第25話 望まない現実(5)

「じゃあお兄さんの名前はカケルなんだ?」


「そういうこと。後は大体知ってるだろうけど、女の子の方が草薙杏樹。兄貴の幼馴染みのひとりだ。そして最後のひとりが」


 紹介しようとすると亜樹は露骨に嫌そうな顔をした。


 それがまたエルシアたちを刺激して面白がらせ興味を持たせる結果になったのだが。


 完全な悪循環に一樹はこの先が不安になってきていた。


 大丈夫なのだろうかと。


「草薙亜樹。こっちも草薙が家族を意味する名前で、個人名は亜樹と杏樹ということになる」


「前々から気になっていたんだけど、カズキがこっちにきた頃は、小さすぎて字なんて書けないって言っていたから諦めていたんだけどね」


「だから、なんだよ、リオネス?」


 あのタチの悪いライオンのくせして山羊の仮面を被っている少年を一樹がそう呼んだことで、彼はリオネスというのかと亜樹は心の中で反芻する。


 外見に似合った綺麗な名前だ。


「全員の名前をね。そちらの字ではどう書くのか教えてほしいんだよ。発音も少し違うみたいだし、できれば普通に呼びたいから」


「仕方ねえな」


 言いながら一樹はどこからともなく羽ペンと羊皮紙を持ってきて、その上にサラサラと書き出した。


 まずはじめに彼らが1番知りたがっているだろう名前「亜樹」と書く。


 その横に続けて妹の名前である「杏樹」と書き、亜樹の下に「翔」と書くとその隣に「一樹」と自分の名前を書いた。


「これが亜樹、これが杏樹、これが翔で、これがおれの名前、一樹だ」


 言われて羊皮紙を渡された3人は興味津々といった素振りで覗き込んだ。


「翔以外は皆同じ字が使われているんだね。そういう習慣なのかい?」


「言われてみればそうだな。別にそういう習慣なんてないけど、兄弟なら似た名前をつけるのはよくあるな。そういう意味だと亜樹と杏樹の名前は双生児の兄妹用に用意されたものだと思う。わざと似せてあるんだ」


「じゃあカズキ……一樹の場合は偶然なの?」


 早速柔軟性を見せて発音まで似せたリオネスに一樹は感心する。


 さすがに文学を愛すると言って憚らないだけのことはある。


 すでに日本語での発音をマスターしている。


「おれの場合は偶然っていうか」


 一樹が言いにくそうに黙り込んだので、事情を僅かとはいえ説明されていたエルシアたちは亜樹絡みかと納得した。


 彼の名前が似ているのは、おそらく亜樹のためなのだろう。


「確かに響きだけを意識すると兄弟らしいね。アキとアンジュは字の面だけでなく、発音でもどちらもアがつくし、カズキとカケルにしても字は似ていないけれど、どちらも名前の最初の部分がカだしね」


 些細なところに拘りを見せるのは、リオネスが文学を愛するからだろうか。


 異世界の常識や文字などは深い謎であり興味の対象なのだろう。


 どんな本があるのか読んでみたいはずだ。


 しかし言われてみればそうである。


 たぶん親が意識して似せたのだろう。


 双生児というのはそういう宿命の元に生まれるのだ。


 永久に片割れと比較される運命にある。


 そういう意味だと幼い頃に生き別れて、比較されることなく育った一樹と翔は幸運だったのだろう。


 常に比較されて育っていたら、もしかしたら兄弟仲は今よりずっと悪かったかもしれないから。


 一樹は杏樹みたいに自己犠牲の強い性格ではないし、翔だって小さい頃は比較されるのを嫌っていた。


 亜樹のように一方的には庇ってくれなかった。


 思い返せば喧嘩ばかりしていたような気がする。


 戻ってからそれがないのは、失ったときの痛手をどちらも知っているからだろう。


 たぶん生き別れになったことは、翔と一樹の間では良いことだったに違いない。


「それから改めて亜樹たちに紹介するよ。銀髪で長い髪をしているのが、エルダ神族の長で3兄弟の長男のエルシア。右隣にいるのが次男のアストル。左隣にいるのが三男のリオネスがだ。こんなに短い名前なのに変だと思うかもしれないけど、エルシアの愛称はエルス。アストルがアトル。リオネスがリオンだ。但し3人の愛称は呼ぶことを許された者しか呼べないけどな」


 言われて気付く。


 一樹がなんの気負いもなく彼らのことを愛称で呼んでいたことに。


 家族として愛されていたのだろう。


 たぶんこちらで一樹は大切に育てられたのだ。


 まあ多少環境に問題があったかもしれないが。


「愛称を持つのがこの世界の常識なのか? 確かリーンもリーン・アディールが正式名で、愛称はリーン、アディールは公式名だって言ってたけど。イブ・ロザリア姫にしても同じなんだろ?」


「まあな。但し愛称を持つ必要が出てくるのは位の高い奴らだけだ。そういう意味だとこの3人もアディールたちも、皆位が普通じゃないからな」


「ふうん」


「亜樹たちは草薙と高瀬を公式名にして、亜樹とか翔とか、そういった個人名の方を愛称にしたらいいよ。そっちでは名前で呼ぶ習慣はないんでしょう? 確か一樹にそう聞いたよ、ボクは」


「確かにないけど」


「よっぽど仲良くならないと名前では呼ばないな、ぼくらも。外国人は逆に名前で呼ぶのが常識だけど。そういう意味だとこの世界と日本って常識が似てるのかな?」


 亜樹と杏樹に関してはお互いの友達には、その新密度に関わらず名前で呼ばれていた。


 それは兄や妹との混同視を避けるためだったのだが。


 自分たちの友達とその兄弟を区別するために名前で呼んでいたのだ。


 親しくなって自然と名前で呼び合うような付き合いをしたのは、振り返ってみれば翔だけだったような気がする。


 亜樹や杏樹は生まれてすぐに母親を亡くしているし、亜樹は外れないピアスをしていた。


 子供というのは好奇心が旺盛で、ときに冷酷なほど残酷になれる。


 母親のいないふたりをバカにした者の数なんて、今では忘れたし亜樹のピアスのことで、難癖をつけてきた者の数も忘れた。


 まあそれもふたりが成長してきて、亜樹の場合その美貌がはっきりした特徴になって現れると、皆親衛隊たみたいになってしまったが。


 だから、余計に親しい付き合いの友達ができなかったのである。


 そのことを思うとよく転校していった翔のことを思い出しやるせない気分になった。


 彼だけが亜樹と杏樹を区別して普通に付き合ってくれたので。


 そもそも一樹がいれば翔は転校しなかったのではあるまいか?


 一瞬そう考えもした。


 その場合、父親の海外転勤の話が出たときに例え何年掛かろうとも、家族全員で引っ越していったはずだ。


 亜樹がそんな想いに耽っていると親しげな声に名を呼ばれた。


「じゃあボクも亜樹って呼んでいい? それに残りの皆のことも名前で呼んでいい?」


 亜樹だけご指名で翔と杏樹に関しては、その他と言ったリオネスにあまりにはっきりした意思表示をされ、亜樹は笑うに笑えなかった。


 それに今更嫌だとも言えない。


 それがこちらでどういう意味に受け取られようと、既に3人を除く人々からは亜樹と呼ばれているのだ。


 ここで断ったらひどい目に遭いそうな気がする。


 それにリオネスの期待に輝いた目を見ていると冷たくあしらえなかった。


 渋々だったコクンと頷くと、それを3人全員への返答と受け取ったのか、3兄弟は実に嬉しそうな笑顔になった。


 亜樹が杏樹だったなら、これだけの美形に迫られたら、嫌な気はしないだろうし、たぶん気持ちも揺らいだだろう。


 しかしこちらの常識かなにか知らないが、亜樹は絶対に性別不明なんかじゃない。


 男なのだ。


 それで口説かれて喜んでいたら変態である。


 立派なゲイだ。


 さすがにそれは遠慮したい。


 それともいつか……自覚する日がくるのだろうか。


 自分が本当に男ではないのだと思い知る日が。


 そのことを思うと憂鬱な気分になる亜樹だった。

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