命日記

ヨッキ

第1話

 誰もいない公園でしゃがんだまま線香花火に火をつける。手持ち花火の中で最後に火をつける種類。小さく弾けるオレンジ色を見ているとどこか落ち着く。

「あの日からもう四週間か」

 夏特有の生暖かい風が吹く中、そう呟くと花火の灯りは落ちて辺りが暗くなった。


 今日も僕は寝る前に日記を書く。多分小学生の頃から書いている気がする。なんで始めたのかははっきりとは思い出せない。

「今日は特に何もなかったかな」

 そう呟いて新しい日記帳にペンを走らせようとした時、書こうとしたページの裏にうっすらと文字が書かれていることに気づいた。

 ページをめくってみると明日の日付とともに『以前自転車を修理してもらった店が閉店していた』という一文が書かれていた。

「なんだこれ。誰かの悪戯かな」

 とは言ってもそんなことはあり得ないだろう。日記帳は兄さんから譲り受けたものだけど、こんなことを書くような人だったかな。いやありそうだな。あの人は結構変なことするからな……。

 深くは考えず、ノートに今日は特に何もなかったとだけ書いて寝床についた。


 翌朝、伊達からの電話が目覚まし代わりになった。なんでも今日、伊達のマンション近くのドーナツ屋でドーナツビュッフェがあるらしい。昼に食べないかと誘われ、寝ぼけ気味に返事をした後、僕はまた目を閉じた。

 十一時半。僕は待ち合わせ場所に向かって自転車を走らせていた。ドーナツ屋は僕の住んでいるマンションからだとまあまあ遠い。赤信号で足止めをくらい、早く色が変わらないかとじっと見ていた。ふと周りに目をやったその時、僕は交差点の向こう側にシャッターの閉まった店を見つけた。

 普通の人だったら、その店に対して気に掛ける理由はないだろう。でも僕にはあったのだ。信号が青になったのを確認してその店へと向かった。大した距離ではないはずなのにやけに遠く感じたのは昨日の事が本当になってしまうのではという、何か予感のようなものがしたからだろうか。ようやく着いた店のシャッターに貼られた紙にはこう書いてあった。

『店主が脳卒中で亡くなったため、閉店』

 前に電話で応対してくれた店主の奥さんが書いたものだろうか。パソコンで作成した個性のない文字が書かれた紙は少し破れかけている。三ヶ月くらい前に、劣化したタイヤを交換してもらうためにこの店に行った。気さくなおじいさんという印象の店主は、今の時代にありふれている健康そうなご老人だった。まさか亡くなっていたとは。


 伊達と合流して昼食を取ることになったのに、僕はドーナツにあまり手をつけられずにいた。

「なんか全然食べてないけど、大丈夫か?」

 伊達はその大きな図体に見合った量のドーナツを食べながら僕の顔を見て言った。

「今日、ここに来る途中に近くの自転車屋が閉店してるのを見てさ」

「ああ、最近前店主が亡くなったみたいだね。でもそんなに考え込むほどの事?」

 誰かが死んだというニュースは多かれ少なかれ人にショックを与えるように思う。けど伊達が言うように、身内とか近しい関係の人でないのなら考え込むほどの事ではないかもしれない。時間がたてば、「ああそんな人もいたな」と思い出すくらいだ。

 それよりも今気になっているのはあの日記帳の事だ。昨夜に見た『以前自転車を修理してもらった店が閉店していた』という一文。それが現実になっている。どういう事だろうか? 得体の知れない何かが起こっているのか?

「体調悪いなら先に帰ってもいいよ。残したやつは俺が責任もって食っとくし」

 体調が悪いわけではないが、確認したいことがある。僕はその言葉に甘えることにした。しかしドーナツはもう少し食べたかったので一つだけ食べてから帰ることにした。そう決めた僕がどのドーナツを食べるのかを伊達は食べ放題にもかかわらず、気にしているように思えた。僕は彼の旺盛な食欲に呆れとも憧れとも呼べそうな感情を抱いた。

 代金を伊達に渡し、僕は急いで自転車を飛ばしてマンションへ向かった。いつも通り鍵を開け、玄関にある靴箱の上に自転車のカギを置いた時、僕は身震いするほどの衝撃を受けた。

 机の上に置いたはずの日記帳がそこにあったのだ。

 さっきから起こっている現象が脳内の不安と疑問符の渦を大きくさせる。僕はその日記帳を手に取ってページを恐る恐る開いた。ページには『おかえり』と書いてあった。

 その単語を脳がはっきりと認識してしまったと同時に言葉にならない叫びをあげた。僕の体に悪寒ではなく戦慄が走ったのだ。そのせいで思わず日記帳を落としてしまった。

『そんなに驚かれるとは心外だね』

 床に落ちてたまたま開いたページにはさらに新しく文字が書かれている。この日記帳は生きているとでもいうのか。

『まあ、そんなとこだよ』

 しかもこちらの心情を読み取ってページに文字を写すことで会話してきている。ホラー映画の中にこんな作品があったような気がする。でもあれは日記帳じゃなかった気がする。確か……いや、それは今はどうでもいい。

『自己紹介をさせてもらうよ。私は君という人物の歴史を記録するために存在している。いわば人物史という奴さ』

 人物史? 死ぬまでの一生という事か。それが何故僕の手元にあるんだ。

『私には致命的ともいえる欠陥がある。実は私は土日祝日という、休日限定でしか機能しない人物史、いわば欠陥品なのだ。そのために持ち主に古本屋に売られ、そこに置かれていたのをたまたま君の兄が購入し、巡って君の手元に来たわけだ』

 こんな訳の分からないモノの持ち主は何者なのかを聞きたいところだったが、それよりも僕は生きている日記帳を最後のページからパラパラとめくった。考えたくもないけど人物史が編纂されているという事はおそらく。

 まだ新しい日記帳のずいぶん最初の方といえるページにそれは書かれていた。

『この日記帳の持ち主、旭川悠斗が死んだ。』

 それは今日から四週間後にあたるページだった。


 夕食に唐揚げを作ったものの、さっきの事が胸につかえてろくろく喉を通らない。一番好きなものを美味しく味わえないのはつらい。

 食べ物が乗っていた皿をようやく片付け、また少し気になって日記帳を開いた。

『美味しかったかい?』

 そんなに。

『そう。また機会があれば教えてくれればいいよ。にしても君は未来の事実を見てもあまり驚いたりはしないんだね』

 ちょっとは驚いたし、死ぬのが怖くないなんて言ったら嘘になる。けど人が死ぬのに伏線なんてないし、今日だって車に撥ねられて死んでいたかもしれない。

『そんな風に人が死ぬから理不尽という言葉が存在するのかもね。ただ、今回の場合は四週間後のその時までは死なないことを知ったともいえる。ああ、あと少し言い忘れていたことがあった』

 文字で伝えているんだから「書き忘れた」というべきじゃないかと思った。

『私の場合はこれが言葉として発していることになる。改めて言うけど君が死んだら私も死ぬからな』

 それはどういうことだ。

『君が死んだら人物史としてこれ以上先の事を記録する必要性もないだろう? 私はその時点でお役御免。君と一緒にジ・エンド。私は長編の人物史としていたかったのに、全くとんだ人物史を記録することになったものだよ』

 やれやれとでも言いたげな「文」に少しむっとしたがそれもどうせ読まれているんだろう。でも、だとしたらこいつもまた「死ぬ」ことは怖くないのだろうか。

『私が人物史である以上そういう運命だと受け入れているし、その日までは欠陥品なりに役目を果たすつもりさ。むしろ君たちの方が不思議でならない。死を怖がっておきながら今を大事にして生きているといえるのかい?』

 それを言われて僕は言葉が詰まる。

『難しい話だったかな。とりあえず私たちは運命共同体だ。よろしく頼むよ、旭川悠斗君』

 嬉しくない運命共同体だと思いつつ、この日から生きた日記帳との共存が期間限定で始まった。

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