい声が飛び交う中ひたすらデスクで機械音を繰り返していた受付ドローンが、その頭のような位置にある案内パネルに赤い文字列を並べた。


「停止しろ、ここは安全だ」


 すぐさまダンが荒々しい声をあげる。普段は愛らしいギョロリとしたカメラが一同の方を数秒間見つめた。登録されていた声紋と識別子を確認した以上ダンの発した命令には従わざるを得なかったようだ。警戒姿勢こそ解かないものの、仕事に戻る様子はなかった。緊張を煽る警告音だけが鳴り続ける。しかしその時、何処からか刑事課からの緊急通話が繋がった。


 院長が左手にダンの拘束拳銃を持っていた。それはどう見ても生活課の装備ではなかった。所有者から一定の距離を離れたそれから青い筋が光り、ダンが悪態をついた。ロビンが素早く奪い取る。しかし院長は特に奪い返そうともしなかった。戸惑う私たちを置いて扉を全開にし、窓を開けて外を確認した。どうして、と悲鳴に近い声をあげた。ぬるい風がオフィスに流れ込んでくる。


--こちら待機班、上に向かいますか?--


「待機だ!」


「俺がいるのがバレるとまずい」


 ロビンが慌ててコートを脱ぐ。中から現れたのは青い文字が印刷された黒色のシャツ、保安局行動員の制服だった。ANTI-OCCULTと書かれた背が一瞬蛍光色に光り、すぐにGUARDというホログラムがそれを覆い隠した。こちらへ振り向いたロビンの顔を見ると、何か酔ったような感覚になって識別子の読み取りが阻害される。


「ラフカ、選べ!」


「博士、ここは初めから包囲されていた!騙されてはいけません」


 私の思考は全く今の状況を分かっていなかった。精神場の観測可能性。私は一時オカルト誌を騒がせたその単語が初めて公に用いられたある事件を思い出していた。私の全てはその事件が始まりだった。


 あの日、恩師の葬列に並んだ瞬間、彼女の死の真相を解き明かし、必ず意思を継ぐと決意したのだった。ロビンの嫌味な言葉は、あまりにもすんなりと私の過去に溶け込んできた。院長のキャリアがどうであろうとおそらく私の判断は変わらなかった。こうしてダンに尋ねられるまでもなく、結論は初めから決まっていた。


--ダン、今の通報で首都の連中が動いた。時間切れだ。2人の保護を優先する--


 階下でドアが乱暴に開けられる音がした。


「ダン、私は何をすればいい?」


「そのままそこで堂々としているんだ」


「お願い、ドクター・ルナ。私は私の意思に従いたい。あなたのためじゃない、それだけ信じて」


 私の手を引こうと近寄ってきたルナを支えるようにして、部屋の真ん中に立っていた。


 すぐに上下のフロアからスーツに身を包んだ十数人の刑事がオフィスに押し入ってきた。受付から大通りの熱気が流れ込んでくる。腕章を付けた刑事の1人が院長室の入り口に立ち、私に拳銃を向ける。しかし彼はトリガーに指をかけるまでもなくすぐにそれを降ろした。他の誰も微動だにしなかった。僅かな埃がニューエニス特有の斜陽が差し込むオフィスで静かに煌めいている。


「ダン、彼らは?」


「護衛部門所属の捜査員だ。何か手違いがあったんだろう、令状をもう一度確認させろ」


「……たしかに。おい、首都保安局の連中に応援は不要と送れ」


 ニューエニス市警のエリートたちはぞろぞろと列をなして会釈をしながら撤収し、最後の1人が扉を閉めた。PEG10の警報音が自動的に止まる。彼らを見送っていたロビンが半身こちらに向けて最初に口を開いた。まだ少し納得がいっていないようなゆっくりとした口調だった。


「先ほどの無礼をお詫びする。保安局5課、アンチ-オカルト部門を代表して新課長の就任を歓迎する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る