第10話 演技

 変わり果てた唯を見つめる晃の背中は、とても悲しげだった。

「途中からだが、夏希も、唯も、信一がやったってのは分かったよ」

 唯にタオルケットをかけ振り向いた晃の顔は、激昂してるわけでも、涙を流しているわけでも無かった。普段と変わらない晃がそこにいた。晃は決して人前では弱音を吐かない。俺と唯を除いてだ。

 しかし、この中で一番悲しみ、そして怒っているのは晃だろう。

「何で、何でこんなことになっちまったんだろうな。俺が、この島に来ようなんて言わなければな……」

 晃は拳をギュッと握り、悔しそうに唇を噛んだ。

「二階堂は悪くないよ。全て信一のせいなんだから」

「いや、俺がずっと唯の傍にいてやれば、こんなことにならなかったはずだ」

「一体、どこに行ってたの?」

「地下室だ。唯にタオルケットをかけた後、二階をざっと見て回り、その後地下室に言ったんだ。んで、異常が無いことを確認して戻ってきたら、お前らの話が聞こえた」

 だとしたら信一は一体何処に潜んでいたのだろう。

「なんでこいつはこうなっちゃったんだろうね」

 各務さんがため息混じりに呟いた。俺達は椅子に縛り上げた信一を見る。晃の一撃で気絶しているが、死んではいないようだ。

 信一からは、まだ聞きたい事が沢山あった。止めを刺そうとした晃を制し、縛り上げることにしたのだ。

 以前の信一の面影を残しているが、別人、いや別の生き物と言っても過言ではない。赤く変色した肌、華奢だった体は3倍ぐらいに筋肉がつき、額には鬼の象徴とも言えそうな瘤がある。

 本当に、どうしたらこうなるのだろうか。

「僕の、僕のせいかな?」

 各務さんが、涙ぐんだ瞳で見つめてくる。

「僕が銛で怪我をさせたから。それでこんな風になったのかな」

「俺は、違うと思うよ」

 とても各務さんらしくない弱音だなと心の中で思う。

 確かに傷口から雑菌が入り、化膿するということはあっても、こんな風に変異するとは思えない。

「姿を消すまでは普通だったんだ。恐らく、その後に何かしらあったんだよ」

 そう考えるのが一番妥当だろう。

「もしくはそれ以前、だな」

 晃が低い声で呟く。

「以前って、どういうことよ?」

 各務さんが、晃の呟きに反応した。

「この島に下準備しに来た時だよ。あの時に何かあったのかもな」

「どちらにせよ、問題はこの島にあるって事なのかな」

 晃が話した鬼の伝説。あながち嘘では無かったのかも知れない。それにしても、下準備にも訪れていたなんて。いくら俺の為のサプライズだったとしても何となく仲間外れにされたような気がしてしまう。

「唯なら、今すぐ帰りたいって言うんだろうな」

 晃は自嘲気味に笑った。俺は、それを見ていたたまれない気持ちになった。

「僕は帰らないよ。信一をこんな風にした原因を確かめたいし、夏希達の敵をとりたい」

 帰る、帰らないと騒いでみても、雄二さんの迎えが来ない限り、俺達は島から出られない。

「俺も、原因が何なのか知りたい。このまま帰ったらおれ自身納得が出来ない」

 さっきは衝動的だったとはいえ、いざという時にかつて友だった信一を手にかける自信は無い。たとえ信一をこんな風にした原因が、他の人間だったとしても同様だ。

 俺に、俺に人が殺せるのか?

「俺は原因が何であれ、こいつは許せない。本当なら、今すぐこの手で殺してやりたいけどな」

 晃は拳を強く握り、憎々しげに呟いた。俺にはそこまでの覚悟は無い。心のどこかで、信一が元に戻るのではないかと思っている。

 確かに夏希や唯を殺した事は許せない。しかし、だからといって信一を殺す事は出来ない。

 やはり、俺は信一が言うように卑怯なのだろうか。

「石川君、どうしたの? すごい難しい顔してるけど」

「いや、何でも無いよ。ちょっと考え事してただけ」

「そっか、なら良いんだけど」

 どうやら、各務さんに心配されてしまったらしい。

「こいつが目覚めない限り、どうにもならないよな」

 俺は目の前の鬼を見つめた。

「実は死んでるんじゃないの?」

 各務さんがさらりと冗談めかして言った。

 その時だった。

 椅子に縛られている信一の腕がピクリと動いた。

 一気に緊張が走る。

 晃と各務さんは立ち上がり、武器を握りしめている。俺は、座ったまま動けずにいた。しかし、武器はいつでも手に届く範囲に置いてある。信一が真っ直ぐ俺を狙ってきた場合、間に合うかどうかは分からないが。

 信一は椅子をガタガタと揺らした後、ゆっくりと顔を上げた。

「なぁ、何で俺縛られてんだよ。これ、ほどいてくれよ」

 姿形は鬼のままだが、顔の雰囲気は以前の信一に戻っている気がした。

「それは出来ない相談だな。お前には聞きたい事があるんだ」

 晃が憎々しげに睨み付ける。

「そうだよ。あんたは何をしたって許される事は無いんだから」

「まゆっちまで。何なんだよ、俺が何をしたって言うんだよ」

 その表情は真剣そのものであり、今にも泣き出しそうだった。

「お前、覚えて無いのか?」

 その雰囲気に、もしかしたら元の信一に戻ったのではないかと俺は思った。

「ああ、全く状況が分からねぇよ。なぁ、秋人、教えてくれよ」

 信一は本当に覚えていないのかも知れない。鬼に豹変し夏希達を襲い、そして、今は正気に戻っている可能性もある。

「お前が夏希と唯を殺したんだよ! とぼけるのもいい加減にしろ!」

 俺が答える前に、晃が怒鳴っていた。今にも手にした模造刀を振り下ろさんばかりだ。

「本当に知らないって言ってるだろう。勘弁してくれよ」

 信一が泣きそうな声をあげる。

「なぁ、ロープぐらい解いてやったらどうだ?」

「そうだよ。秋人の言う通りだよ。何もしないからさぁ、頼むよ」

 椅子ごと体を揺らし、必死に抗議する信一。

「ダメだね。まだ安心出来ないもん」

「そうだ。演技って可能性もある」

 頑なに信一を解放する事を拒否する二人。

「二人ともどうしちゃったんだよ。少しは冷静になれよ」

「僕は冷静だよ」

「俺もだ。冷静じゃ無いのは秋人、お前だ」

 晃が信一を睨み付けたまま、俺に言った。俺はいたって冷静なつもりだ。気絶から目覚めた信一が、いきなり襲って来る可能性があったから縛りつけた。俺はただそのつもりだった。

 しかし、今は信一が正気に戻ってると思えるし、ロープを解かない事には話が進まないのではないか。

「とにかく、知ってる事を話してもらう。解くかどうかはそれからだ」

 晃が握りしめた模造刀の切っ先を、信一の眼前に突きつける。皆が殺気だっているためか、クーラーがついているというのに息苦しく蒸し暑く感じた。

「本当に全然覚えて無いんだ。お前らが何かを追いかけて行った後、すごく身体の中が熱くなって、それで、気持ち悪くなったから岩影に吐きに行ったんだ」

 俺達は黙って信一の話しに耳を傾ける。

「そしたら物凄く頭が痛くなって、目が覚めたら夜になってた。すごく腹がへってて喉も乾いてたから、持ってきてた食料を食べたんだ」

「テントを荒らしたのはお前だったのか」

「そうだよ。でも、それでもまだ苦しくて、必死にここまで来たんだ。その後の事は……」

 そういうと信一はうなだれた。

「自分が、何でそうなったのか。その原因も分からないんだな?」

 晃は険しい顔つきのままだ。

「急に気持ち悪くなったんだ。最初はまだ船酔いしてるのかと思ったよ。だから、何で鬼になったのか何て分からないんだよ」

 原因不明の奇病。そういった類のものだろうか。

「でも、お前が二人を殺した事実は変わらない」

「だから、俺は知らないって言ってるだろ!」

「惚けるな! 夏希や唯を無惨に殺しておいて、知らないだと? ふざけるのもいい加減にしろ!」

「仮に俺がやったとしてもそれは俺じゃない! 俺の中の何かだ」

 信一の本能。それが肥大化し、暴走したのかも知れない。理性、つまりは人間であった信一が封じ込まれていた可能性もある。

「そんな言い訳は通用しないよ」

 各務さんも険しい顔で信一を睨み付ける。

「なぁ、秋人。お前なら信じてくれるよな? 俺は二人を殺して無いし、無理やりキスなんてしてない。無実なんだよ」

 俺はどうすれば良い?

 どちらを信じれば良いのだろう。

「だから、あんたはヘタレなのよ」

 各務さんはそういうと口許を歪めた。

 信一が「どういうことだよ」と噛みつく。

「いつ、僕達があんたに向かって鬼って言った? それに、無理やりキスをしたなんて事も言ってないよ?」

 各務さんの言葉を聞き、信一の顔がひきつった。

「……さっき、話してたじゃないか」

 声のトーンが若干低くなる。

「だから、さっきっていつなのよ? 少なくとも、あんたが気絶してからは言ってないからね」

 言われてみれば確かにそうだった。信一に対しどうしてそうなった、とは聞いたが、鬼という語句は使っていない。ましてや唯が無理やりキスをされたとも言っていない。しかし、俺は意識して言わなかった訳ではない。そこに気づいたということは、各務さんは意識していたのだろうか。

 信一は俯くと「くくくく」と笑い始めた。

「ははははっ。うっかり口がすべっちまったな。流石まゆっちだぜ。惜しかったなぁ、もう少しであまちゃんの秋人を騙せたのによ」

 信一は俺を見ながらニヤニヤと笑う。

「嘘、だったのか?」

「そうだよ、嘘だよ。お前なら騙されてロープをほどいてくれると思ったのによ」

 俺は悔しいというより、悲しい気持ちになった。もう、あの信一は帰ってこない。

「ふん、やっぱりな。これではっきりした。お前は自分の意思で、唯達を殺したんだ」

 晃が憎々しげに吐き捨てる。

「臆病で、姑息で、意志が弱いお前を、何で夏希が好きになったのかずっと疑問だったんだよ」

 俺もそれは感じていた。信一は根はいいやつなのだが、たまに人をイラッとさせる何かを持っている。一番は優柔不断な所だろうか。しかし、夏希はそんな所に母性本能をくすぐられたのかも知れない。

「へぇ、なっちがねぇ。はは。そうだったのか。まぁ、俺は疎ましく思ってたけどな」

「それだけで殺したっていうのか?」

 晃の眉毛がピクリと動く。意志が弱かった信一にしたら劇的な変化だ。

「そうだぜ。本能が俺に言ったんだ。殺せ、喰えってなぁ。ヒヒッ」

 再び、俺の中で、黒い物が膨れ上がってきた。しかし、それより先に限界を越えた者がいた。

 晃だ。

 晃は大きく踏み込むと、握りしめた模造刀を勢いよくつきだした。しかし、心臓を狙ったその一撃は分厚い胸板に阻まれ、深く突き刺さる事は無かった。

 数センチほど刺さった切っ先から、血が少し流れる。

「なんだ、こんなもんかよ」

 信一が余裕の笑みを浮かべる。

 晃は剣を引き抜こうとするが、いくら引いても抜けない様だった。信一の肥大した筋肉が、切っ先をガッチリと掴んでいるのかもしれない。

「先ずは晃。お前から殺してやるよ。その自信に満ちた顔が歪む瞬間が楽しみだぜ」

「ふざけるな、お前ごときにやられてたまるかよ」

「それで、次は秋人だ。じっくりいたぶって殺してやるからな。まゆっちを奪った罪だ」

 俺には信一の言っている意味が分からなかった。

「奪ったってなんだよ?」

「ふん、お前が気付いて無いわけ無いだろう? まぁいいや。んで、まゆっちは殺さないで、俺の奴隷にしてやるよ」

「へぇ、あんたが僕を奴隷にねぇ。僕の下僕の間違いなんじゃ無いの?」

 各務さんが不敵に笑う。晃もそうだが、各務さんの冷静さはすごいなと思う。信一が鬼に豹変していても、それに臆する様子が無い。

「俺を舐めやがって。まぁ、だからこそまゆっちの前で、秋人をいたぶるんだけどなぁ!」

 突如、信一が力任せにロープをほどいた。ほどいたというより、引きちぎったという表現の方が正しいだろう。そのはずみで晃は飛ばされ、床に背中を叩きつけた。そこへ信一が躍りかかる。しかし、信一は晃を襲う事は出来なかった。各務さんの狙いすました一撃が、信一の片目を貫いたからだ。

「グオオオオオオオォォォォォォオオォォォ!!」

 凄まじい咆哮を上げ、もがき苦しむ信一。ビリビリと鼓膜を揺らす。

 信一はすさまじい雄たけびを上げ片目を押さえながら、廊下へ向かった。

「追えっ!」

 晃の言葉に俺は慌てて駆け出す。別荘の外へ出ると、廃墟の方へ逃げる信一の姿が見えた。

 しかし、その速さはとても俺の脚力では追い付けるものではない。それでも、各務さんは信一の後を追うように走り出した。

 俺はあることを思い出し、ガレージへ向かった。

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