第8話 凄惨

 俺はゆっくりと鉄の門を押し開け、身構えながらジリジリと玄関へ近づく。いつ鬼が襲って来ても対応できるよう、周りの気配に気を配る。

「いや~~~~っ!」

 玄関への道を半分ぐらい来た時だ、耳をつんざく様な女の叫び声が聞こえた。

「なんだ? 何がおきてんだ!?」

 俺は走り、玄関の扉のノブを勢いよく掴む。扉には鍵がかかっておらずすんなりと開いた。

 ドアを開けた先は、これぞ洋館のホールと言わんばかりの赤い絨毯が敷かれている広間だった。正面には大人二人が余裕ですれ違えるほどの幅がある階段がそびえている。

 そして、左手にある階段を勢いよく駆け上がった。すると廊下には、唯が力なくヘタリ込んでいた。

「唯! 何があった!?」

 俺は駆け寄り、肩を揺する。

 他にも聞きたい事が色々と有ったが、今は状況を確認する方が先だ。

「――あ、秋人君」

 唯は顔をあげると、驚いた様に目を見開いた。そして、震える手を持ち上げ、正面の部屋を指した。そこには、呆然と立ち尽くす晃の背中があった。

「晃!」

「あぁ、秋人か。何だ、来ちまったのか」

 晃は振り向くと、力なく笑った。

 しかし、その目は笑っていない。悲しみや怒り、そんな物が混じった光を放っている。

「一体、何があった?」

 俺は立ち上がり、部屋に足を一歩踏み入れた。

「うっ。何だこの臭い」

 鼻をつく異臭。思わず手で鼻を覆う。汚物や血液、魚の腐敗したような臭い。それらが混じりあい、部屋の中に充満していた。

「おい、晃。一体どうしたって言うんだよ」

 俺が問いかけると晃が視線を前方へ移した。その視線の先を追う。

 そこには、夏希がいた。

 いや、夏希だった物があった、といった方が正しいだろう。手足を投げ出し、裸でベッドの上に横たわる夏希。仰向けで横たわる彼女の周りは、おびただしい量の血液で赤く染まっていた。

 そして、その腹は無惨にも切り裂かれ、内臓と思える物は残っていないように思われた。顔は苦悶に歪み、驚いた様に見開かれた瞳は、既に生気を失っている。

「何だよ、これ。何なんだよ! 晃、誰がこんなことした!」

 俺は晃の肩を揺すり怒鳴っていた。自分でも押さえきれないほどの感情。

 怒り、悲しみ。

 それらを、晃にぶつけてしまった。

「俺だってわからねぇよ」

 俺とは対照的に、晃は冷めた態度だった。

「何だよその態度は! お前は悔しく無いのかよ。分かってるのか?! 夏希が殺されたんだぞ!」

 俺はそんな態度の晃に納得が出来ず、更に怒鳴りつけた。そうしなければ、正気を失ってしまいそうだったという事もある。

「悔しいし、こんなことした奴は例え誰だろうと許せない。けど、今泣きわめいたって仕方ないだろう」

 そういって握りしめた晃の拳はブルブルと震えていた。晃が本気で怒っている証拠だ。俺はそれを見て冷静さを取り戻す。

「このままじゃ、可愛そうだよな」

 俺はベッドに近づき、足元に丸まっていたシーツをとる。それを体にかけてやるとき、足の付け根に付着した液体が目に入った。俺はいたたまれない気持ちになり、全てを隠してやるように夏希の体にシーツをかけた。

「とにかく晃、詳しい話を聞かせてもらうぞ」

「ああ、分かった。下のリビングへ行こう」

 俺は晃と一緒に部屋を後にし、腰が抜けて立てない唯の肩を両方から支えながら階段を降り、リビングへと向かった。

 扉を開けリビングに目をやると、ソファーには各務さんが座っていた。

「か、各務さん! 良かった、無事だったんだ」

 各務さんは水着から服に着替えており、麦茶を飲んでいた。

「石川くん!? そうか、来ちゃったんだ」

 各務さんは残念そうに肩を落とした。

「各務、残念だがもうそれどころじゃ無くなった」

 唯を各務さんの座るソファーと反対側に置いてあるソファーに寝かせ、感情を押さえた声で晃は言った。

「それ所じゃないって、どういうことよ」

「夏希が死んだ。いや、殺されたんだ」

「ちょっと二階堂、僕にもドッキリを仕掛けようっての?」

「いや、晃が言ってる事は本当だよ」

 俺は二人の会話が理解出来なかったが、晃にばかり辛い話をさせまいと思い、夏希が殺された事、先ほど見た光景をを説明する。

「そんなっ――。僕、見てくる!」

 そういうと各務さんは駆け出し、制止する間もなくリビングを出ていった。

 しばらくすると、青ざめた表情をした各務さんが戻ってきた。

「一体誰が……。どうしてあんな残酷な事ができんのよ……」

 目に涙を浮かべ、力なくソファーに座った。

「とにかく、話を整理しないか。それから、今後の事について話し合おう」

 俺は全員を見渡し、落ち着いた声でそう言う。

「あぁ、分かった」

 テーブルを挟んだ正面の晃がうなづいた。声こそ落ち着いているものの、その挙動は忙しない。貧乏揺すりをし、膝を指で叩いている。唯は精神的ショックが大きい様で、晃の隣で横になっている。俺の隣に座る各務さんは俯き、ぶつぶつと何かを呟いていた。

「まず、何で晃達がここにいるんだ? 俺はこの家の存在すら知らなかった。いや、聞かされていなかった」

 始めは水道やガス、電気も通っていない無人島だと聞かされていたし、ましてや信一を探しに行ったはずが、浜辺に戻ってこずなぜこの場所にいるのかが不思議でならなかった。

 途中の分かれ道で右側を選んだため、偶然この洋館を発見したようなものだ。

「この家は、親の別荘だ。お前には無人島だと説明したが、実は電気も生きてるし、水も出る」

 水が出るのは既に知っている。

「ここに俺たちがいるのは、お前をびっくりさせるためだった」

 そう言うと晃は立ち上がり、奥の扉へと向かう。

「秋人、ちょっとこっちに来てみろよ」

 その言葉に促され、俺も立ち上がり晃の後についていく。

 扉の奥はキッチンだった。大きいテーブルにはレースのテーブルクロスが敷かれ、銀で出来た燭台、色とりどりの花、そして作りかけの料理が所々に置かれている。

 真ん中には、見事にデコレーションされたワンホールのケーキが置かれていた。

「何だよこの料理。俺に内緒でパーティーでもするつもりだったのかよ」

「パーティーはするつもりだったけど、別にお前に内緒って訳じゃないよ」

「まさか……」

「そのまさか、さ。明日、お前の誕生日だろう。それを皆で祝おうとしてたわけさ。サプライズでな」

 俺はすっかり忘れていた。誕生日が夏休みであるがゆえ、今まで友達に祝ってもらった事が無かったし、今回のこの旅行を楽しみにしていて、自分の誕生日の事などすっかり記憶から抜け落ちていた。

 だから、晃達がそんな計画をしていたなんて事も思い付かなかった。

「そのケーキ、僕が作ったんだよ」

 振り向くと側には各務さんが立っていた。「力作だよ?」と言って少しうつ向いた。

 俺は、言葉を発する事が出来なかった。俺のためにケーキを作ってくれたのは嬉しい。しかし、状況が状況であるがゆえ、手放しに喜ぶ事は出来ない。

「ごめん、浮かれてる場合じゃ無いよね。夏希に悪いもんね」

 各務さんは、俺の態度を察したのか、そういって瞼を擦った。

「いや、ありがとう」

 俺はそれしか言えなかった。

「とにかく、俺の誕生日パーティーを計画していたのは分かった。最初から、こういう計画だったのか?」

「いや、それは違う。最初はもっと上手くやるはずだったんだ」

 晃は当初の計画を話し始めた。最初にこのサプライズパーティーの企画を思い付いたのは夏希であること。本来ならば、順番で抜け出し準備するはずだったこと。けど、信一が突然いなくなったために計画が狂ったらしい。

「あいつが抜け駆けした、最初はそう思ったんだ。だけど、ここに信一の姿は無かった」

 信一を探しながら準備をしたため夕方には戻ってこれず、そのまま別荘で夜を明かしたという事だった。その言葉を聞いて、心配して損をしたとふと思ったが、そのおかげで各務さんとの距離が縮まったのは確かだ。

「けど、今日の明け方、あいつがここに来たんだ」

「なんか、すごい具合悪そうだったよね。顔は赤くむくんでたし、すごく苦しそうに唸ってたし。まぁ、あのヘタレが苦しんでいる姿はなかなか見ものだったけどね」

「熱も凄かったからな、客室で寝かせたんだ。それで、夏希が付きっきりで看病するって――」

 晃がそこまでいいかけた時、各務さんが「あっ!」と大声をあげた。

「信一のやつはどこ行ったのさ! あそこの部屋に寝かせたはずでしょ?」

 その言葉を聞き、晃も思い出したように口を開いた。

「そういえばそうだ」

 晃はソファーで横になっている唯の側には駆け寄ると、体を優しく揺すり「お前が部屋に行った時、信一はいたか?」と尋ねた。

 唯はだるそうに身体を起こすと、しばらく考え込んだ後、首を横にふった。

「あまりよく覚えてないけど、いなかったと思うよ」

「そうか分かった。起こして悪かったな」

 晃はそういうと唯の頭を優しく撫でた。唯は気持ちに良さそうに目を細めると、再びソファーに横になった。

「鬼の、仕業かも知れない」

 俺はそう呟いた。

「石川君、まだそんなこと言ってるの? あれは二階堂の作り話だっていっ――」

「見たんだ! 昨日の夜! 鬼が唸りながら俺の寝てるテントを覗いて来たんだよ!」

 俺は昨晩の出来事を必死に説明する。

「俺は特に何もされなかったけど、昼に目が覚めたらもうひとつのテントが荒らされてたんだ!」

「うそっ! 僕知らないよ? 僕がここに来ようと外に出た時は何とも無かったし、鬼なんていなかった」

「俺は各務さんが心配になって、更衣室を覗いても誰もいなかったから、てっきり……」

「ちょっと、更衣室に入ったの?」

「緊急時だったから仕方ないだろ。もしもの事があったら、と思って」

「変な事、してないよね?」

 各務さんがジロリと睨んでくる。

「するわけ無いだろう。異常が無いか見ただけだよ」

 各務さんの言う変な事が具体的にどんな事かは分からないが否定する。事実、何もしていない。

「なら、良いんだけどさ」

 どうやら、各務さんは納得してくれたらしい。

「んで、信一もその鬼にやられたってか?」

 晃が肩をすくめる。

「その可能性が高い。俺がここに着いたとき、あの鬼の哭き声が聞こえたんだ」

「だからあれは、風の音だって二階堂が言ったじゃん」

 それは分かっている。しかし、それだけでは無い。

「よく思い出してくれ。まず一回目に聞いたのは昨日の昼前だよな?」

「そうね、僕たちが二階堂をコテンパンにした時だよね」

 各務さんが頷く。

「そして、俺はその日の深夜三時過ぎ、その音で目が覚めた」

「僕も聞いたよ。丁度二階堂達と無線で連絡とってる時だった」

 やはり、あの時は独り言では無かったようだ。

「問題はそこだ。おかしいと思わないか? 風の音は潮の満ち引きで鳴る。つまり、昼に干潮だったとすると夜の干潮はおよそ二十四時過ぎ。本来なら深夜の三時にあの音は聞こえるはずが無いんだ」

「だからって鬼が実在して、信一と夏希を殺したってか? そんな話し誰が信じるんだよ」

 晃が呆れたようにかぶりを振った。

「悪いけど、僕も信じられないね。あまりに現実的じゃないし」

 ではあれは、俺の見間違いだったのだろうか。鬼ではなく信一が帰って来ただけだったのだろうか。

 じゃあ、一体誰が夏希を……。

 そして、信一はどこに行ったのだろうか。

「とにかく、信一を見つけない事には始まらないな」

 俺は立ち上がり、壁に立て掛けておいた銛を手にした。

「ちょっと、どこに行くの?」

「信一がいないか、外を探してくる」

「一人じゃ危険だよ。僕も行く」

 そう言うと各務さんは立ち上がり、部屋を見回した。晃の親の趣味なのだろうか、部屋の隅には甲冑が飾られ、壁の至るところには、装飾された剣や盾が飾ってある。各務さんは壁に近づき、その内の一つを手にする。

「よし、これで良いかな」

 彼女が手にしたのは、派手に装飾されたフルーレだった。

「鬼退治といったらこれだよね」

 胸元で剣を構え、二、三回振るう。

「何で鬼退治にフルーレなのさ」

 普通、鬼退治と言えば桃から生まれた男と、その家来の犬、猿、雉だろう。しかし、ここにはどれも存在しない。

「あれ、一寸法師を知らないの? 針で鬼の目を突っついて退治したじゃん」

「確かに言われてみればそうだけど、それ、針じゃないし」

「細かいことは気にしない、気にしない」

 あれはあくまでおとぎ話だ。例え鬼の目を突っついた所で、完全には退治出来ないだろう。

 しかし、目を突き抜け、脳まで達すれば話しは別かも知れない。だが、確実性に欠ける。やはり、鬼の存在を信じていないと言うことか。

「どうでも良いけど、それ親のだから壊さないでくれよ」

「分かってるって。そんで、二階堂はどうするの」

「俺は家の中を探すよ。唯を置いて外に行ける状況じゃないしよ」

「そうか。晃、気を付けろよ」

「お前がな」

 俺は強く銛を握りしめ、リビングを抜け外に出た。冷房の効いた室内の庇護から抜けると、夏の熱気が身体中を包み込んだ。相変わらず蝉達がけたたましく歌っている。

「まずは、家の周りを一週してみよう」

 俺たちは辺りを警戒しつつ、ゆっくりと裏手に回る。そこには、シャッターの付いたガレージがあった。

「こことか怪しくない?」

 各務さんはそう言うと軽快な足取りで近づき、シャッターの取っ手に手をかけた。

「よっと」

 ガレージのシャッターはガラガラと音を立て、いとも簡単に開いた。

「ねぇねぇ、見て。高そうな車があるよ」

 各務さんの言うとおり、ガレージの中には外車が一台と、青いオフロードのバイクが置いてあった。

「この島に車とか必要なのかな?」

 確かに各務さんの言うとおり、それほど広くは無いこの島で果たして車が必要なのだろうか。

 だが今はそんな事はどうでもいい。とにかく信一を見つけなければ。

 俺はガレージの中に入る。車内に誰かいないか確認するが、荷物一つ置かれていなかった。

 念のため車の下をのぞいて見るが猫すらいない。

「ねぇ石川君。これ、鍵付いてるよ」

 各務さんの言葉に顔を上げ、バイクに近づく。

「本当だ。それに、きちんと手入れがされてるみたいだな」

 現行モデルのバイクだが、恐らく五年は前の型番だろう。ガレージの中に保管してあるのが大きいだろうが、目立った錆びなどは見当たらずメンテナンスは行き届いているようだ。そうでなければ、あっという間に潮風でサビだらけになっているだろう。タイヤもヒビなどは入っておらず土が付着しているだけだった。

 俺は、バイクのキーを回しエンジンをかける。

 セルモーターがキュルキュルと回り、マフラーからオフロードバイク特有の排気音が漏れる。

「おっ。かかった、かかった」

 バッテリーは生きていたし、ガソリンも充分入っているようだ。ブレーキなども念のため確認したが、やはり問題は無かった。

「すご~い。石川君、もしかしてバイク乗れるの?」

「ああ、乗れるよ。小さい頃からオフロードバイクの競技に出たりしてたからね」

 俺はバイクのエンジンを切り、外に出る。後ろでは「僕も乗りたいなぁ」という各務さんの独り言が聞こえた。

 しかし、人がいないとは言え少し無用心ではないか。シャッターはおろか、バイクに鍵が挿しっぱなしだ。これでは、どうぞご自由にお乗り下さい、と言っている様なものだ。

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