第5話 鎌鼬

 帰宅してきた色葉は、もちろん鼻を鳴らせた。

 私が今回の鬼祓いに、彼女を同伴することを断ったからだ。「そう」と素気なく言って、そのまま自室に入ってしまった。ちょっと心配だったので、夕刻まで様子を見ることにした。

「また最近は、もう自分勝手で」と父親がさらに鼻白んだ。

 それを宥めながら、町からの依頼に意見具申するように念を押した。地図をタブレットで開き、今日通過した印象から怪しい箇所にチェックを入れていると、もう日は山脈の懐に呑まれて深淵な闇に沈んでいる。

「泊まっていきなよ、六花姉」と色葉は夕食の支度をしている私の腕に絡んできた。彼女と時間を過ごすのも久しぶりだと思い直し、今日はペースを握られてしまったな、と思った。

 夕食後に、唐突に色葉が額を合わせてきた。その瞬間に彼女は「冷た!」と小声で言った。ほんわりとした体温が伝わってくる。その温もりに瞼が自然に降りていく。

 父親は居間でテレビをつけたまま、タブレットで何かの画像を追っていた。ふたりでキッチンで並んでクッキーを摘みながら、あれこれと他愛もない会話を愉しんでいた時だった。

「ボクに視えてるもの、送るわね」

 脳裏に、そう水面を割って大魚が跳ねるように、ある映像が浮かんできた。

 そこは道場のようにも、神社の主殿のようにも見えた。違和感があるのは薄暗い簡素な板間に、具足が床の間に鎮座していること。燭台さえない。その背景には家紋らしい七つの円が染められた旗印が掲げられている。

 月天七曜紋という言葉が湧いてくる。

 知らないのに、知っている。

 そこに木綿の和服を着た老女が立っている。どこかで見た光景だと思った。その姿を見ている「わたし」は床に正座しているような目線だった。

 ふっと体温が消失した。色葉が額を離していた。

「この家の先祖の方なのね」

「そう多分、望月千代女。信玄に降った後、彼の命で甲斐と信濃の巫女頭になったの。月天七曜紋は望月の紋、この里宮でね、歩き巫女を育成していたのよ」

「歩き巫女?」

「そう、巫女には関所を自由に通過できる特権があったの。戦国時代でもね。情報を集めていたのよ。元々は望月本家は忍者の家系なの。それでね」

 と色葉は口をつぐんだ。それでも何かの覚悟を噛み砕いたようだ。

「ボクにはね。そう千代女の視点で、六花姉によく似た人が座っているのが視えるのよ。もしかしたら、お母さんなのかも? 何だかそんな気がするの。堺なんでしょ、六花姉の記憶にある故郷の場所って。その頃からの縁だとすると、運命じゃないかって思うんだぁ」



 うつらうつらしていたようだ。

 血相を変えた形相で、父親が私の寝室の襖を開けた。

「色葉がいない」と声が震えていた。

 私は半身を起こした。借りている寝巻きの浴衣が乱れていたが気にはならなかった。私は悔いていた。やはり同室で眠るべきだった。そのときにはっと気がついた。

「私のバイクは?」

「ない。多分、あれに乗って行ったんだら」

「どこへ」と畳みかけようとして、「大蛇が原ね」と確信した。

「車を出して、早く」と私は寝巻きのまま襟を正して、命じた。

 暗黒の峠道をRVの前照灯が切り裂いていく。

 光軸の向こうにマウンテンバイクのリアランプが揺れてないか、はらはらしながら見入っていた。しかしそれは無人のまま、草原に投げ出されていた。

 ライトに炙り出された草原に、禍々しい瘴気が渦を巻いていた。

「もう始まっているわ」

 私はRVを降りて、キャンプ場から更に上段の広場に足を踏み入れた。

 父親も続いたが、悲鳴が上がった。

 鎌鼬だ。彼の衣服の数カ所が切り刻まれ、その隙間から血飛沫が上がっている。深傷ではないが、その出血の派手さは警告だと知った。

 私には鎌鼬は手出しは出来ない。雪女の存在は空間の歪みそのものだ。空間の熱量に高圧力をかけて肉体に蓄積していく。私が本気で怒れば草原ごと引き寄せて熱圧縮し、全てを瞬間凍結して砕くだろう。

 鎌鼬の姿は白刃だった。拵えは甲斐侍のもの。

 白刃を持った腕が何本も宙を飛んでいる。

 私は構わずに踏み込んだ。その奥に色葉の気配がある。

「貴方はここにいて。いや車に戻っていて。怪我が増えるだけよ」

 父親は車に隠れていれば、私からも逃れられる可能性が残る。

 霊体が腕鬼になっている。肉体から離れた幽体は、空中の磁気や静電気に宿る。魂を持った雷のようなものだ。それが姿を結実するものとして白刃とそれを振るう腕を選んだ。

 それは魂の記憶だとしたら、望月氏と対立軸にあった敵。

 武田の兵どもか。

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