世界で一番残酷な夢(6)

 狼らしき声が聞こえた付近へ皆が駆けつけると、花畑で二つの人影が相対していた。


 そのうちの一つはQが朝方に見かけた少女。おそらくは彼女が白雪姫だろう。数時間前と比べるまでもなく服はぼろぼろで、遠目にも身体中に傷があるのが分かる。

 少女は低く小さく何かを呟きながら、そこから少し離れた距離に立つ相手を見据えていた。


 視線の先に立つもう一つの影は男。手には酒瓶が握られている。どこかにぶつけたか落としたか、瓶は割れていて中身はほとんど残っていない。

 割れたガラスの破片は足元に散らばっており、男はもちろん白雪姫の服にも酒が掛かっているようだ。香りの強さから瓶が割れたのはつい先刻らしい。


 鋭い目で白雪姫を睨みつける男。その肩には赤い上着が掛けられている。手編みのそれは彼の雰囲気と似つかわしくないほどに少女趣味で可愛らしく、長年着古しているものなのか、かなりくたびれていた。


「ちっ」

 男は現れた集団を一瞥すると、舌打ち混じりに顔をしかめた。どう見ても狩りに慣れているようには見えない男達、加えて女や子供。考えるまでもなく、足手まといに他ならない。

「こいつは俺の獲物だ! 邪魔するな!」


 牽制の為に眼前の敵から注意を逸らした一瞬、それが相手にとっては充分すぎるほどの隙だった。


「————ぐぁッ!」


 迫る殺気に反応して咄嗟に突き出した左腕に白雪姫が咬みつく。まだ子供、まして少女のものとは到底思えないほど、その顎の力は凄まじい。


 男は割れた瓶を振り回し白雪姫を振りほどくと、再び間合いの外に逃げる。

 相手もよろけてはいるが致命傷には至らない。すぐにまた攻撃に転じるだろう。


 運の良いことに男の左腕はかろうじてまだ動く。しかしながら、しばらくはまともに使える状態ではない。


「——オマエら! 突っ立ってないでさっさと逃げやがれ!」

 利き手は動かせるとはいえ、片腕で簡単に勝てるような相手ではない。体勢を立て直す時間を稼がなければ。


 赤い上着をはためかせ、樹々の間を縫うように走り出す。素の機動力では小柄な少女に負けるかもしれないが、彼女が怪我でふらついている今なら距離を取れるかもしれない。


「待って!」

 その赤い背に真っ先に反応し、後を追ったのはロックだった。


「赤ずきんさん、ですよねっ! さっき狼の声が聞こえて、あの! 俺も狩りを手伝いますっ!」

「うるせえ、だからどうした! 邪魔なんだよ、オマエらとっとと失せろ!」


 悪態をつきながらもロックの言葉を否定しない。おそらく彼が狼専門の狩人だという『赤ずきん』なのだろう。


 Qはたまたま事前にロックから男性とは 聞いてはいたが、それにしてもイメージと違う。Aもぽかんとした顔で風になびく赤い上衣を見つめ、はっとして言った。

「あっ、待ってよ! 置いていかないで!」


 異様な雰囲気の白雪姫のことは気になる一方、いつ狼が襲ってくるか。こんなところに残されるわけにはいかない。

 赤ずきんに続くAにQも従う。悪いな、と声をかけてアンを腕に抱えて走りだした。


 皆が離れていく中で、妃だけは自分と同じ顔をした傷だらけの少女を前に立ち尽くしていた。動くべきなのだろうが足が前へと進まない。

 行かなければ。分かっている。


 ——けれど、どちらの方へ?


 他の人々と同様に、赤い羽織の男についてここから離れろというのか。それとも——。


「白雪……」


 震える声で娘の名を呼ぶ。

 独りぼっちの自分に寄り添ってくれる、唯一の家族。そんな大切な存在が今、すぐ近くで苦しそうにうめいている。


「わたくしは……」


 妃が伸ばしかけた手を制したのはディムだった。

 彼がこれから何を言うのか、妃には分かっている。彼の言葉は、結局は自分の心の底にあるものなのだから。


「お妃様、民が襲われていたのを見たでしょう。何があったかは知りませんが、きっともうお嬢様はあなたのこともお分かりにはなりません」


 あぁ、そんなのは分かってる。

 でもその先は言わないで。


 妃はそう祈れども、執事は言葉を止めなかった。

「ほら、ご覧なさい。もはやあれはあなたの娘ではなく——ただの獣です」


   ◎


 『お妃様』。

 人々が自分を呼ぶその言葉には未だ慣れない。戴冠式からはしばらく経つというのに。


 生活から義母が消え、姫と呼ばれることのなくなった少女は心に空いた穴を埋めようと義理の娘を迎えた。


 悩むこともなく付けた名は『白雪姫』。


 ただ寂しかったのだ。自分がもう、その名では呼んではもらえないことが。

 自分の存在がまるで吹雪に掻き消されるかのごとく真っ白になるような、そんな感覚。それに耐えることができなかった。


 だから自らが不在の母の代わりとなり、元いた場所を誰かに与えることで心を満たそうとしたのだ。


 本音を言えば相手は誰でも良かった。


 しかし彼女の統べる国において、相応しい者を探すのは簡単にはいかない。うちの娘を是非に、と我が子をまるで物のように差し出す親達を目にするのはうんざりだったからだ。


 かと言って誰か親のない娘を適当に選ぶ、というのも幼い妃にとっては難しい。

 後継者は一人だけ。それを選ぶには取捨選択をせねばならないが、見知らぬ子らに順位を付けられるほどに、彼女は他人に興味を持てなかった。


 仕方なしに貧民街を歩く日々。

 そして、ある夜。

 妃は佇むの美しさに心を奪われて足を止めた。


 纏う艶のある純白は、柔らかな妃の髪と同じ色。

 似ているのは姿だけではない。独りぼっちで幻の幸せに縋り叫ぶ声も、誰を信じるべきか分からずに怯えた瞳も。

 まるで過去の自分を思い出すようだった。


 執事の片方を除いて周りの人間は誰も認めはしなかったが、妃はを娘だと決めた。


 政権を継がせることはできまい。さすがに理解している。

 けれどもそんな些事はその時にまた考えればいい。今は家族が必要なのだ、と彼女は訴えた。聞き分けのない子供のように。

 頑固な妃の前には、反対していた者達も結局は従わざるをえなかった。


 そうして手に入れた家族。大事な娘。かけがえのない存在を失ったことを、今の妃はただ受け入れるしかなかった。


   ◎


 森を駆け抜けながら、赤ずきんは自分を追い後ろをついてくる集団について考える。

 

 まず、声をかけてきた少年。察するに同業者だろう。だがおそらく職歴は浅い。もしある程度の経験があれば、あの状況においてああまで無防備ではいられないはずだ。


 金髪の男と連れらしき子供、それからウサギの亜人。彼らは近隣の住民か何かだろうか。先の反応からは、単に騒動に巻き込まれただけのようにも受け取れる。


 そして最も気になるのは、集団の中でもとりわけ目立つ真っ白なドレスを着た娘と、双子らしきその従者。

 関係性は分からないが、彼女らはを明らかに知っており、意識していた。


 あれ——突然敵意を持って攻撃してきた、一見すると少女のような何者か。あいつはいったい何なんだ? あれでは、まるで……。


「くそ」

 考えても埒があかない。

 赤ずきんは追手の気配がないことを確認して足を止めた。他の者もそれに伴い立ち止まる。

「おい、そこのドレスの嬢ちゃん。聞きたいことがある」

 こういう時は聞くのが早い。待つことも気を遣うことも面倒な赤ずきんにとって、これが最短で自分の欲しい答えを得る選択肢だ。


「さっきの、オマエに似た凶暴なガキ。ありゃ何者だ? いきなり襲いかかってきやがった。まるで獣だ。それも——」

「……そうね」

 妃は赤ずきんの言葉を遮り、寂しそうに目を伏せる。分かってはいても口にするのはつらい。


「白雪は獣だわ。ヒトの姿を得ても、結局は人にはなれないの」

「どういう意味だ、それは」

「そのままよ、言ったとおりに」


 ——ただの可哀想な獣、とその唇が動いた。


 首を傾げている者もいるが、赤ずきんは妃のその反応に思うところがあった。呟いたきり唇を結んだままの妃を一瞥する。

 他に何か知ることがあるかも分からないが、現状この様子では何も言わないだろう。


「どこか隠れられる場所を知らねえか」

 周囲を見渡し、尋ねる。


 あれを獣だと言い切るからには追いつかれたら戦闘は免れないが、他人を守りながら動くのは赤ずきんの性に合わない。中には女や子供もいるのだ。独りの方が戦いやすい。


 安全な場所に子供達や戦えない奴らを置いていけたら。

 そう考え助言を求めたのに、皆困ったように目を逸らすばかりで誰も何も言わない。赤ずきんは知る由もないが、そもそもほとんど皆、現地の者ではないのだ。


 赤ずきんの苛立ちが限界に達しそうになった時、足元で小さな声がした。

「この辺り、ご近所さんのお家があるよ」

 問いに答えたのは、長い耳を揺らす最も幼い子供、アンだ。

「あっち。ほら、白い花の咲いてる茂みの奥へ行ったところ」


 指差す先へ進むと言うとおりに小さな家が見えた。アンの住居同様、木造の素朴な建物である。

 ささやかな庭を守るように設られた柵の内に入ると、少し開いた扉が見える。


 その奥から酷く厭な予感がした。


「おい、この家に住んでるのはどんな奴らだ?」

「どんな、って。普通の人達よ。亜人の兄弟とそのお母さんが住んでるの」

「そうか」


 そのまま進もうとするアンを制し、赤ずきんは庭の隅の植え込みを掻き分ける。狭くとも空いた所にアンを座らせるよう、Qに指示した。妃とA、ロックにも待つように言う。


「どうして行ってはいけないの」

「ガキだからだ。安全を確かめたら戻るから待ってろ」

 さも当然のように未成年達を置いていこうとするが、Aは従わずにQの隣から動こうとしない。

「僕は何があるのか、そのすべてを見届けたい。悪いけどついて行かせてもらうよ」

「……勝手にしろ」

「ありがとう」


 Aの態度に、戸惑っていたロックも赤ずきんの側にそっと寄る。まだ若いとはいえ、彼も狩人の端くれなのだ。

 一方で妃は何も言わず、赤ずきんの指示のとおりアンの横に腰を下ろした。声に出さずとも傍にいろ、とディムに視線で訴える。

 眼鏡の執事はこれ見よがしに溜息をつきながら、

「仕方がないですね」

と主人の傍に佇む。

「お妃様とこちらのお嬢さんは私が見ています。ポリッシュがそちらにおりましたら状況は伝わりますので、何かあればお申し付けを」


 赤ずきんは頷きもせず、その場に三人を残し玄関へと向かった。進むことを選んだ他の者もその後ろに続く。

 細く開かれた扉に手を掛け、恐る恐るゆっくりと引き寄せる。


 中からは異臭がした。


「——! おい、見るんじゃない!」

 その臭いの元が何なのか。気付いたQは咄嗟にAの目を塞ごうとしたが、遅かった。


「……


 震える声で、Aはそう呟いた。


 荒らされた家の中には、確かめるまでもなくもう息がないことが明らかな亜人達の姿がある。

 ヒツジ、いやヤギの亜人だろうか。白い毛にはどす黒く濁った赤がまだらに滲んでいる。


 一人、二人、三人……転がっているのは全部で


「七人の小人? 何だそりゃ」

 Aの言葉に赤ずきんは眉を寄せる。

「確かに死体は七つだが、子供は六人だけだ」

 よく見てみろ、と続けようとして彼は口をつぐんだ。子供にわざわざそんなことをさせる必要はない。

 自身も何も感じないわけではないだろうが、赤ずきんは淡々と状況を確認する。


 遺体のうち、小さなものが六つ。残る一つはやや大きい。服装から察するに母親のもののようだ。血の乾き具合から察するに、おそらくは彼女だけは後から殺されたのだろう。

 子供達の待つ家に帰ってきたらこの惨劇、といったところか。


 赤ずきんは過去の何かを思い出したようでぶつぶつと独りごちていたが、誰にもその内容は聞こえなかった。


「この部屋にガキ共を隠すのは無理だな。庭に戻るぞ」

 惨状から目を背け、赤ずきんは足早にその場から立ち去ろうと振り返る。


 それを止めたのはQだった。

「待ってくれ」

 何かが頭にふとよぎった。


 母親の帰りを待つ留守番の仔山羊。狼に食べられた子供達。まるで——。


 頭にとあるタイトルが浮かぶのと、振り子時計が妙な音を立てるのは同時だった。

 くぐもった響きには心当たりがある。


「子供は全部で六人じゃなく、まさか」


 Qは音の鳴る方へ近付き、置時計の扉に手を掛けると力任せにこじ開けた。

 見下ろす先には小さな子供が丸まり怯え、独りで震えている。外見から判断するに亡くなった子らの弟か妹にあたるに違いない。


「『狼と七匹の仔やぎ』……」


 Qの言葉に反応を見せたのは、唯一Aだけだった。


   ◎


 時計の中で見つかったのはアンと同じくらいかやや年上の少女。いつからここにいたのだろう。憔悴しきっており反応は鈍い。

「おい、大丈夫か? 歩けるか?」

 赤ずきんの言葉に、少女はゆっくりと立ち上がった。どうやら怪我はないようだ。


 怯えてはいたが、なんとか外に出て行くとアンを見つけて安堵した様子を見せた。

「ナナちゃん!」

 顔見知りに出会えた嬉しさでナナと呼ばれた少女は微かに微笑んだが、すぐにその顔は引きつったように強張る。


 その瞳には、アンの隣に座る妃の姿が映っていた。


「嫌だ……ッ、そのひと、やだ!」

 逃げようとするも、恐怖で足が動かない。数歩後退り、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

「ナナちゃん、どうしたの」

 アンは心配そうに訊ねる。幼い彼女には分からないようだが、この場にいる他の者達はなんとなくその理由に思い至った。


 妃の姿を見ただけで、これほどまでに怯えている。おそらくは彼女の家の惨状には妃——いや、白雪姫が関わっているのだろう。


 実際に屋内に同行していない妃も、戻って来た者と保護されたと思しき少女の様子から、家の中で何か良くないことがあったのだろうと察していた。そして自分がいると、その少女は気が休まらぬだろうとも理解した。

「ディム、来なさい」

 片方の執事を連れ、やや離れた茂みに姿を隠す。

 呼ばれなかったポリッシュは動かない。気が利かないのではなく、妃がこの場に留まるように望んでいると分かったうえで、言われずともその命令に従っているのである。


 ナナは妃の姿が見えなくなると緊張の糸が切れたようだった。嗚咽は泣き声に変わり、しばらくの間ずっと途切れることはなかった。


 Aは、アンや誰かがナナの家族について触れる前にそっと話題を変えようと思ったが、赤ずきんはそれを許さない。

「……おい、ガキ。あの家で何があった?」

 無神経な赤ずきんの言葉にAは表情を険しくする。こんな小さな子供に、と声を上げようとしたところで、それをQが制した。


「なんで止めるの、Qちゃん」

「酷なことは分かってる。だけど状況を把握しないと何もできない。赤ずきんが行き過ぎたことをあの子に問い詰めるようなら、俺がすぐに止めてやるから」

 小声でそう伝えると、Aは渋々と言葉に従う。感情では幼い少女をそっとしておいてやりたいのはやまやまなのだが、同時に大人達の求める情報の重要性も理解している。


 ナナの涙は止まらないが、アンや助けてくれた人々に囲まれて安心したのだろう。ややすると落ち着きを取り戻し、ぽつりぽつりと昨夜の出来事を話し始めた。

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