カラス鳴く暁の空に
蛇蜘蛛
僕が僕を諦めた日
プロローグ
(…今日は夢を見る日か)
だが意識はハッキリしている。所謂『
彼は足元も見えないほどの暗闇をひたすら歩いている。否、歩いているのかさえ分からない。何せ視界が真っ暗な上に何の音も聞こえない。ただ分かるのは、遥か遠くで灯火のように揺らめく小さな光に向かって進んでいるということだけ。
しかも妙な事に、彼は物心ついた頃からこの夢しか見たことがなかった。実際、常人と見ている夢が違うということを、少し大きくなってから本を読んで初めて知ったくらいだ。
毎日見ている訳では無いのだが、その夢で揺らぐ光は歳を重ねるごとに少しづつ近くに、より鮮明に感じられた。まるであそこが人生の終点だと言わんばかりに。
そんな金縛りとも言える状況が起きるまで続く。この夢を見始めた頃は、なぜ暗闇の中を進んでいるのか…あの光はなんなのか…目指す目的はなんなのか…色々考えていたが、1000回以上見るうちにそんな疑問は飽きてしまった。もはやこの夢を見て退屈すらも感じない。
気が付けば、先程まで感じなかった重力と共に目が覚める。体が重い。
枕元に置かれた時計を見ると、そろそろ施設の食堂が開く時間だ。二度寝すれば学校にすら遅れてしまうだろう。
厚掛け布団を雑に跳ね除けて起き上がる。
最近切ることをサボってボサボサの髪を手櫛で整えながら机の上のスマホを開く。通知には『あいつ』からの「生きてるー?」というウザイ顔のスタンプ連打254件。通常運行である。
(ブロックしたい…)
しかし、このアドレスは学校のグループ活動に必須な唯一の連絡手段なのでブロックは許されていない。いつも通り既読せず履歴を削除することしか出来ない。
遺憾を残しつつ、そっとスマホを閉じて部屋の扉を開く…
ベチャッ
左足の裏に何か付いた。下を見ると扉の前に置かれた強力な粘着ネズミ捕りが足の裏に絡みついている。
幸い靴下を履いていたので直ぐに足から取り外すことは出来たのだが、ネズミ捕りから引っ付いた靴下を剥がそうとすると繊維がボロボロでもう使い物にならなくなっていた。彼はまとめてゴミ箱へ捨て、新しい靴下に履き替える。
彼はさも平然とこの出来事に対応しているが、これだけでは終わらなかった。
食堂へと移動し、朝食を待つために席に座るが、後から来た人は明らかに彼を避けて座っている。
しばらくして、施設員が朝食を持ってきたので取りに行こうとすると、
「あっ」
足を掛けられ危うく転びそうになり、思わず声が漏れ出る。それを見て犯人は何度見ても飽きないと言わんばかりに嘲笑う。
朝食を取り終え席に座る。すると一席空いているにも関わらず、横からおかずを1つ横取りされた。別に晴空の好物という訳では無いが、犯人は堂々と横取りしたおかずを貪り食っている。
このように朝だけで周りからされたい放題である。それでも彼は、何も言わないし抵抗しないのだ。
彼の名前は『
産まれて間もない頃、現在晴空が住んでいる児童養護施設の前に捨てられていたところを拾われて育った。
晴空が入っていた籠には、彼の名前と「この子をここに託します」といった主旨の手紙が入っていたらしい。
だが、あろう事か施設員は晴空をあまり歓迎しなかった。何せ、手紙には捨てなければならない経緯が書かれておらず、施設員の中で様々な憶測が飛び交う事になった。
結果、施設員からはあまり可愛がられずにいた上、そのせいで彼に対する態度が施設の子供に気付かれ、自然といじめの対象になっていた。暴言、暴行、無視などを散々受けてきたが、もちろん施設員が気付かないはずがなく、いじめた子供に注意することはあった。しかし何度いじめようが軽く注意する程度で、児童がそんな指導で反省する訳がなかった。
そう、幼くして晴空はいじめられ、何度も自分の境遇に疑問を持ちながらも、それが日常となっていった。
決して我慢も、絶望もしていない。晴空にとってこの境遇は、子供同士がおもちゃを取り合う喧嘩による成長と対して変わらなかった。あるのはその『成長』する為の代償が大きいかどうかの違いだけ。
その後、学校に通うようになってもいじめが止む気配はなかった。むしろ晴空の生い立ちが学校中に拡散され、挙句の果てには晴空と同じような生い立ちの子までも便乗するようになった。
普通の子供なら、思春期に差し掛かる頃のいじめは心に刺激が強すぎる。しかし、晴空に関しては小学生の時点でこれ以上すり減るものなどなかった。晴空に思春期という心の変化は訪れそうにない。なぜなら既に自我さえ危ういのだ。
そんな晴空は、何を生きる意味としているだろうか。否、考えるだけ無駄なのかもしれない。いくら晴空に同情を抱こうとも、心のすり減った者と同じ感情なんぞ抱けるわけが無い。
そもそも晴空に同情など必要のない行為だ。なぜならこの現状を変えようなんて思っていないからだ。変えようと努力しようとは考えない。
青山晴空とは、そういう性格だ。そういう性格に育ってしまったのだ。
(…行ってきます)
晴空は言う相手のいない挨拶を交わし、学校へ向かうべく施設を出る。その足取りはどんよりと重く、まるで晴れ空さえ覆い尽くすほどだった。
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