第10話 封印の鍵、守護の星(3)

 助けてくれたイヴ・ロザリアは奇跡だと言っていたが。


 杏樹は奇跡でもなんでもないことを知っている。


 きっと亜樹だ。


 亜樹が杏樹が負うはずだったケガをすべて移した。


 亜樹は絶対に口にしないし、それを認めることもないが、亜樹が杏樹を護っていることには気付いていた。


 一度は死にかけたというのに手術室で、突然無傷になって目覚めて代わりにケガをしていたのは亜樹だった。


 そんな現象が起こって、まだ気付かずにいろと言われても無理だ。


 亜樹にはなんらかの力があって、彼が兄として妹を災厄から護っていたことには気付いていた。


 それに杏樹を襲う災厄のほとんどが、その原因が亜樹だということにも。


 亜樹に行くべきはずの災難が、すべて杏樹に回っている。


 それはあの銀行強盗のときの事件が証明している。


 犯人ははっきりと亜樹を目掛けて撃ったのだから。


 だが、弾丸は当然のように亜樹を逸れ、傍にいた杏樹に当たった。


 あのときの衝撃と亜樹の絶叫が忘れられない。


 狂ったように名を呼んでいた亜樹。


 あの後どうやって助かったのか、杏樹は知らない。


 警察も手を出せない状態だったはずなのに、杏樹はすぐに病院へと移動されていたから。


 たぶん亜樹がやったのだろうと杏樹は思っている。


 どうやったのかは知らないし、たぶん亜樹には自覚もないだろうが、杏樹を襲った犯人を捕まえたのは亜樹の力のはずだった。


 幼い頃からどんな災難もケガも病気も、すべて亜樹だけは見事に避けていった。


 そのことに気付いたとき、「亜樹ちゃんには不思議な力があるね」と無邪気に笑っていた頃がある。


 あの頃は亜樹へ行くはずの数々の出来事が、すべて自分に集中しているなんて気付いていなかった。


 不思議なことに亜樹は、たしに災難から身を護る力を持っている。


 というか、どんな事件もケガも病気も亜樹だけは避ける。


 その代償と言いたげに何故だか亜樹は災難に遭いやすいのだ。


 事件に巻き込まれやすいのも亜樹の特徴である。


 そんなとき必ず標的になるのも亜樹だった。


 ただそれらの出来事が、すべて亜樹を傷つけられないだけで。


 傷付けることのできない亜樹をなんとか傷付けようとしているようだと後に思ったことがある。


 数々の事件はすべて亜樹を傷付けるために挑戦され、すべて結果が敗北だった。


 そんな印象を受けたのだ。


 どうしてなのかは知らないが。


 亜樹もそのことには気付いているのか、杏樹の怪我を初めて移してから、すべての災厄を引き受けるようになった。


 不思議と亜樹が引き受けた傷や病気は杏樹が負ったものより軽い。


 それに治る速度も桁違いに早かった。


 だから、今もそう心配する必要はないのだと知っている。


 でも、理性と感情は別物だ。


 いくら本来なら亜樹が受けるはずだった怪我だとはいえ、今回に関しては川に落ちた杏樹を庇ったせいで陥った事態なのだ。


 亜樹にはなんの落ち度もない。


 それどころか巻き添えにしたのは杏樹の方だ。


 なのに亜樹はいつものように杏樹を護ってくれた。


 それで心配するなと言われても無理だ。


 ここがどこなのかは知らない。


 でも、亜樹も自分のように安全な境遇にいるとは限らないのだ。


 イヴ・ロザリアに助けられた杏樹は幸運だったと思う。


 彼女はとても親切で優しい女性だから。


 巫女をやっているという彼女は、この神殿の長だった。


 正確には姫巫女と呼ばれる立場らしい。


 最高権力者が救ったから、杏樹の安全は保証されているのだ。


 杏樹が異世界からきたことを知っている他の神官や巫女たちは、みな遠巻きに杏樹を見ている。


 亜樹も大切にしてくれる人に救われているならいい。


 心からそれを願った。


 亜樹の外見では最悪の場合、人買いに売られる、なんて笑えない想像もできたから。


 そんな心配をするくらい、この世界はまだ古い中世を思わせる不思議な世界だった。


 杏樹が思い詰めていると、イヴ・ロザリアの近くに置いてあった水を張った器が光を放った。


 ビクッとして目を瞠る。


「あら? なにかしら? 緊急連絡のようね」


 無防備に近づいていく彼女に、杏樹はビクビクしながら問いかけた。


「それ、なんですか?」


「水鏡よ。宮殿からの連絡用。弟からかしら?」


「弟がいるんですか?」


「ええ。リーン・アディールという名で、このリーン・フィールド公国の皇太子をやっているわ」


「それって……イヴ・ロザリアさまも王女さまだってことですか?」


 唖然とする杏樹にイヴ・ロザリアは困ったような顔になった。


「たしかにリーンは王子を名乗っているけれど、わたくしは公女よ。公家の男子は公家を継ぎ女子は神殿の長となる。それが慣例なのよ」


 イヴの説明は意味不明だった。


 この世界の出身ではない杏樹にはよくわからない。


 ただ実の姉弟だというのに、離ればなれで暮らさなければならないことは理解して、ちょっと可哀想な気分になった。


 亜樹と仲の良い杏樹にしてみれば、兄妹で離ればなれになると、とても寂しい気持ちになるからだ。


今ここに亜樹がいたら、こんなに不安な気持ちにはなっていない。


 なのにイヴは課せられた使命として、弟とは離れて暮らしているのだ。


 それが可哀想だと思った。


 とても美しい姫君だけれど、その分苦労もしているらしい。


 杏樹が複雑な顔になったのを見て、感想には気づいたイヴだが、今は水鏡の方に向かった。


 そこに映っていたのは間違いなく最愛の弟、リーン・アディールだった。


 連絡を取るのは1週間ぶりだが、また綺麗になった気がする。


 イヴもリーンに劣らない美貌の持ち主だし、リーンがシスコンになるだけあって物凄い美女だが、同じ美形の姉弟だというのにふたりは何故か似ていなかった。


 リーンはナチュラルブロンドにブルースカイアイズの持ち主だが、イヴはプラチナブロンドに青灰色の瞳の持ち主だ。


 色彩ははっきり違うし顔立ちも似ていない。


 そのことでリーンが傷付いていることを知っているから、イヴは殊更にこの弟には甘くなる。


 母親のワガママのために苦しんでいる弟には。


「どうかしたのですか、リーン? 1週間で連絡を入れるなんて初めてだけれど」


『ええ。姉上にお伺いしたいことがあって。そちらではなにか異常はありませんでしたか?』


 まるで杏樹のことを見抜かれたような気がして、イヴはちょっとギクッとした。


 本来なら皇太子である弟に打ち明けるべきことだと気づいているから。


 だが、杏樹が異世界人だとなると、厄介な立場に追いやられる恐れがあったので、連絡する決心がつかずにいた。


 そのため、ここでもごまかしてしまっていた。


「なんのことかしら? そちらではなにかあったの?」


『ええ。実は異世界からの来訪者を保護しました』


「え……?」


 イヴが唖然とすると傍で聞いていた杏樹が、いきなり隣に割り込んできて叫んだ。


「それ本当!?」


『きみは……』


 リーンが唖然としている。


 公族の連絡に割り込むなど、普通の者ならしないからだ。


 それになんとなくだが亜樹に似ている。


 亜樹の方がずっと綺麗だし、凄く魅力的だが、亜樹をもうすこし平凡にして気が強そうな瞳にしたらこうなる。


 そんな感じの女の子だった。


『まさか……きみがアンジュ?』


「あたしの名前を知ってるってことは亜樹ちゃんも知ってるんでしょうっ!? 亜樹ちゃんは無事なのっ!? ひどい怪我とかしてないっ!?」


 亜樹が怪我をしていると疑っていない杏樹に、リーンはまさかと疑った。


 亜樹は知らせていないと言ったが、今の様子を見るかぎりでは杏樹は、亜樹がなにをしているか知っているようだった。


 だから、亜樹が怪我をしていると確信している。


 無力なだけの女の子ではないらしいと、リーンはすこし杏樹を見直した。


 亜樹から話を聞いたときは、護られていることにも気づけないワガママな少女といった印象があったので。


『大丈夫。安心して……と言いたいけど、実のところかなりひどい凍傷を起こしてる。もちろんこの季節に寒中水泳なんてやって、右腕の凍傷だけで済んだのは奇跡に近いけど』


「それで亜樹ちゃんの様子は?」


 泣き出しそうな顔をする杏樹に、リーンは答えようと思ったが、まだ姉から事情説明を聞いていないと思い出し、黙り込んで成り行きを見守っていた姉に向かって話しかけた。

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