第29話「少女の祈りは龍を紡ぐ」

 この世に地獄が浮上した。

 その中心、王立亜空学術院おうりつあくうがくじゅついんを闇が覆ってゆく。中心にそびえる巨大な黒い柱……無数のうごめく触手で編み上げられた、悪意と害意の塊である。

 まるでそれは、あらゆる負の感情を凝縮した大樹のようだった。

 そして、その裾野すそのから暗黒が溢れ出す。

 ダゴンの周囲に、無数の魔物が湧いて出た。


「くそっ、まずいぞナユタ!」

「ウモン、あれは……ダゴンという個体名なのですか?」

「ゼフィール先輩が勝手に名前を与えたんだろ。その実態は」

「ええ……間違いありません、インフィニアです。それも超大型の!」


 召喚術は、亜空間を用いて『こちら』と『あちら』を繋げる術だ。ただ、『あちら』が異世界なのか未来なのか、それとも過去なのかはわからない。それでも、優れた術者ほど安定した世界を選び出し、そこから強力なモンスターを召喚するのである。

 では、ザフィールは何故なぜ過去の災厄、インフィニアを呼び出してしまったのか。

 回避と攻撃を続けるゼルガードの中で、ふとウモンには心当たりがあった。


「……あの本が怪しい。たしか、ネクロノミコンとかいったか」

「この間の片付けの時に出てきな、不思議な書物ですね」

「なんだっけな、別の学科の連中が一時期騒いでいたような」


 なんでも、今の学術院がまだ認識していない、誰も召喚に成功したことのない神々がいうという話だ。この世界が生まれる遥か前、遠い遠い星の海からやってきた古き神……その記録を収めた魔導書がネクロノミコンだという触れ込みである。

 ウモンからすれば、与太話よたばなしもいいところだ。

 なにせ、ブリタニア王国では古くから召喚術が研究され、体系化されている。あらゆるモンスターをカテゴリーとランクで記録、管理しているのだ。まだまだ未召喚の神々が実はいて、などという話は創作小説か都市伝説でしか考えれられないのだ。

 だが、ふとウモンは操縦席から後を振り返る。


「む、ウ、ウモン。余り振り返らないでください。……やはりスーツがないと落ち着きませんね」

「いや、すまん。でも……前例のない召喚の前例が、目の前にいるなって思ってさ」

「……何故、私はマスターに召喚されたのでしょうか」

「いやあ、わからん! マオは天才肌っていうか、天才そのものだからな」

「亜空間があらゆる時空と次元に繋がることは理解しました。であれば」

「ああ。やはり過去から……ナユタたちの時代からインフィニアが召喚されちまったってことか」


 ウモンは忙しく左右の操縦桿をガチャガチャ歌わせ、次々と表示されるマーカーに向ってライフルを発射した。ナユタと直結しているゼルガードは、オートで次々と射撃目標をウモンに教えてくれる。

 だんだん指がしびれてきたし、ライフルの粒圧りゅうあつも不安定になってきた。

 だが、どんどん巨大化を続けるダゴンから、際限なく不気味な影が生まれ続ける。

 徐々に焦りが絶望感に変わりつつあった、その時に声が走った。


『生徒の避難は確認してんだな! っしゃあ、やってやるぜ……ダゴンだかなんだか知らねえが、ブッ殺す! んで、ザフィール! 手前ぇは補習授業百時間だーっ!』


 やけに男前な声が響き渡った。

 すぐにゼルガードのアイセンサーが、空中に浮かぶ小さな影をフォーカスしてくれる。

 それは、背に光の羽を広げた妖精……ウモンの担任教師、インリィだった。

 他にも、周囲にチラホラと教員たちが集まってくる。皆、一騎当千の召喚術師で、高レベルの召喚術を自在に操るベテランばかりである。


『ウモン! それに乗ってるか! いいか、オレたち教師で援護してやる! お前はダゴンをなんとかしろ!』

「インリィ先生! ザフィール先輩は」

『今、ウラニアが確保してる! シメてやれって言っといたから安心しろ!』

「いや、全然安心じゃないですよ。殺しちゃ駄目ですって」

『安心しろ、半殺しだ。んじゃま……いっくぜえええええ! コール! サモンッ!』


 小さな小さなインリィの頭上に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 マオも時々やるが、魔法陣を空中、なにもない空間に安定させるのはとてもレベルの高い召喚術だ。因みにウモンは、地面の限られた面積の中にしか魔法陣を生み出せない。

 インリィの声と共に、居並ぶ他の教員たちも召喚術を行使し始めた。


『見てな、ウモン! インリィ様の本当の実力をなあ! こいっ、イフリート!』


 インリィの魔法陣から、炎の魔神が現れた。

 以前のスルトを彷彿ほうふつとする、全身が炎で覆われた偉大な精霊だ。その眼光は、見詰めるだけで全てを焼き尽くす。イフリートの暴れ回ったあとは、全てが灰燼かいじんに帰するしかないのだ。

 極めて殲滅力の高い、高ランクの精霊種エレメントだ。


『やっちまいな、イフリート! オレの生徒と職場はあ! オレがっ、守る!』


 雄々しい絶叫と共に、イフリートが宙を舞う。

 ダゴンが広げる闇が、あっという間にそこかしこで蒸発を始めた。

 炎による攻撃を行うモンスターは多いが、イフリートのものは威力も範囲も桁違いである。あっという間に周囲が明るくなって、赤々とした業火が暗雲を焦がして追い払う。

 他にも多数のモンスターが乱舞し、そこかしこで学術院を取り返す戦いが始まった。


「ウモン、援護を受けてる今ならいけます。ダゴン本体を!」

「わかった!」

「ライフルをバーストモードに……フォトン粒圧最大、連射はできませんが残りのエネルギー全てで強力な射撃が可能です」

「おう、じゃあ行くか……インフィニア! お前は過去の外宇宙に帰れ! 俺があとで送還そうかんしてやるっ!」


 そう、ダゴンという名のインフィニアを殺してはいけない。何故なら、このおぞましいバケモノは、ザフィールが名を与えた銘冠持ちネームドモンスターだからだ。銘冠持ちは召喚主にとって特別な存在、命を共有している。

 つまり、ダゴンを殺せば……ゼフィールも死ぬのである。

 それはウモンのゼロロやマオとナユタの関係も同じである。

 一気に形勢が逆転する気配を背に、ウモンはゼルガードを強く前へと押し出す。


「一発でケリをつける!」

「了解です、ウモン。あと、ウラニア女史がゼフィール氏を保護? 捕縛? してるのを肉眼で確認しました。あちらは大丈夫のようです」

「サンキュ! じゃあ、ちょっくら学術院とか王国とか、救っちゃいますか!」


 ゼルガードが青白い炎を背に跳躍する。

 両手で構えたライフルの銃口に、普段より何倍も強い光が集まり始めた。フォトンが凝縮され、集束してゆく。

 刹那せつな、ウモンの人差し指が銃爪を押し込むや、苛烈な光が迸る。

 普段はフォトンの礫を連射するライフルだが、バーストモードでは光条が奔流となって放たれた。


「よしっ、やったか!?」

「いえ、ウモン……こ、これは」


 ダゴン本体への直撃だった。

 ぐらりと醜悪な肉柱がゆれ、ほつれてほどけた触手が無数に引き千切られてゆく。

 だが、それだけだった。

 そして、ウモンの一撃が呼び水となって……ついにダゴンが本当の姿を覚醒させる。巨大な柱は天を覆うように上部が広がり、まるで徒花あだばなが狂い咲くように開いたのだ。

 その中心に、ゆっくりと人影が身をもたげる。

 魚のような、たこのような、そしてそれらをまぜこぜにした異形の顔があった。

 それを見た瞬間、ウモンの全身の毛穴から汗が吹き出す。


「なっ、なな、なんだ……! あれが、ダゴン……インフィニアだっていうのか!?」

「いけません、ウモン! 直視しては危険です。インフィニアの上位個体は、存在そのものが精神攻撃をともなうんです」

「くそっ、もう一発御見舞する! ――って、粒圧が下がってる!?」

「残念ですが、ライフルはチャージが必要です」

「なら、接近してナイフで!」


 膝アーマーの内側に収納されていたフォトンナイフが飛び出してくる。それをゼルガードに掴ませて、ウモンは必死で操縦桿を握った。

 何故か呼吸が浅くなって、視界がぼやける。

 息苦しくて、汗が止まらなかった。

 それほどまでに、ダゴンから放たれるプレッシャーは圧倒的だった。中心部に姿を現した、あれが本体ということだろうか。大きさはゼルガードより二回りほどもデカい。そして、先程にもましてダゴンは上下左右に大きく膨れ上がっていた。

 ゆらめく触手によって、あっという間に邪悪な樹海が広がっていく。


「接近戦は危険です、ウモン。それに、このレベルのインフィニアはエクシード・ウェポンがなければ倒すことは困難です」

「じゃあ、指をくわえて見ているしかないのか?」

「一度引いて態勢を立て直しましょう。ライフルのチャージも必要ですし」

「……わ、わかった」


 周囲を見れば、まだイフリートは健在だ。そして、他の教員たちが召喚したモンスターもあちこちで奮戦している。だが、どうにも旗色が悪い。

 あまりにも敵の量が多過ぎるのだ。

 イフリートの獄炎が、ダゴンの生み出す異形の雑兵を駆逐してゆく。しかし、消し炭にしてゆくそばから影は増え続ける。ダゴンから、魚貌ぎょぼうの怪物が次々と生み出されるのだ。

 このままでは、学術院はおろか、王都そのものが飲み込まれかねない。

 ウモンは改めて、旧世紀の世界を震撼させた侵略者に恐怖を感じた。

 それでも、ここで負けてやれない理由もある。

 その一つ、もっとも大きな理由が叫ぶ声が聴こえた。


『お兄ちゃんっ! ナユタ! 待ってて……アタシ、助けにきたっ!』


 マオの声が降りてきた。

 いな、落ちてきた。

 今、頭上の黒雲を突き破って、真っ逆さまになにかが飛んでくる。それはウモンには、黒地に黄金を輝かせたドラゴンに見えた。

 召喚されたモンスターではない。

 その節々には見覚えがあるし、生物ではないのだ。


『お兄ちゃん、助けに来たよっ!』

「マオ!? マオなのか!? それは」

『タガサに教えてもらった! スカサハとかっての、アタシの魔力を流して全体を変形合体させてるの!』

「いやいや、まてまて……そんな、お前の魔力が」

『アタシの魔力は無尽蔵! 無限よ! ド天才なんだもの! さあ、やるわよ!』


 確かに、旧世紀に建造されたオリハルコン兵器は、ある一定のエネルギーを流すことで変形させることが可能だ。それを今、マオは自分の溢れ出る魔力で全て賄っているらしい。

 星槍の担い手だったオリハルコンの鎧は今、漆黒の黄金龍となってウモンの目の前に降りてくるのだった。

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