君が生きていたならそれでいい

 三日が経った。しかし、ベルテシャツァル・キャラバンは姿を現さなかった。


「どうですか、バルトロマイさん」


 レニーズは真っ青な顔をしている。


「……駄目だ。全く音信不通のままだ」


 デューンライダーの間でも希少な遠隔通信手段を持っているバルトロマイ氏によると、最後に連絡が取れたとき、ベルテシャツァルはもうかなりハルザまで近いところまで来ていたはずだったという。


「やっぱり、オレが探しに行く」

「だめだ。それは許可できないよ」


 と言ってレニーズを止めるのは母。現状ではベルテシャツァルのただ一人の代表者であるレニーズを二重遭難させるわけにはいかなかった。通信手段を持つバルトロマイも。


「おれは行くよ」

「うん……お願いね、ベリト」


 結局、ベリトを含め何人かのデューンライダーがバギーに乗って捜索に出た。わたしはようやくまた非番をもらい、レニーズの泊っている部屋に向かう。エデンの二階。


「レニーズ。何か食べないと毒だよ」

「そうだな……」


 わたしは簡単な食事を運んでいった。いや食事を運ぶというのは口実だが、食べてもらわないと困るのも本当なので。元気出して?


「仲間だもんね。そりゃ心配だよね」


 ベルテシャツァルはエデンの古くからの客なので、わたしにとってもレニーズだけでなく隊長さんはじめみんなが顔見知りである。


「それもあるんだけど」

「なに?」

「今から一年くらい前、ベルテシャツァルにキリラというメンバーが入った」

「……それで?」


 キリラ。女の名だ。キャラバンに所属する人間はみなデューンライダーなのだが、女のデューンライダーというのは滅多にいない。わたしの母はそうだが、歴史上にも稀な特例の一人である。ものすごく嫌な予感がする。


「……キリラはいまオレの子を宿してるんだ」


 からん、と何かが床に落ちた。わたしが匙を落としたのだ、と気付くまでに少しかかった。


「レニーズ」


 硬い自分の声。他人の声を聞いているようだ。


「……ごめん」

「それ、どういう意味の、ごめん、なの」


 レニーズはデューンライダーで、デューンライダーは定住地を持たずに町々を巡る人々なので、他の町にもわたしのような女がいるのは当然のことではあった。バルトロマイはあのときさすがに私の前だから言わなかったが、娼婦は店ごとに一人、素人娘はオアシスごとに一人、というのがデューンライダーの世界の常識である。しかし、デューンライダー同士で、というのはまったく別の問題だった。母という実例と、その過去を知っているので分かる。


 わたしは自分の父親が誰なのか知らない。知らされていないのではなく、母自身も把握していないらしい。母はそういう生き方をする種類の女だった。でもキリラとやらはわたしの母とはまた違うようだ。どろりとした黒い怒りがわたしの中で渦巻く。と、そのとき。


「レニーズさん! ここにいますか!」


 という声が響いた。ベリトだった。


「これを見てください。……生存者は誰もいなかったけど、東に一時間ほど進んだところでこれだけ見つかりました」


 それはブラックボックスと呼ばれるものだった。各キャラバンが一つだけ持ち歩いている、天使の攻撃でも破壊不能な認識票。真っ黒に焼け焦げているけど。


「……間違いない。ベルテシャツァルのものだ」


 キャラバンが一つ滅ぼされた、という報は町を恐慌状態に陥れた。ベルテシャツァルほどの大集団を、跡形もなく全滅させるほどの力を持った天使。逃げる手段はない。戦うしかない。しかし。すべてのデューンライダーが集められた。十七名。


「町に近付けるわけにはいかない。こちらから出撃し、敵を撃滅する」


 指揮を執るのは十七人の中でもっともベテランの、バルトロマイ。出撃は明日と決まった。歴史上前例のないことではないので、それが踏襲される。十七人の決死隊の全員に、めいめい、好きな相手を指名して夜伽をさせる権利が生じる。この町にいる人間なら誰でもいい。マルタがバルトロマイに呼ばれた。それは別にいい。問題はわたしだ。レニーズはわたしを呼ばなかった。誰も。それを知ったベリトが、わたしを指名した。


 わたしはベリトの部屋へ向かう。


「ベリトさま。シェディムが参りました」


 身は清めてある。わたしは入り口を抜けてすぐ、纏っていた薄物を脱ぎ捨てようとしたのだが。


「シェディム。レニーズさんのところへ行って」

「え? どうして?」

「シェディムはそうしたいだろうと思うから」


 いまこの町を取り巻く状況に比べればもはや些末な問題ではあるが、もちろんベリトも既にレニーズとキリラの事情を知っている。町中の誰もが知っているので。


「あなたはどうするの」

「おれのことはいいだろ。シェディムがどうしたいかだよ」

「女を知らないまま死地に向かうつもり?」

「いいんだ。おれ……多分これが最後だからシェディムには教えておくけど、実は人間じゃないから」


 ごめん知ってた。でもなんかもうそれを言い出すタイミングが外れている。


「そして人間じゃないから、これといって別に女が欲しくなったりもしないんだ」

「本当に?」


 ベリト、嘘を吐かないで。なら、どうしてそんなに心臓を高鳴らせているの。


「……そんなことされても、別に気持ちいいとか、ない。おれ、実は天使だから」

「ほ、ん、と、う、に?」


 わたしはとうに服を脱ぎ捨てている。そして、機械と生命体が融合したような、ベリトの裸身。わたしはそれを美しいと思った。


「……そんなこと、しなくていいから……自分の好きな人のところに行きなよ」

「あなたが好き」

「えっ。じゃ、じゃあ」

「そう。だから来たの。他の女ならいざ知らず、嫌なら逃げるわ」

「う……嬉しいよ」

「そろそろ黙って」

「うん」


 ベリトはそれ以上は余計なことを言わなかった。そう、それでいい。女に恥をかかせるものじゃないよ、少年。


 朝が来た。わたしが目を覚ますとベリトはいなかった。


 彼の残した書置きには、「戦いたくないからおれは逃げる」と書いてあった。

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