今日という日の二人だけの日常~現実と一緒に進む物語

菓子ゆうか

第1章 テスト編――衒学者はテストの点数が負けられない

7月4日月曜日 インデペンデンス・デイ

 五宮万尋いつみやまひろは、花前史栞はなまえ しおりが好きである。


 あれは確か一目惚れから始まっただろう。少しずつ会話を重ねることで、いつの間にか一番の友達になっていた。でも、万尋には正確に友達の申請を行った日を覚えてなかった。


 それは、どうでもいい。友達がいつから友達なんて誰も覚えていない。


 万尋は史栞のことが大好きである。しかし、その思いを彼女に伝えることはなかった。


 告白するのが怖いという理由ではない。まず、成功確率が0パーセントなのだ。告白するメリットを見出すほうが難しい。


 たまに当たって砕けろという奴もいるが、それは自分の気持ちを前提に相手の感情などお構いなくぶつけることである。さながら、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるが、当たっても殺してしまっては本末転倒である。


 万尋はこのような思考をしているため、史栞に告白しない、――だけでもない。


 史栞の方にも問題があるからだ。




 夏の日差しが確実に降り注ぎ始め、室外機の仕事ぶりが一段と忙しくなる日。――台風は近づくし、蝉も鳴き出し、春が恋しくなる季節。


 高校一年の五宮万尋は、手を口元に当てて情けなく欠伸をする。目の下に色濃く浮かび上がったクマを、BBクリームで隠して目立たないようにしている。短髪の髪は軽くワックスを付けているが、まだ慣れていない様子であった。


 なんとも高校に上がって少し美意識を待った普通の男子である。


 そして、もう一度欠伸を。


 時刻は午前六時半――制服である万尋は、もちろんのこと登校中だ。


 それにしては少しばかり時間が早い。万尋の家から高校までは徒歩20分なのだから。


「ふぁっ……ああ、土日ぶっ通しでゲームはやり過ぎたか……」


 今日は、7月4日月曜日。


 休日のあいだ万尋まひろは全てをゲームに費やした。最後に寝たのは今日の四時である。つまり二時間しか睡眠を取ってないわけだ。欠伸が止まらなくなるのも当然である。


 瞳に溜まった涙と眠気を擦り、ぼやける視界をクリアにする。


 人気のない道を選んでいるため、周りには誰もいない。


 そこで万尋は目を細めた。


 彼の見る方向には、同じ高校の制服を着衣した女子生徒がいた。曲がり角から半顔だけ出して万尋の様子をうかがっている。周りに人がいれば注目される事態だろう。


「なにしてんだ、あいつ……」


 彼女こと、花前史栞をジト目で見やる万尋。


「まあ、気付かなかったフリでもするか」


 普段通りの歩調で曲がり角に近づく。


 タントン、タントン。


 曲がり角に差し掛かった時、万尋に向かって史栞しおりが突進を試みた。


 だが、タックルをかました史栞の方が万尋の体に弾かれて、尻もちを付く。


「謝らんからな」


 呆れ混じりのため息を漏らす万尋を史栞が見上げる。口にくわえた食べ物をしゃくしゃくと咀嚼してから、叫んだ。


「私にぶつかって、おまけに地面に手をつかしておいて謝罪しないと⁉ 貴様、何様だ!」


「お前が何様だ」


「おうおう言ってくれるね。万尋が土日で忘れてるかもしれないし、名乗ってやろう」


 史栞はボブカットの黒髪を手で揺らし、美人というより可愛い系の顔をドヤつかせ、制服の上から羽織る水色のサマーカーディガンをたなびかせた。


「英知溢れる賢者であり、知識をひけらかす衒学者げんがくしゃ――花前史栞であるぞ!」


 決め台詞を言い、小さな胸を張る史栞だったが、恥ずかしかったようだ。その場でしゃがんで顔を押さえた。


「自分で自分の名前言うの恥ずかしくない?」


「おいおい、英知溢れる賢者様が何言ってるんだよ」


「自己紹介のトラウマかも」


「数カ月前のことをまだ引きずってんのかよ……」


 二人が高校に入学したのは三カ月前の話である。


 立ち上がった史栞がいつもの調子で話す。


「自己紹介自体は可もなく不可もなくこなしたよ。ただ、その後友達はできなかったけど」


「友達が出来なかったのは、史栞が拒絶したからだろ」


「うぅ……緊張するんだよ」


「重度の人見知りだしな」


 万尋の言葉を聞いて史栞が、「わかってますよだ~」と投げやりに答えた。


「そんじゃあ、学校行きますか」


「だね。今日も授業で当てられないことを祈る」


 二人は並んで歩き始める。


「てか、思ったんだが、曲がり角衝突イベントはラブコメあるあるなんだよ。けどさ、口にくわえるのは食パンじゃなかったか? なぜ、梨なんだ」


 再び、しゃくしゃくと水々しい咀嚼音を立てる史栞に、万尋はツッコまずにはいられなかった。


 史栞はリュックからタッパーを取り出していた。中身は調理された梨である。


「ほら、今日って梨の日じゃん! 食べるでしょ、梨!」


「そうなのか?」


「そうだよ。7と4の語呂合わせで記念日が制定されたらしくて。はい、どうぞ」


 万尋は爪楊枝を受け取って梨を刺す。


「ありがと。しゃくしゃく……うん、美味しいな!」


「でしょ♪ こんな暑いと果物が食べたくなるよね」


 地球温暖化の原因を詮索するわけではないが、年々夏がやってくるたびに、温度が向上している気がするのは事実だろう。


 梨を一つ飲み込んで、史栞しおりが人差し指を空に立てる。


「今日は梨の日よりも大きいイベントの日でもあるんだよ? なんでしょうか?」


 にやにやと楽しそうに笑う史栞。


 急な質問を受けて、万尋はすぐに答えを言いかけるが、唇を固く閉じた。


 しばしの沈黙の後、首を横に振って言う。


「わからん」


 ギブアップの宣言を聞き史栞は、向日葵のように顔をパッと明るくさせる。


「ふふん~、じゃあ答えね。正解はアメリカの独立記念日でした~!」


「そうなのか、さすが史栞さんは物知りだなー」


「まあ、私は衒学者だから、これぐらい当然♪」


 自称衒学者はいつも通りだった。


 ちなみに衒学者げんがくしゃを端的に説明すると、知識をひけらかしてくる人のことだ。人によっては知識マウントと感じて嫌われることも少なくはない。


「凄いだろ」と言いたげな史栞を一瞥して万尋は口を開く。


「独立時の人口は250万人だったが、今では3億人以上らしいぞ」


「日本の人口は減る一方なのにね。増えると言えば、アメリカ国旗に描かれた星も増えてて、確か――」


「最初は13、今が50」


「そうそう、星の数は州の数と一緒なんだよね」


 史栞は梨をパクパク食べ、タッパーを閉めてリュックに直す。


 その間に次は万尋が問題を投げかけた。


「そんじゃあ、アメリカの公用語はなんだと思う?」


「英語でしょ」


「事実上はそうだが、法的には決まってないんだと。日本の公用語も法律では日本語じゃないのと同じようにな」


「し、知ってたよ! わざわざ法律で定めなくてもいいからでしょ」


「そこまでは知らん」


 万尋が肩をすくめるのを見て、史栞が勝ち誇った表情を浮かべた。


 その顔を見て万尋は早足で歩きだす。


「ちょっと待って⁉」


 慌てて駆けてくる史栞が横に並ぶのを待って万尋まひろは質問する。知識的なことではなく、彼女が角で待ち伏せしていた理由の方だ。


「で、朝早く呼び出してやりたかったことは、角で衝突することだけか?」


「だけかってなんだい! 友達と一緒に登校したかっただけだよ!」


「だけじゃん……」


 史栞は重度の人見知りをこじらせて、他の生徒と極力顔を合わせない時間帯に登校している。普段、二人が一緒に学校へ行かない理由がこれである。


「私の友達は万尋しかいないんだよ? 友達としか出来ないことは、もちろん万尋とするに決まってるじゃん!」


「俺だけじゃなくて、他の、特に女子の友達を作るんだな」


「冗談にしてはキツいなあ」


「…………」


「善処します」


 沈黙の圧に史栞が冷や汗を浮かべる。


 そこで高校の正門が見えてきた。


 史栞は万尋よりも早足で前に出る。


「そんじゃあ、またどこかで!」


 軽く手を振って史栞は先に正門に向かう。彼女は学校内では無口である。それを自分で自覚している史栞は、万尋と校内で過ごすことはない。


 万尋は周りに人がいないことを確認してから、史栞に声をかけた。


「なあ、史栞!」


 史栞も辺りを見渡して言葉を返す。


「どうしたのさ?」


「アメリカ合衆国って、漢字一文字でなんだったっけ?」


「そんなの、英に決まってるでしょ、英語なんだし」


 即答で答えた史栞に万尋は吹き出してしまった。


「なにがおかしい⁉」


「アメリカは、英じゃなくて、米な」


「………………へぇ?」


 自信満々に回答して、間違うのは羞恥ものである。


 史栞は真っ赤に染まった顔の前で両手を左右に振った。


「ちょっと待って⁉ 勘違いしてたの! 今のなし、ほんとになしだから!」


「今日だけだぞ。なんせ、今日は梨の日だしな」


「うまくないわ! 梨は旨いけどな――――っ!」


 恥ずかしかったようで史栞は正門に驀進して行った。


 万尋は再び欠伸をする。


 そして、ため息をこぼす。


「俺しか友達がいないね……」


 それはとても特別な言葉のようで、呪いの言葉でもあった。


 史栞の人生で初めての友達が万尋である。それは彼自身も聞いている。だから、もし、告白をしてしまうと、史栞の友達は0になってしまう。


 彼女からすれば、大切な友達がいなくなるということでもある。加えて、史栞が抱くのは友情であり、愛やら恋ではない。他の友達ができた時、やっと史栞は万尋のことを異性と認識してくれる。と、万尋は思っている。


 そのため万尋は告白しない。


 心の中では愛を叫びたいが、表面に出す気持ちは、良い友達の姿。


 会うたび、会うたび友情ポイントだけが加算する現状を変えるには、史栞自身が己の力で友達を作るまで終わらない。


 それまで、万尋は待つことにした。


 ――いくらでも知識的な話を聞くし、振り回されてやる。


 史栞に友達が出来るまで。


 二人の日常を続けていく。


 いつかの非日常のために。

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