第2話『猫又の虎太』

◇◆◇



「おー……雪風ー。久しぶり」


 暗い気分を、少しでも変えてみようと眠い目を擦りながら邸の外を歩いていたら、幼馴染の虎太が声を掛けて来た。


「え? 虎太? なんで、こんなところにいるの?」


 私は、良く知っている猫又の彼がここにいることが素直に不思議だった。


 私たち雪女は、もちろん雪の降る山の頂上付近に住んでいる。彼ら猫又の集落があるのは、雪の降らない山の麓だ。


 だから、元々住んでいた山で私と彼は幼馴染と言っても冬の間に会うだけだった。茶色い猫耳と可愛らしい顔を持つ彼は、とても心外だと言わんばかりに眉を顰めて肩竦めた。


「俺は一週間前の雪風の婚礼の日から、こっちの山に来ていたんだよ。雪風に会いたいって言っても。あいつら、なかなか会わせてくれなくて」


 虎太は道を歩いている私の隣に、当たり前のように寄り添った。その近さには、少し違和感があった。いつもより、なんだか近いように思えたからだ。


「あ。お祝いに来てくれたの? 私は、誰からも何も聞いていなかったけど……」


 何か手違いがあったのかもしれないと首を傾げた私に、虎太ははーっとわざとらしく大きな溜め息をついた。不思議そうな表情をする私を見て、いつものように頬を人差し指で押した。


「だろうねー……あの海神。俺のこと、何も言ってないのかよ。花嫁にすりゃ、後はなんとかなるって? はーっ! まじでムカつく……まあ……良いか。こうして、雪風に会えたし」


「……虎太?」


 にやっと不敵に笑った虎太は、戸惑っている私の肩を抱いて無理に方向を変えて進んだ。


「ねえ。雪風。そういう権力なんかに興味のない君は、何も知らないと思うんだけど。俺も猫又族の族長の息子でね。出来たら……雪風をどうにかして嫁にしたいなって思ってたんだ。雪女の君には、住むところの問題とかもあるから。親父がまだダメって言ってて……そんな事をしている内に、海神に横からかっさらわれた」


「えっ……虎太……待って。待って! 私。もう紫電さまの妻だから。もう……」


 彼の言いたいことを察した私は、自分が既婚者であることを言おうとした。


「ははっ……けど、まだ雪風は処女だろ? 知ってるよ。俺たちあやかしの結婚は、肉体関係の成立も含まれる。だから、まだ……間に合うんだ。雪風」


「待って……何で知ってるの?」


 私はその辺りで、背筋にゾッとするものが通り抜けた。あんなに親しかったはずの虎太が怖い。肉体関係のあるなしなんて、こうして目に見えてわかるはずないのに……なのに。


「海神だなんだと持ち上げられているあいつも、全く真逆の属性にある山の中にあれば、自分の能力は半分以下だ。そして、猫又の俺はこういう山の中では絶好調。そして、人の夢を操るのって……俺は凄く得意だから」


「嘘! もしかして、虎太が……虎太が全部?」


 不穏な流れを感じた私は慌てて虎太から身体を離そうとしたけど、ぎゅうっと肩に回された腕に力を入れられて逃げられない。


「はは。そうなんだよねー……そうそう。海神って言っても、大したことないよな。夢の中で妻をどんなに抱いても、意味などないのに」


 この前に私の夫となった紫電さまをせせら笑うような、虎太が信じられなかった。


 私と虎太と知り合ったのは雪で道が見えなくなって迷っていたのを、彼に麓まで送り届けてあげたことで始まった縁だった。


 それからも折々に頂上付近にまで私を訪ねて来る可愛い彼に、親切にしたつもりだった。まさか、私の結婚を知ってこんなことをするなんて思わずに。


「ひどい! そんなことしても……私は、虎太と一緒になったりしないわ! だって、私が好きなのは、紫電さまだもの!」


 紫電さまは、とても優しく穏やかな性格だ。海神の地位を持ち整った容姿を持つというのに、全く奢ったところがない。女性が、好きになってしまう要素しかない。


「……さっきも言ったけど。もし、俺と肉体関係結んでしまえば、あいつの正式な、嫁にはなれないよ……雪風」


 無理に歩かされる私の前に広がる緑茂る森は、もうすぐそこだ。焦げ茶色の丸い目の奥は、昏い。


「やめて……私はっ……」


 泣きそうになりながら腕の中で藻掻くけど、彼との力の差は埋めがたい。


「か弱い雪女なのに、猫又の俺から逃げられると思ってるの? 無理だから、諦めなよ」


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