第6話 森と湖の国(3)

「つまりさ、患者の身体を直に触って治療するわけなんだ。切開って言って悪い部分を切り取ったりする手術とか、ひどい怪我を負った場合に、皮膚を繋ぐのに手術したりとか。後、血が足りないときに輸血したりとかね」


 自分でもわかる説明を選んでしたが、治療方法が魔法というこの世界では理解できなかったらしく、ややあってレックスが出した納得の声は、思わずずっこける内容だっだ。


「すごいですね。人の身体を直に触って切開するような魔法が使えるなんて。神族にしかできないことです」


「魔法じゃないって言ってるのに」


「つまりなにか? おまえの言っていることを信じると、おまえが住んでいた国には魔法が存在しないと?」


「だからさっきからそう言ってるじゃないか。こっちでは医学も魔法の一種として栄えてるみたいだけど、オレの世界ではひとつの学問だよ。人体についてだって色々と研究されてるし」


 同じ治療を目的とする行為でも、魔法と呼ばれるものと、学問と呼ばれるもの。


 理解できる単語を出されることで、ふたりもようやく亜樹の言いたいことを理解した。


 つまりこちらでは魔法で成されることが、亜樹の住む世界では、学問を学ぶことで成されているのだ。


 勉強は種類は違っても、どんな世界にもある。


 だから、治癒魔法を使って成される治癒が、学問だと言われることで納得できたのだった。


「するとおまえは本当にこの世界の人間ではないのか?」


「たぶん。オレはこんな国は知らないし、見覚えも聞き覚えもないから。大体オレの世界で、そんな格好をしてたら仮装だって。まるでコスプレ……」


「また意味不明な言葉を」


「ごめん。ちょっと落ち込んでたから。で。オレはさっき名乗ったんだけど、あんたの名前はなに?」


 亜樹が王子に向かって対等な口をきいたので、レックスはちょっと引きつっていた。


 王子に向かって「あんた」はないだろうと思ったのだ。


 てっきり怒るかと思っていたが、さっきから会話で、好奇心でも刺激されたのか世継ぎの君は怒らなかった。


「わたしはリーン・アディールだ。湖の国と呼ばれているリーン・フィールド公国の皇太子。17歳だ」


「さっきから疑問に思ってたんだけど、この国は公国なのに、どうして王子なんて名乗ってるんだ? オレの世界だと王国とか帝国の場合は王子で、公国は公子と呼ばれてたはずなんだけど? こっちは違うのか?」


「それは……」


 言いにくいことを訊いたのか、リーン・アディール王子は、困ったように黙り込んでしまった。


 傍らのレックスに視線を投げると、彼も気まずい顔をしている。


 どうやらわけありらしい。


 だったら突っ込まないのが礼儀だろう。


「ところでさあ」


「今度はなんだ?」


「リーン・アディールでひとつの名前なのか? オレはなんて呼んだらいいんだ?」


「リーンは親しい者だけが呼ぶ愛称で、アディールは公式名だ。正式に名乗るときにリーン・アディールと名乗るのが礼儀だ」


「じゃあリーンって呼んでもいい?」


 このときの亜樹はあまりにもこの世界について、そしてリーン・アディールについて知らなかったので、無邪気にそう言えた。


 親しげな態度など取られたことのないリーンはすこし驚いていたようだったが。


 レックスも意外そうな眼差しを亜樹に向けていた。


「別にかまわないが……変わった奴だな」


 あまりに意外そうに言われたので亜樹はちょっとむくれた。


「それでわたしはおまえをなんて呼べばいいんだ? クサナギアキとは変わった名だが。いったいどこで区切るんだ?」


「草薙が名字で亜樹が名前だよ」


「みょうじとはなんだ?」


「う~ん。この国にそういう習慣があるのかないのか知らないけど、この国の公家にも公家名ってあるのか?」


「どういう意味だ? 国に呼び名はあっても、国を治める一族に呼び名はない。言っただろう? 愛称と公式名があるだけだと」


「はあ。その場合、理解されにくいかもしれないけど、草薙っていうのはオレと同じ血を引き同じ家の名を名乗る者だけが名乗る名前で、オレ個人を意味するものじゃないんだ」


「? 一族の名、ということか?」


「その辺で妥協しておくか、オレの名前は亜樹。オレの国の言葉でこう書くんだ」


 亜樹は使い慣れない羽根ペンと羊皮紙を受け取ると、サラサラと名を書いた。 


 亜樹、と見慣れない文字が現れる。


 それをリーンとレックスが驚いたように見ていた。


「ふしぎな字だな。これでアキと読むのか?」


「そう。死んだ母さんが名付けてくれたらしいよ」


「らしい?」


「生まれてすぐに亡くしたから、顔も憶えてないんだ」


 ちょっと困った顔でそう言うと、リーンもレックスも気まずい顔になった。


 訊いてはいけないことを訊いたと顔に書いているので、亜樹は可笑しかった。


 母のことはもうずいぶん前に割り切ったので。


 少なくとも割り切ったつもりでいたから。


「そういえば……字がこれだけ違うのなら、どうして言葉が通じるんだ?」


 突然、気づいたと言いたげにリーンが言って、レックスもハッとした。


 今更だが本当にそうなのだ。


 亜樹にしてみれば助かっていることなので、あまり意識しないがどうしてお互いに理解できるのか不明である。


「たしかに不思議だよな。オレは日本語を喋ってるし、オレの頭の中にはふたりの言葉も日本語として聞こえてくるけど、ふたりともこの国の言葉を遣ってるんだろ?」


「ニホンゴなんてわけのわからない言葉は遣っていないぞ、わたしは」


「だよなあ。なんで言葉が通じるんだろ? 字は書けないし読めないみたいなのに」


 でなければ漢字で亜樹と書いたときに通じただろう。


 通じなかったということは読み書きに関しては、この不思議な現象は影響していないということだ。


「エルシア殿たちにきていただいては如何でしょうか?」


「レックスっ!!」


 突然、リーンがレックスを叱りつけて、亜樹はビックリした。


 リーンは本気でいやがっているようだった。


 顔に嫌悪感が浮かんでいる。


 さっきから無表情に近かった彼が見せる表情としては、かなり意外だ。


「王子の拘りもわかりますが、この件はわたしたちの手にはあまります。守護神族である彼らの力を借りるべきでしょう。それにこの蒼いピアス」


 レックスが亜樹の左耳に触れて亜樹は条件反射的に身を引いた。


 なんとなくピアスを庇う癖がついているのである。


「この蒼いピアスに独特の力を感じます。底知れぬなにかと共に。神族の手が必要でしょう。アキ殿になんの力もないとは、わたしには思えません」


 ピアスに問題があると言われて亜樹が青ざめた。


 その反応にリーンが怪訝そうな顔になる。


「さっきはなんの力もないと言ったのに、ピアスのことを指摘されたとたん、そんな顔を見せるなんて心当たりでもあるのか、アキ?」


 呟くリーンに亜樹は困ったような顔をしている。


「言えないことなのか?」


「いや。言えないっていうか、オレにもよくわからないことだから」


「言ってみてくれないか?」


 日本では隠さなかったことだから、別に打ち明けてもいいのだが、さっきみたいなことを言われた後だとためらいがあった。


「実はこのピアス……外れないんだよ」


「外れない?」


「物心ついたときには、もう身につけてた。どういう謂われがあって身につけてるのか、オレも知らないんだ。父さんからは母さんの形見だって言われてきたけど、それだけにしては絶対に外れないピアスなんておかしいし」


 曰くがあると言えばあるのだ。


 外れないピアスなんて、どう考えても普通じゃない。


 亜樹の言いにくそうな説明に、リーンも難しい顔になっていた。


 できるならエルスたちは呼びたくない。


 だが、この話が本当なら亜樹の問題はリーンたちの手にはあまるだろう。


 これはどう考えても神族の領域だ。


「アキは知らないかもしれないが、この世界でピアスを身につけることができるのは神族だけだ」


「さっきから何度か会話に出てるけど、なに? そのしんぞくって」


「遠く神々の血を引く一族のことだ。今の時代にはたったひとつの一族しか生き残っていない。風神エルダの血を引く一族で、我が国の守護をしてくれている。世界広しと言えども神族の守護を持っているのは我が国だけだ。おかげで他国に侵略されずに済んでいる」


「ふうん。すごいんだ? じゃあしんぞくって文字通り神の一族って意味なんだ? だから、神族なんだな」


 何度も頷く亜樹に、リーンはため息をつきつつ話しだした。


「風神エルダの守護色は白。だから、みな白真珠のピアスを身につけている。白真珠が大きければ大きなほど身に宿す力も大きく強くなる。ピアスは神族の力の源なんだ」


「こういう色のピアスを身につけていた一族もいたのか?」


 不安そうに問いかける亜樹に、リーンはかぶりを振る。


「わたしが知っているかぎりではいない。似たような色を持っていた一族ならいるが」


「どをんな色でなんて名の一族?」


「海神レオニスの血を引く一族だ。青いピアスをつけていた。その一族は同時に大地の女神の子孫でもある。レオニスの子は妹である大地の女神、シャナが産んだからな」


「今、兄妹で子供を作ったって言った?」


 変な顔をして訊ねる亜樹に、リーンも怪訝そうな顔になる。


「それがどうかしたのか?」


「どうかしたのかった近親相姦じゃんっ!! それって!!」


 絶叫する亜樹に彼がなにを気に病んでいたのかを知って、リーンが納得の声をあげた。


「そんなことを言うが、神々は全員血が繋がっているんだぞ? 他人を伴侶にしろと言われても無理だ。神代の昔には彼らしか存在していなかったんだし」


「まあ日本の神話でも外国の神話でも、神々ってやたら近親相姦を繰り返す人ではあるけどさ。異世界もそうなのか? ちょっといやかも……」


 しかも地球と違ってこの世界での神々は、きちんと実在が証明されている。


 でなければ直系子孫など確認されていないだろうから。


 例えではなく近親相姦によって子を成したとなると、現存する一族もそうなのだろうか?


「その神々の血を引く神族も、現代でも近親婚を繰り返してるのか?」


「いや。それはない。今は種として生き残るために、外の人々との婚姻に積極的だ。数世代前までは力の遺伝を重要視していたのだが、その結果として子供が生まれにくくなってきて、その原因が近親婚にあるのではないかと言われ、近親者同士が婚礼をあげることは禁忌となったんだ」


「近親婚がタブーだなんてわかりきったことじゃないか。近い血は危険なんだ。血が近すぎれば種としての限界に近づくことになる。子供が生まれにくくなって当然だよ」


「そうなのか?」


「ではあの仮定は事実だったのですか?」


 意外そうに訊ねるふたりに、これではこちらの人々は、近親相姦に対する禁忌の意識は薄いのではないかと思えた。


 確かに地球の歴史でも時代が古くなればなるほど、近親婚は尊いものとされていたが。


 エジプトなんかだと兄弟で結婚なんてめずらしくなかったし。


 古代エジプトでは王位継承権は女性が継承するので、王位を継ぐために姉や妹、ときには叔母や孫などと結婚していたという実例がある。


 どうやらこの世界は、まだそういう意識の色濃い時代らしい。


 もしかして性別での区別もあまりないのではなかろうか。


 地球での境遇を思い出し、我が身が不安になってきたが敢えてそれには触れず、ふたりの問いに答えた。


「血にはそれぞれが宿す特徴があってね。血が近すぎると、確かにその血が持つ作用は濃くなるけど、同時に種としての限界に近づく結果をも招く。近親婚を繰り返していると、間違いなくその一族は滅ぶよ」


「どの程度の関係まで禁忌となっているんだ? そちらの世界では?」


「そうだな……少なくとも伯父や姪とか、そういった関係はダメだな。たまに従兄弟同士とかっていうパターンもあったけど、これもあんまり歓迎されないし。できないことじゃないけど、褒められた行動でもないってところかな。血は近ければ近いほど結婚の対象にはならないから」


「そうか」


 法律で定めていることと、医学的な問題での禁忌はまた意味が違ってくる。


 亜樹はわざと法律に触れる関係は言わなかった。


 それこそこの世界では意味のない法だからである。


 人間としての最低限の法だけ告げたつもりだった。


 近親婚は褒められたものじゃないと、それだけはわかってほしかったので。


 現代の地球に生まれてきた亜樹には、近親婚はどうやっても認められるものではないから。


「とにかくその海神レオニスと大地の女神シャナの子孫が、これと似たような色のピアスを身につけていたんだ?」


「ああ。そうだ。ただ色はアキのピアスのほうが深い。それに普通、神族の持つピアスは両耳だ。片耳だけというのは聞いたことがない。

 それに神族のピアスは取り外しができる。言ってみれば身体の一部だからな。身体の内側に封じてしまうこともできるんだ。

 ピアスが力の源だということは、ピアスを奪われれば神族は力を使えなくなるということだからな。だから、ピアスは本人の意思で自由にできる。

 封じることも隠すことも。常に身につけていることには変わりないが、外れないピアスというのは聞いたことがない」


 こちらの世界での常識を知らされて、亜樹は大きなため息をついた。


「それよりオレをここに連れてきてくれた人はだれなんだ? お礼を言わないと。倒れてるところを助けてもらったんだし」


 亜樹がそう言うとなぜか、リーンが気まずそうに顔を背けた。


 クスクスと笑いながらレックスが口を挟む。


「生命の恩人なら目の前にいらっしゃるではありませんか」


「いらっしゃるって……敬語ってことは……」


 亜樹に唖然とリーンを見ると、彼はますます顔を赤く染めた。


 どうやら照れているらしい。


「聖域に訪れることができるのは公族のみです。あなたは幸運だったのですよ、アキ殿。王子がいらっしゃらなかったら、今頃凍死していますから」


「全然憶えてないけどありがとう、リーン。助けてくれたのがリーンならもっと早く言ってくれればよかったのに。そうしたら礼も言えたし」


「……別に大したことじゃない」


 ムスッとした顔をするリーンだが、その彼の無愛想な顔も、照れ隠しだとわかってしまった今は可愛いだけだった。


 声を殺して笑う亜樹に、リーンは怒ったような顔をしていた。





 一通り話し終えると、やはりリーンはレックスの進言どおり、エルシアとかいう神族を呼ぶことにしたらしい。


 それを決意したときは、事情をよく知らない亜樹ですら、彼が本気でいやがっていて、できれば断ってくれないかなと思っているのがよくわかった。


 亜樹はしばらく安静にしているようにと言われ、リーンが出ていきかけたとき、言いそびれていたことを、ようやく口に出せた。


「ちょっと待ってくるよ、リーンっ!!」


「どうした?」


 背中を向けかけていたリーンが、振り向いて不思議そうな顔になる。


 亜樹が熱を出しはじめたので、近くで手当てに当たっていた白魔法使いレックスも、不思議そうに亜樹を見ている。


「オレを助けたとき、近くに女の子がいなかったか? オレによく似た女の子が。服装はオレとまったく同じなんだけど」


「いや。アキを助けたときは、近くにはだれもいなかった。だれかと一緒だったのか?」


 姿勢を正し振り向いてくれたリーンに、亜樹は落ち込んだ顔になる。


「こっちにきた直接的なきっかけは、たぶん、川に落ちたからだと思う」


「川に落ちたのか?」


 うんと頷いて亜樹は不安そうな顔になった。


 近くにいなかったなんて、杏樹はどうなったんだろう。


 こっちに飛ばされないで、元の世界にいるのなら、それが一番いいのだが。


「リーンたちにはわかりにくいかもしれないけど、ある行事があってオレたちは集団で山登りをしてたんだ。そのときつり橋を渡っているときにさ。双生児の妹の杏樹がつり橋から落ちて、オレは助けようとして巻き添えになったんだ」


「つまり落ちたときはふたりだった?」


 コクンと頷くとリーンも難しい顔になった。


「川の流れが速くてさ、何度も杏樹に手を伸ばしたんだけど、結局届かなくて。気がついたときには、こっちの世界にきてたんだ。必死になって水からあがったら、あの場所だったんだよ」


「そうか。おそらくその川と聖域の湖が繋がっていたんだな。聖域の湖は特別だから」


「あの湖以外にも異世界に通じてそうなところはないのか? 杏樹は無事だとは思うんだけどオレ、心配で」


「どうして無事だと思えるんだ? あの状況ではアキが無事だっただけでも奇跡だ。その程度の凍傷で済んだのが、そもそも奇跡的なことなんだから。本当に川に落ちてこちらの世界に流されたのなら助かったとは思えない」


 無表情に呟くリーンに亜樹はカッとなって怒鳴り付けた。


「杏樹は無事だよ!! そのためにオレはケガをしたんだからっ!!」


「え……」


「どういう意味ですか?」


 ふたりがスッと表情をなくし、亜樹は言い過ぎたことに気づいた。


 今まで杏樹にも言わなかったことを言ってしまった。


 後悔してうつむいていると、リーンが近づいてきて不意に顎に手をかけた。


 目を合わせられてふっと伏せる。


「アキ。説明してくれないか? 今の言葉はどういう意味だ?」


「杏樹が見付かっても言わないか?」


 下から見上げて問われ、リーンは戸惑いながらも頷いた。


 彼が自分の身より双生児の妹を案じていることが伝わってきたので。


「オレは昔から不思議な一面があってね。どんなときもケガをしないし、どんな災難もオレだけは避けて通る」


「「……」」

「すぐ近くで窓ガラスが割れても、ガラスの破片はオレを避けて飛び散るし、リーンたちには理解されにくいかもしれないけど、車と衝突しそうなときも、オレを避けてガードレールにぶつかってくれた」


「くるまとはなんだ?」


「馬車みたいなものだと思ってくれればいいよ。馬車はあるんだろ?」


 問いかけると肯定されてホッとした。


 それなら想像することくらいはできるだろう。


「馬車が猛烈に突っ込んできたのに、不自然に自分を避けて近くに衝突したと思ってくれたらいいよ」


「……不自然じゃないのか、それは?」


「不自然だけどそうなんだから仕方ないじゃないか。おかげでオレは健康優良児だったよ。病気ひとつしたことない」


 亜樹の説明を聞いていて矛盾していることに気づいたのは、治療を専門とする魔法使いレックスだった。


「ではその凍傷はどう説明するのですか?」


「これが杏樹が無事な証だよ」


「「……」」


「昔銀行強盗に遭ってさ。こっちの世界で例えて言うと盗賊に襲われたようなものかな? それで杏樹が撃たれて死にかけたんだ」


 拳銃というのは弓の強化されたような物だと、亜樹はそう説明した。


 それで撃たれるとかなり高い確率で死ぬ。


 まあ撃たれた部位にもよるが、と。


「アキ」


「助からないって言われた。諦めてくれって。手の施しようがないって」


 亜樹はそのとき、どうしてだと思ったらしい。


 あのとき、本当なら拳銃は亜樹に当たったはずだった。


 犯人は亜樹に向かって拳銃を撃ったらしいから。


 しかしいつものように弾は亜樹を避けた。


 亜樹を避けて傍で震えていた杏樹に当たった。


 そこまで説明を受けて辛そうな亜樹の言葉の意味が、半分くらいしか理解できなくても、状況は理解できるふたりは、かける言葉が見つからなかった。


 なにも言えず黙って亜樹を見守っている。


「オレのものならオレにこいって全身全霊をかけて思ったよ。杏樹を苦しめるくらいならオレが苦しむって。そうしたら」


「どうしたんだ?」


「杏樹の傷がオレに移ったんだ」


「「っ!!」」


「そのときのことはよく憶えてない。ただ突然凄い痛みに襲われて倒れたんだ」


 そこからの説明を亜樹は、ふたりにわかるようにしてくれた。


 目覚めたときは病室にいたこと。


 枕元を見たら杏樹がいて死にかけていたはずの杏樹が元気そうに覗き込んでいたこと。


 それが最初で以来亜樹は杏樹の傷を移せるようになったらしい。


 亜樹が招くと杏樹の傷や病気は亜樹に移る。


 しかも亜樹に移ってきたものは、杏樹が負っていたものより軽くなる。


 死ぬはずだった傷でさえ、亜樹に移ってからは1週間で治ったというのだから、亜樹がする説明は常識を軽く凌駕していた。

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