お誘い

 

「天使と魔族が知り合い……」



 遠い昔から敵対関係にある種族が知り合い……。長く生きていれば、顔見知りくらいは出来るだろうが、親し気? に会話があるのはどうなのだろう。父はともかく、男性の方はとても親し気に話しかけている。



「ところで、魔王の補佐官殿が愛娘を連れて人間界にいるなんて。よく許したね、あの魔王様は」

「ああ、毎日毎日泣き言ばかり言う情けないあいつの尻拭いをしてきたおれへの感謝として、長期休暇をくれたんだ」



 魔王城のあちこちを破壊して無理矢理捥ぎ取った長期休暇だ。魔王だけでなく、周囲も泣いただろう。現に泣き言の通信蝶が度々送られてきている。今朝も届いていた。昨日と違って魔王城に勤めている文官からの連絡である。

 自慢げに語るリゼルを「……絶対嘘だ」と遠い所へ同情の眼を向けた男性は、やがて大きく伸びをした。



「う、ん~。この街にはしばらくいるの?」

「お前といると分かった今長居は無用だ」

「つれないなあ。ここは大陸有数の街なんだよ? 人間界へ折角来たのなら、しっかり楽しんで行きなよ。私もリゼ君がいると楽しいし」

「知るか。ならさっさと消えろ」



 しっしっと手で追い払われても男性はめげない。リシェルにバイバイ、と手を振ると姿を消した。

 うるさいのがいなくなったとリゼルは湖の近くに座り込んだ。リシェルは下にハンカチを敷いて隣に座った。



「パパ、あの人……えっと、ネロさん? ネルヴァさん?」

「ネロでいい」

「う、うん。ネロさんって本当に天使なの?」

「信じられないかもしれんが正真正銘あいつは天使だ。並の天使じゃないことだけは言っておいてやる」



 父だけではなく、エルネストについても詳しく知っていそうなネロ。天使の中でも上位の階級に属するよう。



「あいつは忘れてこの後はどうする?」

「湖に入ってみたい」

「リシェル。底が見えているからと言っても、この湖の水深は深いうえ、法律で入水は禁じられている。常に警備兵が目を光らせ、入ろうとする者を見つけ次第処罰している」

「そうだったんだ……」



 知らなかったとはいえ、法律を犯してまで入ろうとはしない。人間界について全然詳しくないリシェル一人だったら、あっという間に騒動を起こしてゆっくり旅行どころじゃなくなる。



「入水を禁じているのは湖の環境を守るため?」

「そうだ。この湖にしか生息していない貴重な生き物が数多くいるし、周囲に住む動物達の飲み水としても湖は利用されている。人間が入って雑菌を持ち込んだら生き物にどんな影響を与えるか」



 言い方は酷いが頷ける理由。あそこを見てごらん、とリゼルに示された方向には丁度水を飲みに艶々とした毛並みの鹿の親子が現れた。



「動物狩りも当然禁じられている。密猟者は見つかり次第切り捨てられる」

「自然を大事にしている国なのね」

「他国からの観光客も積極的に受け入れているからな。良からぬ事を企てる輩は多くいる。さて、もう少ししたら昼を食べよう。何か希望はあるか?」

「だったら、街の名物があれば食べてみたい。何かある?」

「確かこの街はスイーツが多くあったはずだ」

「まあ! 甘い物は大歓迎。早速行きましょう」

「おやおや、リシェルは食いしん坊だね」

「誰だって美味しい物は好きよ」

「違いない」



 急かすリシェルにやれやれと苦笑しつつ、転移魔法で街へ移動をした。スイーツ店が多くあるエリアへ足を運んだ。あちこちから漂う甘い香りがリシェルの期待を高め、どの店にしようかと迷わせる。人が多く並んでいる店は人気の理由の一つとして目安にし、長すぎる行列は避けつつ、程々に多く列が成している店の前に並んだ。



「ここは何が作られているのかしら」

「この店ではサンドイッチがメインに売られているよ」

「!」



 リゼルに聞いたのに、答えたのは別人の声。後ろを見ると先程姿を消したネロがいた。瞬時に苛立たし気に顔を顰めたリゼルの肩に腕を置いた。



「まあまあ、機嫌を悪くしないでよリゼ君。私も混ぜて」

「消えろ今すぐに独り者」

「ひど! 私好きで独身って訳じゃないのに……!」

「理想が高いせいだろう」

「それもひど! 高くないよ。立場的に難しいだけで」


「次のお客様、何名様でしょうか」



 二人と言い掛けたリゼルの声を遮り、三人と言い切ったネロの方を取られ三名で店内へ案内されてしまう。


 ご機嫌斜めな態度をネロへ全てぶつけるリゼル。

 これがエルネストなら困り果てていそうだが、ネロは平然とメニューを開きリゼルに見せている。


 そこへ魔界の通信蝶がリゼルの許へやってくる。



「パパ、出てあげて」

「出たらお前を一人にしてしまう」

「私いるよ?」とネロ。

「お前がいるから出られないんだ」とリゼル。



 ネロが天使でも、リゼルを知っているならリシェルに手は出してこない筈。



「パパ気にしないで。何かあったら、すぐにパパを呼ぶから」

「……分かった」



 渋々席を立つ際、ネロに一際強力な眼力をやった後、通信蝶を連れて外へ出て行った。



「ははは。信用されてないね私。リシェル嬢、君はどれにする?」



 そう言われメニュー表を見せられた。サンドイッチがメインと言うだけあり、多種類のサンドイッチが載ってある。定番は玉子サンド。他にはハムサンド、フルーツサンド、チキンサンド等もある。ボリュームがあるサンドイッチも食べたいがフルーツサンドも捨て難い。自分のお腹と相談しているとネロが提案をした。



「どれにするか迷っているなら、私と半分こする?」

「え?」

「それだったら、君の好きなのを食べられるだろう?」

「ネロさんはいいの?」

「こう見えてよく食べる方だからね。遠慮せず、頼みなさい」



 お言葉に甘えて食べたいサンドイッチを選んでいく。先に飲み物だけ頼み、サンドイッチはリゼルが戻ってからの注文にした。



「ネロさんは本当に天使なの?」

「そうだよ。悪魔と天使が殺し合わないのを不思議がってるでしょう?」

「は、はい」

「私が特別変わってるだけで、普通の天使は悪魔を見たらすぐに攻撃してくるから間違えちゃいけないよ? リゼ君とは子供の時に出会ってね。その時、今の魔王も側にいたんだ」



 出会った経緯はまた何れ、と教えられなかった。気になってしまう。食事時にする話じゃないからと別の話題にしようと変えられた。



「それにしても、急に人間界に来るなんて。リゼ君の長期休暇をあの魔王が簡単に許すとはとても思えない」

「私を気遣ってのことです」

「君を? 何かあったの? 私は天使だけどリゼ君の敵じゃない。話くらいなら聞いてあげられる」



 次期魔王である王太子に婚約破棄されたショックで傷心旅行をしていると正直に語っても……と過るも、別の誰かに話を聞いてもらって意見を知りたい。相手が天使でも。


 ポツリ、ポツリと人間界に来た理由を話した。途中、飲み物が届いても手を付けずリシェルが語り終えるまでネロは黙って耳を傾けた。


 話を終えたリシェルは冷たい紅茶に手を伸ばした。乾いた口内に冷たい紅茶は潤いを齎してくれた。ネロも飲み物に手を伸ばしていた。彼はホットミルク。数口飲んだ後、苦笑を零した。



「魔力至上主義な魔界じゃ、珍しくはないね」

「天界の婚約事情は魔界と違いますか?」

「いや、変わらないよ。天界も強い力を持つ者同士を結ばせる傾向にある。より力の強い者が生まれれば、悪魔の脅威となるからね」

「なるほど」

「ただ、ねえ。君の婚約者……元婚約者か。やり方を間違えたね」



 ホットミルクのカップをテーブルに置き、椅子の背に凭れたネロの純銀の瞳がリシェルへ逸らされず、肩を竦め見せた。



「きっちりと根回しをし、リゼ君を納得させられるだけの理由を作って婚約破棄をしたら、少なくともリゼ君が強行突破をして長期休暇をする理由にはならなかった。魔力が君より多いからと一方的な理由で婚約破棄をし、挙句、その前から不誠実な行動を取るなんて王子様の落ち度しかない」

「……」



 初めて会った父の知り合いの天使にノアールが悪いと正論を紡がれて固まってしまう。周囲はノアールに嫌われ、憎まれ、リゼルの娘という価値観でしかリシェルを見てなかった。お陰でノアールとビアンカが二人仲良く公の場に現れた時は大変だった。心が折れかけるもリゼルの有無を言わせぬ圧倒的殺気と威圧でリシェルを嘲笑った魔族全員が暫く悪夢に魘される羽目に陥った。


 瞬きをしたら頬から何かが落ちた。触ってみると濡れていた。ネロの純銀の瞳が微かに見開いていた。



「ご、ごめんなさい。殿下を取られた私に魅力がないとか、魔力が少ないからとかしか言われてこなかったので……」

「そう……なんだ」



 初対面の男性の前で泣いてしまうなんて、と恥ずかしさから顔を上げられない。リゼルが戻ったら違う意味で修羅場になるから、早く止まってほしい。



「目を擦ると痛いよ?」とネロがハンカチを差し出した。うさぎの刺繍がされた可愛い白いハンカチだった。ハンカチを受け取って涙を拭いていく。



「ありがとうございます」

「泣いている令嬢にハンカチを差し出さない男はいないよ。……しかし、魔界の王太子と婚約者の事情がそんなことになっているなんてね」

「あ……ごめんなさい。とても個人的な話で」

「聞きたがったのは私だから気にしないで。……そうだ。リシェル嬢。君と王子様の婚約は破棄されたんだよね? じゃあ、君は今誰も婚約者がいない状態だ?」

「そう、なります」



 にこりと笑んだネロが姿勢を正してまっすぐと見つめてくる。

 天使だからか、その笑みは輝き過ぎてリシェルには眩し過ぎる。



「私と恋をしてみない?」



 …………。



「え……?」



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