第4話 被検体10854番

 目の前の球体に告げられた言葉に頭がついていかない。


「ところでその、被検体いちまんなんたらって、なんなの?」


『被検体10854番とは私が観察すべき対象だ。つまりお前のことだ』


 ……やっぱりか。

 なんとなく想像はついたけど、被検体とやらになってしまったらしい。


「なんの被検体なんだ? なんで子どものすがたなんだ?」


 わからないことだらけではあるが、答えを持っていそうな目の前の球体に聞いてみるしかない。


『当施設はスキルについて研究している施設だ。今回は無能者にスキル因子を注入することで、スキルが発現するかどうかの実験中ということだな』


「実験……」


 勝手に人体実験が行われたことに恐怖を感じるが、あのまま放置されていれば死んでいたことを考えれば運がよかったのかもしれない。お腹を見れば傷跡は一切ないし、今は痛みもない。

 それにしても無能者ってのはなんなんだろうか。スキルをさっぱり獲得できなかった自分には相応しいレッテルではあるが。


『そしてその姿になっているのは因子を大量に注入するためだ。若い者ほど注入最大量が多いので、肉体を活性化させてもらった』


「え?」


『それくらいの肉体年齢が注入量が最も大きいのだよ』


「……えぇ?」


 よく意味が分からなくて二度も同じ言葉が漏れてしまう。古代文明は人を若返らせることもできてしまうのか。それよりもだ。


「無能者というのは?」


『スキル因子を持たない、または保持量が極端に少ない者を無能者と呼ぶ。スキルというものはその因子を持つ者が発現するシステムだ。決して神の声などという非科学的なものによって付与されるものではないのだよ』


 後半の言葉には侮蔑の感情が混じっているようにも感じられたが、この観察者からもたらされた言葉は衝撃的だった。


『研究によりスキル因子を抽出し他者に与えることができるようにはなったが、成人した上でしかも少ない因子でスキル獲得にまで至った人種での実験体は貴重なサンプルだ』


「その、スキル因子を持ってないと、絶対にスキルはかくとくできないもの……なの……?」


『当然だ。本人の努力による技術の向上はあるだろうが、ある一定量の因子がなければスキルは獲得できない』


 そんなことはないはずだと願望を込めて聞いてみたが、その答えは無情なものだった。

 剣術スキルは持っているが、それ以外は皆無だ。平民の成人でも平均で5つはスキルを持っていると言われているのだ。当然私だって他のスキルも獲得できると思うじゃないか。そのために剣術以外の努力もしてきたのだ。


 槍術、短剣術、弓術の武術系スキルに始まり、地水火風の魔術系スキルや斥候系スキル、補助系スキルなどあらゆる努力を積み重ねてきた。それがすべて無駄な努力だとばっさり切り捨てられたのだ。


「はは……、ははは……」


 衝撃の事実に乾いた笑いが漏れる。

 今までしてきた努力はいったい何だったんだと。

 特に怒りは湧いてこないが、虚しさだけが胸を満たしていく。


 でもよく考えれば、もうこれ以上無駄な努力はしなくてもいいのだ。それがわかっただけでもよしとしようじゃないか。とにかく命は助かったのだ。


「……お腹すいたな」


 何分間ほどそうしていただろうか。

 これからのことに意識が向き始めたとき、急に空腹に襲われた。

 お腹に手を当てるとすごくへこんでいる。よく見ればガリガリに痩せた体型だ。全裸なのも相まって、痛々しいほどだった。それに体も思ったように動いてくれない。さっきまでは気にならなかったけど、言葉もきちんと発音できておらず舌足らずだ。


『この施設に生物が摂取可能な食料は存在していない。ここで被検体10854番に餓死されても困るので、外に出ることを勧める』


 私の呟きを拾ったのだろうか、ずっと目の前に佇んでいた球体から声が響く。ここから出るというのは私も賛成するが、その前にこれだけは言っておきたい。


「ちょっと、その被検体なんちゃらって呼ぶの、やめてもらえませんか」


『なぜだ。被検体10854番は被検体10854番だろう?』


 若干イラっとしつつも文句を言うと、取り付く島のない返答が返ってくる。


 ――サイラス・アレイン・ラルターク


 それが私の名前だ。

 しかしどうだろうか。古代遺跡の視察中、探索者に殺されそうになった。あれから何日経っているかわからないけど、サイラス・アレイン・ラルタークはもう死んだ人間扱いになっていないだろうか。

 それにこの幼児体型だ。名乗ったところで誰も信じないだろう。だったら私は、ただのサイラスとなったほうがいいんじゃないだろうか。


「あたしにはあいりゃすって名前があるんだから」


 噛んだ。盛大に噛んだ。「私」という言葉もそうだが問題は自分の名前だ。


『そうか。ならばアイリスと呼称することにする』


「ち、違うから! さぁいりゃすだから!」


『アイリスだろう?』


 訂正するも通じていない。というか自分の口もうまく回っていない。なぜだ。


「違うもん! さいりゃすだもん!」


 じわりと目に涙が浮かんできた気がする。何度も名前を繰り返すが、はっきりと「サイラス」と発音することができない。


「さ、い、ら、す……」


 一文字ずつであれば問題はなさそうだ。これを順番につなげるだけの簡単な言葉のはずだ。

 大きく深呼吸をすると口周りの筋肉を意識して言葉を紡ぐ。


「しゃいりゃす」


 さっきより悪化した発音に思わず頭を抱える。床に寝転がって悶絶したいところだったがなんとか耐える。服を着ていないので痛そうだ。


『アイリスでインプット完了だ。変更は受け付けない』


 一人で悶える私に、観察者の無情な声が止めを刺した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る