思惑

 ディルムトリエンからはるばる、姫を婚約者に届けるために訪れた一行の足止めは一刻間ほどにも及び、侍従長は焦っていた。


「結婚できないとはどういうことですかっ?マイウリアそちらからのご要望だったはずでございますがっ?」


 門兵は何も言わず、役人も口を噤む。

 侍従長はこの『婚約者の引き渡し』を今更ディルムトリエンが行う理由を、ある程度知っていた。


 マイウリアの王宮に手駒を入れ、情報を得ようとしていたのは七年前まで。

 革命などという愚かな内乱が起き、弱ったマイウリアにとどめを刺す口実として『殺させるために』婚約者になっている姫を送り込む。


 兵と兵器の準備に少し時間がかかってしまってこの時期になったが、かえって好都合だった。

 マイウリアは北側のガウリエスタと関係がどんどん悪化して、兵を北に集め出したと情報が上がったからだ。


(いかん、ここで追い返されたりしたら、王の密命が……! なんとしてでも『がらくた』をあちらに渡さなくてはっ!)


 そんな侍従長に、役人達の後ろから現れた神官が笑顔で答える。


「確かに、第二王子との結婚はございませんが、実は第一王子が是非にとご希望なさったからなのでございますよ」

「は?」

「第一……王子?」

「ですから、一度婚約は解消、新たに第一王子との式を執り行いますので」


 突然の『差し替え』。

 しかも、王族派だが、王太子ではない第二王子ではなく、正妃はいるものの王太子である第一王子。


(本当なのか? しかし、神官がこうしてわざわざ来ているということは……だが、兎に角、入国だけはしなくては)


 彼は、現在の第一王子の立場と状況をまったく理解していなかった。

 寧ろ、次期国王に近い第一王子に『がらくた』を番わせられれば、その方が自王が喜ぶのでは……とすら考えていた。

 相手が『がらくた』を始末せずとも、深くまで入り込んで……王族を殺せるのでは? と。


『がらくた』と共にマイウリアに渡す侍女達に言い含めておけば、自分があの国に行かずとも上手くやるのではないか……と、浅い思考を自分にとって都合よく巡らせていた。


「左様でございますか、では、少々姫君に事情の説明を致しますので……」

「ええ、では皆様の馬車はそのまま中央扉からお入りください。脇は、平民達の通り道でございますから」

 目の奥に冷たい光の宿る神官の微笑みに、慌てて馬車へと戻る侍従長はまったく気付いていなかった。



 姫の乗っているはずの馬車の前でウロウロとしている侍女達に、侍従長は声を荒らげて命ずる。

「すぐに支度せよ! 中央門から入るぞ」

「侍従長……『がらくた』が、おりません」

「なんだとっ?」


 馬車はもぬけからで、姫が着ていたはずの服と靴が無造作に転がっている。


「馬車の扉が開けられており、この服と靴が……」

「誰も側にいなかったのかっ?」

 僅か三人の護衛兵は、不満を露わに反論する。


「……『がらくた』を守る必要などないと仰有ったのは、侍従長ですよ」

「我等は『持参品』のための護衛です。は俺達の仕事じゃない」

「多分、なりは悪くとも女ですから……売れると思った者が攫ったのでは?」


 誰も彼女を『姫』と思ってはいなかった。

 国王に嫌われているのであれば、それは不要な『がらくた』なのだ。

 王からの密命は侍従長が知っているだけだったので、誰ひとり『がらくた』に価値があるとは思っていなかったのだ。


「くそっ! しかし……このままではまずい……第二王子でなく、第一王子が婚約者になるというのだ!」

「え……っ? では、労せずしてこの国を……」

「そうだ。この機会を逃すことは、絶対にあってはならん。それに『がらくた』を渡せなかったと陛下に知られたら、我々はその場で殺される」


 焦る侍従長に、衛兵達が側に寄って囁く。


「……どうせ、あちらは『姫』の顔かたちなど知らないのでしょう? 身代わりを立てたらいいのでは?」

「荷物の中に身分証があったはずですから、あれを持たせればいいのですよ」


 護衛達は責任逃れの為に侍従長へ『提案』を持ちかける。

 そして侍従長もまた、責任など取る気はなかった。


「ああ、あれは偽物だ」

「え?」

「侍女の物を入れていた。何かあっても、すぐに対処できるように『本物』は私が持っている」

「ではそれを首にかけさえすれば『姫』のできあがりです」

「……そうだな。どうせ連れて来ている者達も、惜しげのない者ばかりだ」


 その稚拙な提案を、気持ちが逸り思考が杜撰なまま侍従長は受け入れてしまった。

 連れてきている侍女のひとりが『がらくた』と同じ二十四歳。

 背格好が似ているのも幸運だったと、有無を言わさずに着替えさせる。


「わ、わたしが『がらくた』の身代わり……? 無理ですっ! 全然、髪色とか違うし……」

『がらくた』の髪は赤みがかった金色、そして薄赤の瞳。

 自分の持つ茶色の髪と黒い瞳では、絶対に誤魔化すことはできないと侍女は訴える。


「向こうは何も知らぬ。そのまま第一王子と結婚すれば、王子の閨の相手だけしていればいいのだ。楽なものだろう?」

「そうとも。第一王子には既に正妃もいる。おまえには何も求められない」

「で、ですが、わたしは……その、夫が……」


 侍女は必死の面持ちで彼女の夫である衛兵のひとり……先ほど侍従長に真っ先に身代わりを提案した男に、縋るような視線を送る。

 だが、その想いが彼女の夫に伝わることはなかった。


「俺は構わない」

「……!」

「おまえが国のためになってくれるのは、大変な名誉だからな」


(この人……わたしなんて要らないんだわ。もう、二十歳を越えてしまったから……そうよ、きっと、二十五歳になった時に捨てる気だったんだわ……)

 絶望だけが彼女を取り巻き、ただ頷くことしか許されていないのだと知る。

「わ、かり、ました」

「よし、ではこの身分証を首から提げ、化粧をしろ。靴も履けるな?」

「はい……」



 侍従長を先頭に、ふたりの侍女、姫の乗った馬車とそれに連なる持参品の乗った馬車、その後ろに三人の護衛兵。

 中央の扉が開けられ、一行が第一の門を入る。

 マイウリアの国内に入るには、目の前のもう一枚の扉をくぐる必要がある。


「遅くなって申し訳ございません」

「いいえ、姫君のお支度というものは、時間が掛かるものでございますから……では、侍従と護衛の皆様はこちらへ」

「え、姫とは……」

「ご身分が違うのですから、検閲も別でございますよ」

「我々護衛はここまでで戻る」

「いいえ、こちらへ」


 護衛兵三人の後ろにはいつの間にかマイウリア兵がずらりと並んで、国境門がその後ろで閉められた。


「な、なんの真似だ」

「姫様の『確認』が済まねば、お通しもお帰りもいただけませんので」

「……」

「皆様に飲み物のご用意を」


 そのまま、護衛三人と侍従達は姫の馬車とは反対側の小部屋へと通された。

 目の前に温かい紅茶が差し出され、席に着く以外の行動はとれなかった。


 「大丈夫でしょうか……?」

 「『姫』の身分証なのだ。問題はない」


 ひそひそと喋る声が、神官の強い声に遮られる。


「では、皆様の身分証をこちらに載せてください。ああ、鎖を手に巻き付けたままで結構ですよ。我々は触れませんから」

「……念の入ったことだな」

「ディルムトリエンの姫君ご一行に、粗相があってはなりませんから」


 白い法服の神官は、銀の法服の神官に命じられたままに彼等の身分証を読み取って記録していく。

 そして全員の身分証の確認作業が終了し、神官達が退室して安心したのか、彼等は用意された紅茶を口にして少しだけ安堵の溜息を漏らした。



 別室にいる『姫』の元へと向かう神官に、白い法服の側近が近付く。

「あの護衛共の身分証が、確認できました。男は全員『隷主』、女ふたりは『隷位』です」

「そうか。やはり、あの国の『成人の男』というのは悉く犯罪者だな。腐った国だ……」

「何人かを、国内の不穏分子のあぶり出しに使いますか?」

「要らぬ。こちらで用意した手駒を使う。あれらがだけがあればいい。殺しても死体は焼かずに薬漬けにしておけ。身分証を使わせてもらうからな」


 銀の法服と白の法服のふたりが去ったあと、物陰に揺らめく影がひとつ、あった。


(なんという怖ろしいことを……この国の神官は神々の意を汲む者達ではないということだな。殺人を平然と指示するだけでなく、死者を弔いもせずに利用するなど……)


『影』はそのまま滑るように足音もなく、誰からも気付かれることなくその場から消えた。


 別室の偽りの姫は、身勝手な願いだけを繰り返している。

 後宮にいた頃、散々虐めてきた『姫』に成り代わらねばならないことに、どうしようもない怒りを感じながら。


(全部あの役立たずの『がらくた』のせいだわ! ああ、どうか、どうか、ばれませんようにっ! わたし……わたしだけでも助けてください!)


 神官達の足音が近付き、彼女の祈りは必死さを増していった。



 ディルムトリエンの最も北にある港から、イスグロリエスト・セラフィラント領のオルツ港行きの船が出航の汽笛をあげた。

 港湾事務所の男達は、先ほど現れた『ひとり歩き』について話している。


「なぁ、さっきのあの『ひとり歩き』に乗船券を売ってよかったのか?」


 すべての『女』は身分証を持っていないはずだ。

 なのにどうしてあの娘がそれを提示できたのかと、その男は不審に思ったのだ。


「あの一等船室の客が言ってたじゃねぇか。売り物が後から来るって、ありゃあの女のことだよ」

「ああー! いたな、そんな奴。そうか、別の奴の『女』を安く買ったから皇国で売るのか」


 身分証を『女』が持っていたのは、別の男から渡されて新しい主の所に行く途中だったからだと、彼等は納得した。

 おそらく、自分の『女』を売ったことを他の人間に知られないようにするために、主の男は顔を出さないのだろうと考えていたのだ。

 女が男の命令以外のことをするはずがない……彼等にとってそう思うことが当たり前であり正義だった。


「あの金額だったらドムエスタのペルーテまで行けたのに、どうしてオルツなんだって思ったが……そうか、あの客からの『付け届け』が入ってたってことか」

「後で分けようぜ」

「でもよ、売れるのか? あれ、年嵩いってただろう?」


 ディルムトリエンでは十六歳から二十五歳未満の『処分』には、かなりの金がかかる。

 父親が十六歳を過ぎていき遅れたものを売るにも、国内では買い手がつきにくいし二十歳を越えていたら金を払って引き取ってもらうくらいだ。

 さっきの『ひとり歩き』の身分証に示されていた年齢は、二十四歳。


 そして『与えられた女』を処分したい時は、更に金がかかる。

 二十五歳になってしまったら、父親に返すかそのまま自分のものにするかを選ばなくてはいけない。

 父親に返すには返却金という支払いをせねばらず、自分のものにしておけば養わねばならない。


 だが『始末』には、二十五歳で引き取ってから『賤棄』という『人外の身分』に落とさなくてはならない。

 二十四歳以下では、教会でこの『隷属契約』ができないからだ。

 だが、賤棄にするためにも、教会への喜捨が必要だ。


 それならばこっそり二十五歳前に国外に持ち出して売ってしまった方がいい……と思ったのだろう。

 隷位以下だと容易に帰化はできないから身分証の在籍地が変わることはなく、女が二十五になる時期に父親から身分証を受け取るだけで終わる。

 そして、その後死んだことにすればいい。


 最近、この国ではこのやり方で他国に女を売る者が増えているようだった。

 港湾事務所の者達は、東の小大陸や南西のドムエスタに連れられていく女達を何度か見ていた。

 彼等もまた、人を売るということにまったく罪の意識も心の痛みも感じない部類の者達だった。

 いや、彼等にとって『女』は『人』ではないのかもしれない。


「皇国では農園をいくつも作っているって話だから、そこで働かせるんだろう。『女』として必要なわけじゃねぇんだろうよ」

「それなら俺も売りに行こうかな。要らない娘がふたりいてよ。皇国までなら船賃も安い」

「あの客が戻ってきて、どれくらいで売れたか確認してからだな」

「うちは、全然産まねぇ役立たずを売りてぇな」

「最近、産まずに三十くらいで死ぬのが多いよな。この国じゃ処分に困るから、皇国で売れれば儲けもんだな」



 事務所奥の仕事用机で、聴くに堪えない不快な会話を耳にしていたその男は嫌悪感を露わにして溜息をつく。


(……この国、本当に駄目だな。吐き気がする。神々が見捨てた国は、子供が減って砂が増えるというが、さっさと砂に飲み込まれてしまえばいいんだ。だいたい、適性年齢前の女性に、子供ができるわけないだろうが!)


 適性年齢とは、神々が人として人を育むことをお許しくださる年齢のこと。

 その年齢に達しなければ、本当の『大人としての身体と魔力』になってはいない。『子供』が、身の内に子を作ることなど、できないのだ。


 そして、適性年齢後に子供ができないというのは女性のせいというより、男のせいであることの方が多い。

 魔力量が千以下の男では非常に子供ができにくいということは、当たり前の知識だ。


 確かに他国人は魔力が少ないが、それでも千以下がかなり多くなっているということまでは、彼は知らなかった。

 成人すれば誰でも千五百は魔力を有していて当たり前というのが、今や自分達の国だけであるとは思っていなかったのである。


 自分らが神々からろくな加護をいただけていない身でありながら、なんと厚かましく、忌まわしい奴等だ……と、睨むことすら穢らわしくて目を逸らす。


 彼が視線を動かした窓の外に、港をあとにしたイスグロリエスト船籍の大型船が天光の輝きを浴びて、東へと走っていく姿が見えた。

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