転生ショートショート

陰野ぼんさい

【転生】輪廻【SS】

 エヌ氏は人生最期の日、大通りを歩いていた。

 日は高く昇り、小春日和で暖かい。

 散歩にはうってつけの日だった。

 人生とは思いもよらぬもの、突如暴走トラックが突っ込んでくる。痛いと感じる間もない。エヌ氏が昏睡状態から目覚めるとそこは、剣と魔法のファンタジーの世界だったのだ!

 エヌ氏は少し不思議なことになれている。これが俗に言う異世界転生だということにすぐに気がついた。しかしそれはそれとして困ったことになったぞと思うのである。何しろ彼はこの世界の言葉を全く知らない。

 言葉がわからなければ、仕事もできないし結婚も出来ないだろう。第一、お金を稼ぐことが出来なくては飢えて死んでしまうかもしれないではないか……。

 さあ大変だ。

 これはまずい、とってもまずい。

 だがしかし、エヌ氏の心配はすぐに解決された。というのも、彼以外にも日本語を使える現地の人がちらほらいるのである!……その辺の説明は省略するとしよう。

 ともかくこうしてエヌ氏は、異世界転生後すぐに職を得ることができたのである。そして冒険者として立派に一人前となり、やがて可愛い嫁さんまで貰ったりした。

 そんなある日のこと、いつものように仲間と一緒に酒場に行くとそこには見覚えのある顔があった。昔自分が平社員を勤めていた会社の上司だったのである。どうやら彼はこの世界にやってきたときに一部記憶を失ったらしく(あるいは都合よく改竄したのか)、自分と同じように冒険者をやっていたのだ。冒険者歴二十年というからこちらでも大先輩になる。

 そして今日たまたま再会を果たし酒を酌み交わして、こんな会話になった。

「そういえばお前、いつから冒険者をやっているんだ?」

「そうだな……かれこれ十年くらいになるかな?」

 言った後にエヌ氏はしまったと思った。先輩に対してタメ口になっている。この元上司は言葉遣いに厳しく、エヌ氏は何度怒られたことか。

 ところが元上司は気にすることもなく会話を続けた。

「実は俺は異世界からきたんだぜ」

 エヌ氏は元上司のこの言葉に違和感を覚えた。それをいうなら「現実世界からきた」というべきではないか。今いる異世界から見て、現実世界のことを異世界と呼んだだけかもしれない。しかし、言葉遣いに厳しい元上司がそんな言い方をするだろうか。

 この元上司は本当に元上司なのかわからなくなってきた。そういえば顔のディテールもなんだか違う気がする。とはいっても元上司の細かい顔の違いがわかるほどまじまじと観察したこともない。

「ほほう?なるほど、それで日本語を知っているわけか!」

 とは言ったもののこの異世界には日本語話者がわんさかいるのだ。日本語をしゃべることができるだけでは転生者の証明にはならない。

 エヌ氏、ここで思い切って本当のことを話し反応を見る。しかし相手はあまり信じてくれなかったらしい。

「転生前に上司と部下の関係だったなんて信じられん。遥か昔の記憶すぎてあいまいだが、俺に部下なんていた覚えはない。ほんとにお前あの会社にいたのか?幽霊社員って奴か?あっはっはっは!」

 エヌ氏はついカッとなった。生前からのうらみつらみもある。ロングソードを引き抜き、振り下ろした。

 元上司の頭は完全につぶれている。

 大丈夫、異世界に警察はない。

 しかし、酒場に用心棒はいる。

 エヌ氏はガラの悪い三人の男に外に引っ張り出され、なぶり殺されてしまった。

──ここはどこだろう……。

 真っ暗だ……何も見えない……それに体が動かない……。

 いったいどうなっているんだろう……。

「あ、気付きましたか?」

 ……誰?

 この人は……ああ、看護士さんかな……違う、これは……夢?……そうか、やっと思い出してきたぞ。

 なんてことを考えていると急に目の前に光が溢れてきて、その眩しさのあまり思わず目を瞑ってしまった。

 しばらくしてようやく目が慣れてくると、そこには見たこともないような美人がいた。まるで絵画の世界から抜け出てきたかのような……とても綺麗な人だと素直に思った。彼女は微笑むように優しく話しかけてきてくれた。

「初めまして。私はこの世界で女神をしているものです。あなたにまた剣と魔法のファンタジーの世界に転生してもらうため、こうして会いに来たのです」

「それはご丁寧にどうも。実は転生は二度目なのですが、現実世界から最初に転生されたときに誰も来なかったのはどうしてなのですか」

 エヌ氏は何か理由があるのかと聞いてみると、ささいなことが原因だった。

「あなたが最初の転生者さんだったので、会いに行くのをすっかり忘れてました」

 この女神なんとも頼りない。

 エヌ氏は一つ気になることがあった。女神は自分を最初の転生者と呼んだが、それでは自分より先に転生していた元上司はいったいなんなのだろう。そこのところを聞いてみた。

「自分より先輩の転生者に会いました。その人が最初の転生者では?」

「転生者はあなただけしかいません。だからその先輩はあなた自身です。これからあなたは死ぬたびに何度も同じ剣と魔法のファンタジーの世界に転生するのです。ときには今よりずっと過去に転生することもあるでしょう。初回サービスであなたの現実世界の顔のまま転生させましたが、これからはランダムで人相が決まります。それでは来世にいってらっしゃーい」

 訳もわからないまま女神に見送られる。理解が追いつかない。

 整理しよう。自分はこれから死ぬたびに何度もこのファンタジーの世界に転生する。顔はそのつど変わる。元上司は転生した未来の自分の一人。

 ああ、なんてこった。エヌ氏は未来の自分を殺してしまったことにようやく気づく。

 いつか自分に殺されるということを、しっかり覚えていれば悲劇は避けられるだろうか。

 気が遠くなる。あのわんさかいた日本語話者がみな転生した自分だとしたら、元上司に転生するのはだいぶ先のことかもしれない。

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